第8話 3分の1ベットの魔法
その一週間後。
アカツキがいつもの喫茶店の扉を開けると、待ち焦がれた人物が、窓際の席で静かにコーヒーを飲んでいた。日焼けした精悍な顔つきに、どこか余裕のある笑みを浮かべたソウマだ。
「ソウマさん!おかえりなさい!」アカツキは弾かれたように駆け寄った。
「ああ、ただいま」ソウマは、変わらぬ落ち着いた声で迎えた。
アカツキは興奮気味に椅子を引き、この一週間の、ポストフロップに関する苦闘と課題について熱弁した。
「ソウマさんから教わったオープンレンジのおかげで、プリフロップはマシになったんですが、フロップが開くと途端にダメなんです!特に、**CB**を打つべきかどうかがよくわかりません!」
アカツキは、すぐにナプキンを取り出し、あの時のハンドのボードを書き写した。
K♠︎ J♠︎でオープンし、ボードは9♥︎ 7♦︎ 3♣︎。
「このハンドでポットの1/2を打って、相手が降りてくれたんですが、あのベットは正しかったんでしょうか?」
ソウマはアカツキのメモをちらりと見た後、すぐにその疑問の核心へと切り込んだ。彼は手に持っていたコーヒーカップを、テーブルのちょうど中央に置いた。
「GTO的な答えを言えば、ベットでもチェックでも、どちらも間違いではないだろう。だが、それでは何の上達もできない。まずは、その**『迷い』**を消すための考え方を解説しよう」
***
「ポストフロップ、つまりフロップ以降の戦いは、プリフロップよりもはるかに複雑だ。最適な行動(最適解)を導き出すには、お互いのハンドレンジ、ボードのテクスチャ(構成)、ポジション、スタックサイズなど、あまりにも多くの要因を考慮しなければならない」
「だが、それを君が今、完全に理解する必要はない」ソウマは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「まずは、『レベル1の簡易戦略』から始めよう。これは、初心者がポーカーの『戦術の感覚』を掴むための、最もシンプルな武器だ」
「前提条件として、君がプリフロップでオープンレイズし、ビッグブラインド(BB)だけがコールした状況に限定する」
「よくあるシチュエーションですね」アカツキは頷いた。
ソウマは、人差し指でカップの高さの、およそ三分の一の部分を示した。
「そうだ。そしてレベル1では、この状況ではどんなハンド(役)であろうと、どんなフロップのボードであろうと、ポットサイズの**『3分の1』**をベットする」
アカツキは思わず目を丸くした。
「えっ?どんな手でもですか?K♠︎ J♠︎でペアもドローもないボードでも?Q♦︎ Q♣︎でエース・キングが並んだ最悪のボードでも?」
「ああ、全てだ。君のレンジ(持ちうる全てのハンドの範囲)の全てのハンドでベットするから、これを**『レンジベット』**と呼ぶ。この方法は、戦略を究極にシンプルにすることに意味がある」
***
ソウマは、この1/3ベットが、ポーカーの**セオリー(定石)**に基づき、いかに有効であるかを解説した。
① 相手にレンジを読ませない
「君が強い役(例えば、ボードで一番高い数字とのペアであるトップペア)を持っている時も、弱い役(ただのハイカード、つまりノーペア)を持っている時も、全く同じ1/3のサイズでベットする」
「そうすれば、相手は君のベットサイズから、君のハンドが強いのか弱いのかを推測できなくなる」
「これが、君のレンジを守るということだ。君は全てのハンドを同じベットサイズに**『混ぜている(バランスさせている)』**んだ」
「なるほど!……あれ?じゃあなぜ、自分 vs BBの時しかやらないんですか?」
② 自分のレンジが強いから
「いい質問だね。理由はいくつかあるが、一番大きいのは、BBのレンジが弱いことだ」
「トーナメントのBBは、最初に1BBを払っている。その分安くフロップが見られるから、オープンレイズのレンジに比べてかなり広くコールするのが普通だ」
「だから、君がオープンレイズしたレンジと、BBがそれに対してコールしたレンジを比べると、君のレンジの方が圧倒的に強い」
「君は強い手しかレイズしていないが、BBは安いオープンレイズなら3と4のオフスートのような弱い手でもコールすることができる。つまり、フロップが開いた時点で、君の方がBBよりも平均的な勝率が高い。強いハンドを持っている可能性が高いんだ」
「そしてBBのレンジには、フロップで全く発展しなかった、どうしようもないハンドが多くある。これらをポットの1/3という安いベットで降ろしておくことが重要だ」
「どうしようもないハンドなのに、わざわざ降ろしておく必要があるんですか?」
「そうだ。例えばA95のボードで自分がK9、相手がT3を持っていたとしよう。現状は君が勝っているが、もしターンかリバーでTが出れば負けてしまうだろう」
「このように、現状勝っていても相手の弱いハンドを降ろすことで、**『逆転される可能性を潰す』**というメリットがあるんだ」
「なるほど!でも、降りてもらうことにメリットがあるなら、相手が全てのハンドでコールしてくる場合はベットしない方が良いんですか?」
アカツキは、**「相手にコールされた場合」**について尋ねた。
「いい質問だ。こちらの説明がしっかり理解できている証拠だ。しかし、その答えはNOだ」ソウマは力を込めて言った。
「ポーカーの最終目的は、長期的にチップを増やすこと、つまり期待値(EV)を最大化することだ。このBB対君の状況では、君は平均的に勝率が高い状態にある。勝率が高い状態でポットにチップを投じれば、相手がコールしてきても、長い目で見れば君が得をする」
「相手が降りてくれれば、**『逆転負けの可能性を潰した利益』が得られる。相手がコールしてくれれば、『勝率の高い状態でポットを大きくした利益』**が得られる」
「どちらに転んでも、君の期待値はプラスになる。だから、BBとの戦いでは、全ハンドでCBを打つことが有効な戦略なんだ」
***
「へぇ。よくわかりました。ところで、相手がBBだけじゃなくて、例えばBTNとか、あとはSBとBBの2人にコールされた場合とかの時に使うと、どんな問題があるんですか?」
「おお、今日は随分と学習意欲が高いな」ソウマは楽しそうに笑った。
「ええ、なにせ一週間待たされましたから!」
「ははは……。例えばBTNなどにコールされて君が**先手(アウトオブポジション、OOP)**になった場合は、逆にほとんどCBができなくなるよ」
「ええ!?それだけポジションが重要ってことですか?」
「それもあるが、一番の理由は、君のオープンレンジよりもBTNのコールレンジの方が強いことが多いからだ。相手が強いハンドを持っている確率が高く、こちらの勝率が低い時に沢山ベットしてしまうと、相手の強いハンドに返り討ちにあう可能性が高い」
「なるほど。2人にコールされた時は?」
「これも似たような理由だ。相手が2人いるということは、2人とも降ろさないとポットが取れないということ。それに、自分より相手のどちらかが強いハンドを持っている確率も上がる。SBとBBのレンジを合わせたものに、君のレンジが勝ることは難しいからだ」
ソウマはトランプをシャッフルし、締めくくった。
「今日からしばらくの間、君は**『オープンレイズ → BBコール』**の状況になったら、全てのフロップでポットの1/3をベットすることをオススメするよ。役があってもなくても、ボードが悪くてもだ。レベル2は、ある程度これに慣れてからだね」
「わかりました」
「この**『3分の1ベットの魔法』で、ポストフロップという名の迷宮の第一歩**を踏み出すぞ」
アカツキは、迷いが消えたことで、体の中から熱いやる気が湧き上がってくるのを感じた。
「はい、ソウマさん!」
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「そういえば、海外はどうだったんですか?」
「ああ、キャッシュゲームで100万勝ち、トーナメントで1000万勝ちぐらいだったよ。今回は運が良かった」
「えぐ……」




