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会社のマドンナは肉食系女子(※ただし胃袋の話です)  作者: 五平


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第6話:琥珀色のソースと、接待王の落日

「……本田さん、悪いことは言いません。よせ。死にますよ」


営業部の後輩、佐藤がデスク越しに、真剣な面持ちで忠告した。

だが、営業部で「接待の王」の異名を取る本田は、高級時計を光らせながら不敵に笑った。

「佐藤、お前は経験が足りない。久我さんは『肉食系女子』なんだろ? ならば、相手を心地よくさせるプロである俺が、最高級のローストビーフで彼女を完璧にエスコートしてやる。噂の真相なんて、結局はこれまでの男たちのエスコートが下手だっただけさ」


本田の作戦は、大人の余裕を見せつけるホテルデートだ。

「肉食系なら、目の前で肉を切り分けられる特別感に弱いはずだ。その演出が、彼女の防壁を崩すんだよ」


佐藤は深い溜息をついた。

「……防壁どころか、彼女が崩すのは『牛の骨格』ですよ。まあ、せいぜい怪我をしないようにな」


---


戦場は、創業半世紀を誇る名門ホテルのメインダイニング。

ここには、シェフが巨大な肉の塊をワゴンの上で切り分ける「ローストビーフのワゴンサービス」がある。


久我みさきは、光沢のあるサテンのドレスで現れた。その姿はまさにマドンナの名に相応しいが、ワゴンが近づくにつれ、彼女の瞳からは「社交」の光が消え、飢えた猛獣のような熱が宿り始めた。


「久我さん。ここはソースが自慢でね。赤ワインをベースに一週間煮込んだ逸品だ。君のような『情熱的な女性』には——」


本田がグラスを傾け、耳元で甘く囁こうとしたその時だった。


「——シェフ、失礼。……厚さは、二センチでお願いします」


みさきの声は、社交の場には不似合いなほど、冷徹で力強かった。


「……えっ? 二センチですか? お客様、通常は五ミリ程度で……」


「二センチです。この個体、サシの入り方から見て、薄切りでは肉汁の保持力が足りません。肉塊としての尊厳を保つには、二センチの厚みによる『抗力』が必要なんです」


本田は呆然とした。エスコートとは、男がリードし、女を酔わせる儀式のはずだ。しかし、目の前のマドンナは、一流シェフを相手に「肉の厚みによる食感の最適解」について交渉を始めている。


「久我さん、まあ落ち着いて。ここは雰囲気を楽しもうじゃないか。君のそのドレス、すごく似合って——」


「本田さん、今、肉が切られました。見てください、あの断面! 琥珀色のソースが、肉の繊維の隙間に毛細管現象で吸い込まれていく。……ああっ、素晴らしい! ソースの粘度が、肉の温度と完全にシンクロしています!」


彼女は本田の褒め言葉など一秒も聞かず、皿の上に鎮座した二センチ厚の肉の塊を、恋人を見つめるような熱っぽい目で見つめた。


「本田さん。……私、もう我慢できません」


「え? あ、ああ。どうぞ。存分に……」


本田はゴクリと唾を呑んだ。ついに「肉食系」の本領発揮か。

だが、みさきが「食らいついた」のは、本田の誘いではなく、ローストビーフのど真ん中だった。


「……んっ……ふうぅ……!」


彼女が肉を一口噛み締めた瞬間、その白い肩が大きく震え、瞳が潤んだ。

「……完璧。このソース、赤ワインの酸味が牛の鉄分を鮮やかに引き立てている。……本田さん、この肉、今……私の細胞の中で『溶けて』いますよ……」


「……あ、ああ。……よかった、かな」


そこからの時間は、本田にとって「デート」ではなく「給食当番」だった。

みさきは次々とワゴンを呼び戻し、「次は端の部分、メイラード反応が強いところを」「ソースは三倍、いや、肉に浸るくらいに」と矢継ぎ早に注文を繰り返す。

本田が繰り出す「大人の会話」や「将来の話」は、すべて肉を咀嚼する音と、彼女の「……肉汁が……肉汁が溢れる……」という独り言にかき消された。


結局、本田が用意したスマートなエスコートは、すべて肉の蒸気と共に消え去った。

最後に残ったのは、マドンナに一度も目を合わせてもらえず、追加の肉代で予算をオーバーした請求書を手にする「接待の王」の残骸だけだった。


帰り道。

「本田さん、今日はありがとうございました。……あの二センチの厚み、正解でしたね。肉の『生命の重み』をしっかりと感じることができました」


みさきは、満足げに微笑んだ。

本田には、その笑顔が「お前なんて、肉の付け合わせ(ガルニチュール)以下だ」という宣告にしか聞こえなかった。


翌朝。

営業部には、自信を完全に失い、精魂尽き果てた本田の姿があった。

そこへ、佐藤がやってくる。


「よう、本田さん。……マドンナをリードできましたか?」


「……佐藤。……あいつは、女じゃない。……あいつは、肉の『審問官』だ。……俺はただの、肉を注文するための『ボタン』としてしか機能していなかった……」


社内の噂は、もはや恐怖へと変わっていった。

『営業部の本田、最高級ローストビーフで挑むも、マドンナの食欲の前に「背景」と化したらしい』


久我みさきは、今日も優雅に微笑んでいる。

「おはようございます。……ええ、昨夜はとっても『密度の高い』夜でした」


彼女が次に「注文」するのは、どこの、どんな肉なのか。


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