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瀬神町、封鎖さる

 授業であのテレビのニュースを見てからというもの、みんなの話題はもっぱら新型結核一色になった。

 いつもなら下校時間後も学校に留まって騒ぐのが常なのだが、その日は瀬神港のことが気になり、僕は早々に校門を出た。

 家に帰ると、母が深刻な顔をしてリビングのテーブルに座りテレビを見つめている。


「ああ、おかえり。なんか、大変なことになってるねえ」

「うん。僕も授業中にニュースで見た」

「曽根首相も今、危機対策で官邸に缶詰状態だってさ」

「ふ〜ん…ところで、パパ大丈夫なんかな?会社、港のすぐそばでしょ?」

 僕の父は倉庫会社に勤めていて、海外からの船便をストックするために港に大きな倉庫を設けている。 本社も倉庫に隣接した倉庫街に建っていた。

「あ~、何か、もともとお客さんと会食の予定があったらしいけど、キャンセルして早く帰るって言ってたよ」


 ほどなくして、背広姿のかなり疲れた、青白い顔をした父が帰ってきた。

「おかえりなさい。あなた、すぐご飯にする?」

 父は母の問いかけにあぁ、と沈んだ声で答え、テレビを睨みながらネクタイを緩めた。

 港の状況は今、どうなのだろうか。

「パパ、会社ってさぁ、瀬神港のすぐそばにあるじゃん。周辺はどんな感じなの?」

「周辺か? そりゃあ、大騒ぎだよ。マスコミが大挙して駆けつけるわ、政府関係者や医療スタッフが押し寄せるわ、でな」

「あの血を吐いた記者さんいたけど、どうなったのかな…」

「あ、あのテレビ中継に出てた人だろ? なんか、ダメだったらしいぞ…でも、な。もう、一人二人の問題じゃあないんだ。とにかく感染力がハンパないし、客船の中でも、既に三十人以上が亡くなっているらしい。なにしろ、あの記者にしても、防護服を着て過ごしてたのに感染したわけだからな」

 話すのをやめて父は一度大きく息を吸い込んだ。

「とにかく、これはなぁ。おおごとになるぞ。いつでも家を出れるように防災リュックだけは準備をしておくことだ」

 母は心配げな顔をして、うなずいている。

「僕はどうしたら良いの?」

「休校の連絡がないなら、とにかく、普通どおり登校するしかないな」

 そんなことをしている場合だろうか。

 僕は父に言いかけたが、あえて反論はしなかった。

「…ま、そうだね。学校がこんな問題には一番敏感だろうし、もしものときはすぐ下校すればいいし」

 自分自身を納得させると、次の瞬間には僕はもう、夕飯のメニューを母に尋ねていた。



 翌日、不安もあったが僕は父の助言どおりに登校した。

 だが、教室の朝のホームルームの時間になっても、担任の井手先生は現れない。


「職員室から先生たち出て来ないよ」

「先生たちみんな、校長室にあるテレビに釘付けらしいぜ。なんか、重大な発表が政府からあるとかで」

「来れないなら来れないで、自習してろ、とか言ってくれればよいのに」

 生徒は口々に不満を述べている。


 先生が来ないのをこれ幸いと、僕とカラは昨日のお笑いグランプリで優勝したネタのモノマネで盛り上がっていたが、やがて、ひっきりなしにLINEの着信音がカバンの底から聞こえてきているのに気付いた。


 僕らの通う学校は曲がりなりにも地域では名が通った進学校で、スマホの使用には超厳しく、いまだに時代遅れの持ち込み禁止の校則を続けていた。が、僕はここ数日のテレビでの状況を見て、何気なく万一のために、と、学生カバンの二重底の下にスマホを隠していたのだ。


「し~っ」

 カラに向かって人差し指で口を塞ぐと、僕は誰にも気づかれないようにそっとカバンから携帯を取り出し、教科書を立てた蔭でアプリを立ち上げた。

 パパからだ。

 なんと二十件ほどの着信とコメントがずらりと並んでいる。



今、学校だろ?先生はなんと言っている?

スマホをもし持っているなら至急連絡してくれ!

大変なことになってる! 可能なら今すぐ町を出なさい!

パパは会社を早退し家に帰った

テレビの緊急事態宣言を見たあと

ママと一緒にギリギリ都心行きの電車に乗れた

今、都内の支社にいる

テレビの首相の話しは聞いたのか?


 事態が飲み込めない僕は、とにかく高速で指を動かした。


まだ学校だよ。先生たちが来ないから教室で待機してる


 父から数秒で返事が来た。

何やってんだ、先生たちは!

あと五十分もすれば都市封鎖されて町から出れないんだぞ!


 ただごとじゃない。

 僕は直感した。

 急ぎ、YouTubeの動画一覧を確認すると…

 あ! あった! タイトルは…曽根首相、緊急事態宣言発表、瀬神町封鎖


 な、なんだってぇ?

 今こそタップして動画を見ようとしたその瞬間、校内放送のアナウンスが響き渡った。

 

 あ、うちの担任の井手先生の声だ。たしか先生は放送部の顧問もしてたっけ?


「生徒の皆さん…。今から、皆さんには、重大な発表をしなければなりません…」

 いつもは冷静な、あの井手先生の声が震えて、裏返っている。

「校長の霧峰先生から具体的な説明があります。どうか、着席したまま、ご静粛に願います」

 先生どうぞ、と井手先生が校長に促すのが聞こえた。


 実を言うと、僕は、とにかくこの校長が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

 弱い者には強く、強いものには弱い典型なのだ。

 たとえば、近所の学校の校長が集まる研究会などではお偉方の先生にへーこらしている姿を見せるものの、できの悪い生徒やその父兄にはやたらと当たりが強い。そして、普段は威張るくせにいざという時に責任をとろうとせず、すぐに教頭や他の先生に責任をなすりつける。

 僕がミコの密告によって呼び出されたときもそうだった。

 弁解のチャンスすら与えられず、とにかくネチネチと二時間以上も小言を言われ、次に同じことを繰り返せばどうなるか分かってるだろうな、と脅された。

 ただ、いつもは鼻につくほどに高慢ちきな話しぶりなのだが、今日は緊張でガチガチといった様子だ。

 いったい何を話すつもりなんだろう?

 校長の声はいつもの堂々としたものではなく、弱々しく今にも消え入りそうだった。


「生徒のみなさん…本日は、重大な決断を皆様にお伝えしなければなりません…。

 すでに報道のとおり、瀬神港に寄港している客船、ステラ・ブリーズ号にて新型結核の第一号患者が発生し三日目となりますが、船内での死亡者数は既に九十五名、船外での死亡者数十一名にのぼり、具体的な感染対策もない中、医療従事者の方々も決死の思いで治療に当たられています。この新型結核の感染経路は、直接感染だけでなく、空気感染力が極めて強く、船内でも、たとえ同室していなくても感染したケースが多々見られます…

 また、この感染症はすでに船内だけでなく、瀬神町にもまん延しているおそれがあります。というのも、ステラ・ブリーズ号から観光で瀬神の旧城下町へと出向いた約三百名の旅客のみなさんが、船で感染者が発生したために町内で足止めされていたわけですが、その方々の中でも患者が発生し、死者が続出しているからです。

 政府はこのような状況を受け、緊急事態宣言を発出し、感染症を防ぐ唯一の方法は、この町を封鎖するしかない、という決断をくだしたわけです…」


 生徒は口々に悲鳴を挙げた。

「なんだってぇ」

「私たちを見捨てるつもり?」

「お父さんお母さんたちにどう連絡したら良いの?」

「自分たちだけが助かるって、あまりに自己中だろぉっ」

「今すぐここから出るっきゃないでしょ?」


 校長は震える声で続けた。

「…実際に瀬神町が封鎖されるのは、今から四十分のちになります…。しかし、通常でもこの瀬神町から都心へと移動するには、自転車でも三十分程度かかり、パニック状態の中、生徒の安全が保証できる状況にないため、本校の職員および生徒は学校に留まることといたしました」


 さらに大きい悲鳴が生徒から挙がった。


「しかしっ、しかしっ、みなさん、どうか安心してください…。平和学習でもご存知のとおり、この瀬神が軍港だったおりに校庭の丘に作られた半地下の掩体壕。かつては零式戦闘機や九七式中戦車などを格納していた巨大空間があり、幸いなことに災害モデル校となっている本校は、そこに約一ヶ月分の食糧を備蓄しています。ですから、この学校の地下に留まり、政府の救助を待つ、というのが皆さんにとって一番安全な選択で…」


 校長の話しはまだ途中だったが、僕は続けて聞いても無駄だ、と悟った。

 今から四十分後にロックダウン? 自転車なら楽勝だ。

 どう考えても、地下壕に一ヶ月生活するなんて馬鹿げている。あの校長と心中する気なんて僕にはさらさらないのだ。これまでの校長のミスリードを何度も見ているだけに、とうてい賛成できる案ではない。

 生徒たちの怒号が飛び交う教室から、僕は皆に気づかれないように、こっそりと後ろの引き戸へと向かった。

 廊下に出て、自転車置き場へと急ごうとすると、後ろからバタバタとした足音が追いかけてきた。

 カラだ!

 余計なことをっ!

 一瞬、僕はカラの顔を睨みつけたが、次の瞬間、互いに微笑んだまま並んで駆け出していた。


「お前、なんでついてくるんだよぉ」

 カラが答えた。

「おんなじ理由だよ! アイツにはとても付いていけねえ。寿命が逆に縮まっちゃうよ」

 走りながらカラは笑った。


 二人して廊下を走って校舎の突き当りの前に来ると、引き戸から顔を出した甲高いミコの叫び声が後ろから聞こえてきた。

「あんた達! 何やってるの! みんな~、 先生ぇ、タケシ君たちが単独行動しようとしてます! 捕まえてぇ!」


「あっ、こりゃマズイ、カラ、急ごうぜ。あいつと関わるとろくなことはない」

 自分たちの世界が崩れ落ちそうになっているというのに、なぜか僕の心はワクワクとした期待感でいっぱいだった。


「じゃあなぁ~、ミコ、せいぜい先生の言う事でも聞いて、一ヶ月間お利口さんにしてろよ!」

「バイビー、ミコ」

僕らはそう言い捨てると、校舎の重い鉄の扉を開けてさっそうと外に降り立った。




 








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