第9話:琥珀の眠りと、未熟なエース
「……高城、よせ。悪いことは言わない。その誘いは、お前のキャリアに消えない傷を付けることになる。やめておけ」
第1話で無惨に散った営業部の武田が、震える手でコーヒーを啜りながら忠告した。
だが、他部署のエースである高城は、デスクに腰掛け、余裕の笑みを浮かべた。
「武田、お前の失敗は分析済みだ。お前は彼女を『特別視』しすぎたんだよ。彼女はただの『肉食系女子』なんだろう? つまり、刺激に飢えている。なら、俺が普通にスマートに誘って、彼女を満足させてやるだけさ。お前みたいに、後で『肉がどうこう』なんて寝言を言うような無様は晒さないよ」
高城は、同僚たちの警告を「彼女の魅力に当てられて、言葉を失った男たちの負け惜しみ」だと断じていた。
彼は夕方の休憩時間、総務部の久我みさきに、ごく自然な調子で声をかけた。
「久我さん、お疲れ様。今夜、もしよかったら俺と食事に行かないか? 君にぴったりの、いい肉を食べさせる店があるんだ。……デートしてくれないかな?」
高城は、手近な紙に店の名前を書いて差し出した。
みさきは一瞬、目を丸くしたが、その店の名前を見た瞬間に瞳を輝かせた。
「……本当ですか、高城さん! ここ、ずっと気になっていたんです! ぜひ、ご一緒させてください。高城さんって、お店のセンスが最高ですね!」
みさきは、期待に頬を紅潮させ、身を乗り出した。高城はその「美味しい肉に出会える期待」を、当然のように「自分という男への積極性」だと確信し、勝利を予感した。
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その夜。高城は、落ち着いた雰囲気のダイニングバーで彼女を待った。
現れたみさきは、いつもより少し明るい色の服を着て、楽しそうに笑っている。
「さあ、久我さん。今夜は遠慮しなくていい。君の好きなものを注文してくれ。君のそんなに嬉しそうな顔が見られて、誘った甲斐があったよ」
高城は、ワイングラスを傾けながら、彼女の瞳をじっと見つめて囁いた。
「今夜はゆっくり、君のことを教えてくれないか?」
だが、みさきの視線は、運ばれてきた厚切りのローストポークに釘付けだった。
「……高城さん。すごいですね、この断面の色。中心部まで完璧な温度管理がされています。……私、もう、我慢できません」
「ああ、どうぞ。存分に……」
高城はゴクリと唾を呑んだ。ついに「肉食系」の噂通りの展開になるのか。
だが、みさきが「食らいついた」のは、高城ではなく、皿の上の肉だった。
「……っ……ん……!」
彼女が肉を一口噛み締めた瞬間、その白い肩が震え、瞳が潤んだ。
「……完璧。この肉汁の閉じ込め方。……高城さん、この肉、今……私の細胞の中で『爆発』していますよ……!」
「……あ、ああ。……そうだろう。俺が選んだ店だからね」
そこからの時間は、高城にとって「透明人間」の刑だった。
みさきは、一口食べるごとに「……ああ、この脂の融点……」「……アミノ酸が歓喜の歌を歌っている……」と恍惚とした独白を繰り返し、高城が用意していた甘いセリフも、将来の展望も、すべては肉を咀嚼する音にかき消された。
高城は、自分が「マドンナをエスコートする男」ではなく、単に「彼女に肉を与えるためのシステムの一部」であることを、突きつけられていた。
帰り道。
「高城さん、今日はありがとうございました。……肉の深淵を、改めて知ることができました。……高城さんも、いつかこのお肉のように、中身が詰まった『熟成』をされるといいですね。今はまだ……少し新鮮すぎますから」
みさきは、満足げに微笑んで去っていった。
高城には、その言葉が「お前はまだ、血抜きも済んでいない未熟な生肉だ」という宣告にしか聞こえなかった。
翌朝。
他部署のエースであったはずの高城は、魂を抜かれたような顔で、武田の元を訪れた。
「……武田。……あいつは、女じゃない。……あいつは、肉の『審問官』だ。……俺はただの、肉を注文するための『前座』に過ぎなかったよ……」
社内の噂は、もはや恐怖を超え、一つの伝説となった。
『他部署のエース高城、マドンナをスマートに口説こうとするも、肉の解説の聞き役にされて終わったらしい』
『あの高城ですら、彼女の「肉欲」の前ではただの背景だったのか……』
久我みさきは、今日も涼やかな顔で、書類を整理している。
「はい、お疲れ様です。……ええ、昨夜はとっても『密度の高い』夜でした」




