現実と夢と空想のあいだに
現実と夢と空想のあいだに 深水湖水
ここはどこなのか?
わたしは誰なのか?
確かにここは知っている。
知っているのにわからない。
知っているという感覚だけが確かにある。
空は広く、白い千切れ雲がそこかしこに浮かぶ。
視界の届く範囲、どこまでも連なる建物の背はどれも同じくらいの低さで、瓦屋根はほとんど見られない。大抵は二階程度の小規模な集合住宅だ。
それらの間を走る道路は整然としていて道幅も広く、多くの車が行き交っている。歩道を歩く人も多い。だが、車も人も姿は見えない。そこにいるだろうと感じられるだけだ。
わたしは一人だった。
大きな都市の、その辺縁の、大河のほとりの街に。
街はあり、車は走り、人はいる。
街、車、人、それらはいて、でもいない。
それはわたしも。
わたしは思い出す。
そうだ、大河があったのだ。
空の広さは、それが近くにあるせいだ。
その証拠に、集合住宅の群れのずっと向こうに巨大な堤防が見えている。
これは夢ではなく、空想なのだが現実に体験したことが元になっている。
そのことは、はっきりと自覚している。
なぜなら、この空想のもとになった体験を、今でも克明に思い出せるからだ。
それは、わたしが少年だったある日のこと、自転車で大河の河口を目指して街を駆け抜けた、その帰り道でのことだった。
わたしは確かに見たのだ、いや感じたのだ、この風景を。
そして少年だったある日、この空想のもとになった夢を一度だけ見た。
以来、ちょっとした瞬間に、この場面を空想するようになった。
なぜ、そうなったのか?
なぜ、そうしているのか?
理由はわからない。
現実と、夢と、そして空想の間にきっと何かがあるのだろう。




