第4話:鉄串の狂宴と、鋼のバルクアップ(修正版)
「……先輩。やめておいたほうがいいですよ。死ぬことになります」
営業部の若手、佐藤は死んだ魚のような目で、筋トレマニアの先輩・大剛を見上げた。
大剛は、オーダーメイドのスーツが今にもはち切れんばかりの大胸筋を誇示しながら、不敵な笑みを浮かべた。
「はっ、何を言うか佐藤。久我さんは『肉食系女子』なんだろ? ならば、俺のような『筋肉の塊』こそが彼女を満足させられる。噂じゃ、誘えば即座に付いてくるっていうじゃないか。それはつまり、強いオスを求めているという証拠だ。俺のこのバルクを見れば、彼女も本能を抑えきれなくなるはずだ」
大剛はプロテインシェイカーを激しく振り、己の筋肉が放つ「オスのフェロモン」に絶対の自信を持っていた。
佐藤は力なく首を振る。
「……やめておけってのは、そういう意味じゃないんですよ。……まあいい。せめて、遺言だけは聞いておきますから」
「フン、お前のようなモヤシには一生かかっても理解できんだろうよ」
大剛は佐藤の忠告を「弱者の嫉妬」と断じ、久我みさきを誘った。噂通り、彼女は「ええ、ぜひ!」と満面の笑みで快諾した。その反応を見て、大剛は「やはり俺の体に誘惑されたか」と確信した。
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行き先は、シュラスコ専門店『ブラジリアン・ゴリラ』。
大剛は、あえて「食べ放題」の店を選んだ。なぜなら、自分のような大食漢のタフな男こそが、肉食な彼女をリードできると考えたからだ。
「さあ、久我さん。ここは肉が無限に来る。君のような情熱的な女性には、ピッタリだと思わないか?」
大剛は、わざとらしくジャケットを脱ぎ捨て、タイトなシャツ越しに大胸筋をピクピクと動かした。視線で「俺を食え」と訴えかけている。
だが、久我みさきの視線は、大剛の筋肉には一ミリも掠めていなかった。彼女が見ていたのは、背後の厨房から漂い出す、肉の焦げる香ばしい煙の動きだ。
「……ええ、大剛先輩。素晴らしいですね。この『エンドレスに供給される』という圧倒的な暴力性。……ゾクゾクします」
「だろう? さあ、存分に……俺の勢いに付いてきてくれ」
大剛は、テーブルの『YES(肉を持ってこい)』のチップを裏返した。
パサドール(肉を運ぶ店員)が、巨大な鉄串に刺さった『ピッカーニャ(牛イチボ)』を持って現れる。
「まずはイチボだ。久我さん、俺はね、力強いものが好きなんだ。この肉のように……」
大剛は、切り分けられた肉を口に運び、ワイルドに噛み砕いて見せた。どうだ、野性的だろう? と言わんばかりのドヤ顔だ。
しかし、みさきはそんな大剛など存在しないかのように、皿に盛られた肉を至近距離で凝視していた。
「……素晴らしい。この、表面の岩塩による浸透圧の作用で、旨味成分が中心部に凝縮されている。……先輩、見てください。この肉汁の輝き。これ、単なる脂じゃない。牛の生きた証、その『魂』が溢れ出しているんです」
「え? あ、ああ、そうだね。情熱的だろ?」
大剛は、彼女の言葉を「自分への遠回しな情熱」だとポジティブに変換した。
(なるほど、肉を自分に見立てて興奮を高めているんだな。高度なテクニックだ)
しかし、そこから事態は、大剛の予想を遥かに超える「物理的な狂乱」へと突入する。
パサドールが運んでくる、アルカトラ、フラウジーニャ、コステラ。
大剛は「男らしさ」を見せるため、次々と口に放り込んでいく。だが、ふと横を見ると、久我みさきの皿から肉が消えるスピードが、自分の倍以上速い。
「……久我さん? 結構なペースだね。もっとゆっくり、会話も楽しもうじゃないか。俺のベンチプレスの記録とか……」
「先輩。パサドールが次に来るまでの『間』が三十二秒あります。この間に口腔内をリセットし、次の肉を受け入れる体制を整えなければ、牛に失礼です。……さあ、来ました! 豚のスペアリブです! あの骨の周囲のコラーゲン、あれこそが、今夜の私の主食です!」
みさきの瞳は、もはや獲物を狙う猛獣そのものだった。
大剛は、彼女が骨付き肉を素手で掴み、牙を剥いて(実際には上品に、しかし凄まじい効率で)肉を剥ぎ取っていく姿を目の当たりにした。
(な……なんだ……? このプレッシャーは……)
大剛は、自分の鍛え上げた筋肉が、ただの「飾り」に思えてきた。
彼は気づき始めていた。彼女が「肉食系」と呼ばれている本当の理由に。
彼女は、男を求めているのではない。
ただひたすらに、動植物のタンパク質を、己の血肉に変えることにのみ執着している。
「先輩、どうしました? チップが『YES』のままですよ。ほら、次はセブ牛のコブ肉、クッピンが来ます。これは独特の脂の層が……」
「……あ、いや……ちょっと、腹が……」
大剛の胃袋は、すでに限界を迎えつつあった。
一方のみさきは、汗一つかかぬ涼しい顔で、次々と運ばれてくる巨大な肉の塊を、掃除機のように吸い込んでいく。
大剛が誇る「筋肉」は、彼女の前ではただの「燃費の悪いエンジン」に過ぎず、彼女の「ブラックホールのような胃袋」の前では、存在意義を失っていった。
「先輩! まだ焼きパイナップルが来ていません! パイナップルに含まれるブロメラインが、私たちの胃の中で肉を分解し、さらなる高みへ連れて行ってくれるんです! さあ、おかわりしましょう!」
「……ひっ……!」
大剛は、ついに椅子から崩れ落ちた。
自分の大胸筋が、もはや呼吸を圧迫する重荷でしかない。
目の前のマドンナは、優雅にナプキンで口元を拭いながら、店員に「もっと脂の乗った部位、ありませんか?」と追加のオーダーを出していた。
帰り道。
「今日はありがとうございました、大剛先輩。……先輩が、あんなに肉を前にして『無力』になられるなんて、意外でした」
みさきは、会社で見せるあの「マドンナの微笑み」を向けた。
大剛には、それが「お前、その程度の筋肉で俺を満足させられると思ったのか?」という嘲笑にしか聞こえなかった。
翌朝。
営業部には、胃を抱えて青白い顔をした大剛の姿があった。
そこへ、佐藤がニヤニヤしながらやってくる。
「よう、先輩。……どうでした? マドンナを飼い慣らせましたか?」
大剛は、震える声で答えた。
「……佐藤。……あいつは、女じゃない。……あいつは、『家畜の死神』だ。……俺はただの、動くタンパク質として見られていただけだった……」
社内の噂はさらに加速した。
『営業部のゴリラ先輩、久我さんに肉食の洗礼を受け、一晩で十キロ痩せたらしい』
『あの体格で、彼女のスタミナについていけなかったのか……。久我さん、どんだけ激しいんだよ』
久我みさきは、今日も涼やかな顔で、電話を取っている。
「はい、お疲れ様です。……ええ、昨夜はとっても『バイタリティに溢れる』夜でした」
彼女の胃袋が、次に「狩り」の場として選ぶのはどこか。
そして、その生贄となる、次の「自惚れ野郎」は誰か。




