ちょっとアブない博士
「冷たいようだけど、あなたたちが新型結核に感染してない、という証明が出来ない限り、中に入れるわけにはいかないの」
状況から、まあ、それは理解できる。
だけど、ミコの優等生ぶった態度が僕にはどうしても鼻につく。
「まあ、それは、分かるけどもよ。だいたい、何でお前が代表ヅラしてシャシャリでて来んだよ。先生でもあるまいし…」
普段のミコならここで突っかかってくるところだが、彼女の声はこわばったままだ。
「先生たちは…先生たちは、体の弱い音楽の恭子先生を除いたら、全員が都心からの救出を求めるために出ていってくれた…けど、誰ひとり帰って来ないの…先生たちは私たちを裏切るような人たちじゃない。だとしたら、新型結核に感染して帰って来れなくなったとしか考えられないのよ」
ミコの言葉に、僕は押し黙るしかなかった。
しかし、中に入れないにしろ、少なくとも食糧についてはめどがあることは、このさい伝えておこう。
「非常食は、あとどれくらいあるんだ?」
少し間をおいてミコが答えた。
「三週間分はあると思う。でも…時間の問題ね」
ミコの声は暗かった。
僕は話すトーンを一段上げた。
「良いニュースがあるんだ。実は、瀬神港の或る倉庫に行けば、この学校の生徒たち全員が一年間くらいは十分食べていける食糧がある。今からそこに向かおうと思ってる」
確かな返事はない。が、ミコたちも、これで少しは望みが持てるはずだ。
「い、いっ、医薬品も足りないはずだよね?ヨッコちゃんの喘息は大丈夫なの?」
マツオが突然、どもりながら話しに割って入った。
「…今は緊張感もあるからか、あんまり深刻な病気の人はいないけど…」
ミコの返事はどうも歯切れが悪い。
おそらく、持病をもっているけど薬が手元にない生徒たちが複数いるのだろう。
カラが言った。
「タケシ。もう、こうなったら、ここにいても時間の無駄だろ? 陽が落ちたら先に進めないんだぜ。塀の上で寝るわけにはいかねぇんだし」
その通りだ。今は感傷に浸っているときではない。
僕は、カラとマツオの顔を見て頷くと、分厚い鉄の扉に向かって大声で叫んだ。
「皆んな! とにかく、頑張れよ! 港の倉庫に行けば、食糧だけでなく、薬とか、他に役に立つものも、きっとある。必ずどうにかしてここまで持ってきてやるからよぉ!」
ミコからは何の返事もない。
よし!
「じゃあ、いっちょ、やったろうか?」
マツオが少しおどけた様子で言った。
「こ、これって、僕らがヒーローになれるかも、って展開?」
ニヤリと僕は微笑んだ。
「かも、な!」
何が嬉しいのか、マツオは奇声を挙げている。
「なんか、はじめて自分が人生の主人公になった、って気がするぅ!」
カラがマツオをなだめた。
「おいおい、まだ倉庫にも着いてもないし、学校に食糧を運べてもいないんだぜ。途中で音を上げんなよ!」
マツオが頭をかいた。
「出発しよう!」
そう言い放つと、僕は後ろを振り返らずに校庭の金網の出口へと歩き出した。追いついたカラもマツオの顔も、どこか誇らしげだ。
高校から瀬神港までは、日頃は渋滞していて、直線道路も少なく、車で十分くらいのところだ。しかし、塀の上を歩くぶんはそんなことは関係ない。最短距離で行ける。眼の前にずっと続く屋根の波を見ても、もう、三人の気持ちは怯まなかった。
それから僕らは、通り過ぎる家を指差しながら、十戸越えれば一つクリア、といったゲーム感覚で先を急いだ。
そして、それを三回くらい繰り返したところで、また新たな一戸目のブロック塀へと、今まさに足をかけようとした、
その瞬間!
バシュッ!
突然、家の縁側から何かの発射音が聞こえたかと思うと、後ろからカラの叫び声が?!
「ぐわあっ!!」
咄嗟に振り返ると、カラは家の庭の草むらの中に落ちている!
しかし、人の心配をする間もなく、2回目の発射音が鳴ると、僕の顔に何かの液体がかかった。
驚いて手で顔をぬぐうと、最初に透明だった液体は、みるみるうちに黄色の、安っぽいジュースのような色に変化していく!
僕はそれでも塀の上で何とか踏みとどまったものの、後ろのマツオが3発目の餌食になり、ドスン、という音を立てて塀の内側に落下した!
銃が発射された家の縁側の方向を見て、僕らは絶句した。
というのも、そこにいたのは、テレビの歴史番組などで見てきた、月面着陸の際のあの宇宙飛行士の姿そのものだったからだ。
顔を金のシールドで覆ったヘルメット、白いゴワゴワとした合成繊維のスーツに生命維持装置を背負った何者かが、家の庭に立ちはだかり、その手には銃のようなものを構えているのが見えた。
落ちたカラが無鉄砲にも、相手をにらみつけ、声を荒げる。
「何しやがる! いったい、何をぶっかけやがった?」
ヘルメットには日よけ加工がされているため、ここからその表情は読み取れない。
そいつは、数秒間、まだ黙って立っていたが、やがて首元のロックリングを分厚い手袋でスライドして解除すると、ヘルメットをおもむろに取り外した。
出てきた顔は、ひげ面に天然パーマの、口元をまっすぐに結んだ不愛想な男だった。
訳も分からずに僕らはただ、ぽかん、として彼を見つめた。
男は、顎のヒゲを指で撫でながら、感心したようにうなずいている。
「ふぅむ。突貫工事で作った割には成功したようだな。君ら安心したまえ」
僕はいいかげんムカついた。
「何が安心したまえ、だ! 変な薬剤ぶっかけておいて!」
男は、頬に冷たい笑みを浮かべた。
「あぁ。君らには分からんだろうが、その薬剤は、新型結核に感染しているかどうかがわかる検査薬だ。黄色に染まれば感染してない、ということさ。検査薬発射銃。こう早々に使うことになるとはなぁ。まあ、これで実験の手間が省けた」
そうか、これは感染を確かめるためのものだったのか? それにしても手荒い歓迎ぶりだ。
カラは、まだ気が収まらないのか、男に食ってかかった。
「感染してねぇのを確認したいのは分かるにしても、あまりに酷すぎないか、オッサン? それになんだよ、その恰好は?」
彼はまだ不敵な笑みを浮かべている。
「これかい? これはなぁ、私の友人が米国で博物館長をやっていて、閉館する際に譲り受けたものだ。本物ではないが、寸分たがわぬレプリカなのさ。あの細菌の性質が分からない以上、身を守るにはこんな術しかないんだ」
とにかく、敵ではなかった。僕らは安心した。
「君らがなぜ今まで無事だったのか、不思議でならんが…。まあ、あがっていけ。人と話すのもひさしぶりだし、な」
先を急がねばならないとも思ったが、少なくとも、生き残っているこの人が何らかの有益な情報を持っている可能性はある。それに、最悪、ここに泊まらせてもらうことだって出来なくはないだろう。
僕らは言葉に甘えて、家にあげてもらうことにした。
ただ、縁側から一歩家に入るや、自分の判断を後悔した。
そこには足の踏み場もないほどに学術書や雑誌が床に散乱し、作業台のうえには光学顕微鏡やホコリを被ったフラスコやビーカー、試験管などが所せましと置かれ、さながら企業のラボのようだ。その背後の天井までつながった本棚には、分厚い専門書が隙間なく整然と並んでいる。
男が、積みあがった本の山のひとつを床下にばらまくように払いのけると、ようやくソファの下地が見えた。
「ここっ…邪魔な本はどけて、適当に座ってくれ」
続けて、彼はきれいなビーカーを三つ見繕い、そこに茶葉を入れると、ポットの湯を沸かし始めた。
興味津々の僕らは、壁の余白に所狭しと飾られた賞状をじろじろと眺めていたが、マツオが好奇心が抑えられないのか、先陣を切って彼に尋ねた。
「ここに、DOUZEN て、書いてあるけど、あなたの名前なんですか?ここにある賞状も全部あなたのもの?」
チラっと、男はマツオを見た。
「ああ、そうだ。導善仁」
それまで二人の会話をボウっとながめていたカラだったが、突然ハッ、と何かに気づいたように声を挙げた。
「どうぜんじん! 僕は小さい頃学者に憧れてて、小学生の時、科学の友の付録で付いてきたトレカで遊んでたんだよ! その中の強いカードの一枚に、ノーベル賞の前哨戦であるワグナー賞を受賞したドウゼン、て科学者がいたんだ! けど…まさか…」
男は肩をすくめた。
「その功績も、太陽系外隕石の中に未知の細菌の痕跡がある、と主張したときから地に落ちたがな」
ポットのお湯を急須に入れながら、導善の話しは続いた。
「とにかく、今回の新型結核は分からないことばかりだ。遺体から菌が噴出し、エアロゾル感染を引き起こす現象もしかり。私の見立てでは、半径十メートル以内に接近すれば感染の危険は100%。その結果を友人の科学者に伝えたところ、その説がいつの間にかスタンダードになってしまっている。ただ、亡くなっていくのは遺体に近寄った者だけではない。家の中にいるものも次々と感染で倒れている。これは、菌が風に飛ばされて広がっているにしても、それだけでは説明がつかない現象だ。どうやら、この細菌は、人類を一人残らず滅ぼさないと気がすまないようでね」
彼はしばらく苦り切っていたが、今度は、あたかも警察の取り調べのように、僕らのこれまでの行動を根掘り葉掘り聞き始めた。
学校を抜け出しロックダウン前に都心に逃げ込もうとしたこと。
学校の地下壕に全校生徒が避難していること。
父の会社の倉庫に行けば当面は食糧に困らないであろうこと。
僕の説明を導善はしばらく黙って聞いていたが、食糧についてのくだりになると、彼の片眉がピクリと反応した。
そして、一通り僕が話し終えると、導善はゆっくりと口を開いた。
「新型結核菌感染症。この、いわゆるnew・TBの生態について、私はいち早く気づき、学会から馬鹿にされながらもコツコツと研究を続けてきた。今回の結核菌が隕石によってもたらされたものかどうかは分からないが、南アフリカで最初の患者が出て以来、私は、あの結核菌だと断定し、事態の推移を見守ってきた。だから、この細菌については、私が世界で一番のエキスパートだと自負している」
導善は急に僕の目を覗き込んできた。
「ただ、君らは、聞けば、三人で倉庫に食糧を探しに行き、そして、それを学校の仲間たちのところまで運ぼう、と言うんだろ?」
僕は、ただ、頷くしかなかった。
真顔のまま導善は、こちらが引いてしまうほど、さらに顔を寄せてきた。
「やめておけ」
驚いたカラが血相を変えて即座に反応した。
「なぜなんですか!」
額に深いシワを刻ませて腕組みをすると、導善は冷たく言い放った。
「私の脳内解析では、君らの計画の成功率は、途中で感染して死亡する危険も含めれば、わずかに3%程度だ。今、生き残っているだけでも奇跡といえる」
いつもは臆病なマツオだが、急に怒ったように導善に食ってかかった。
「導善さん! 瀬神高校の全校生徒を見捨てろって言うんですか? そんなことになるくらいなら、僕は挑戦して死ぬことを選ぶっ!」
マツオの気持ちが痛いほど伝わってくる。僕もカラも、考えていることは、同じだ。
息巻くマツオをまるで見ていないかのように、導善は続ける。
「そして、私が君らの助力なしで食糧を見つけて生き残る可能性は、わずかに上がり、7%…」
彼は一呼吸おき、最後に自信に満ちた態度で断言した。
「しかし…。私の助言と手助けにより、君らが実行部隊となり、食糧を学校や私に無事届ける可能性は、18%…」
僕とカラの喉仏がゴクリ、と動いた。
「さぁ、どうする? 一か八か。共同作業に賭けるか、あきらめて死を待つか?」
導善は底光りする眼でじっと試すように僕らを見ている。
「さぁ、どっちだ?」
が、一瞬の間のあと、面白いほどに三人の声がシンクロした。
「やります!」
声が合ったことにビックリし、僕とカラとマツオは照れたように互いの顔を見合わせている。
これまでどこまでも冷静だった導善の顔が始めて緩んだ。
「よし! 手を組もうじゃないか!」