新たなる使命(前編)
瀬神高校をあとにして、北上して瀬神谷へと向かった僕らの気持ちは明るかった。
なぜなら、地下壕の仲間たちと合流は出来なかったけれど、彼らにもきっと、苦労して調達した食糧が届くと確信ができたからだ。
それに、ミコは、地下壕に留まるのは「もう少しだけ」と言っていた。
いずれは再会し、どうやって生き延びていくのかを互いに語り合える日も遠くはない、そう思えたのだ。
校庭から都心方向を見渡すと、日頃はスモッグで霞んでいる高層ビル群も、今日は青々とした空を背に、くっきりと確認することができる。都心の交通網も、この分じゃおそらく麻痺してるのだろう。
塀の上や家々の屋根を伝うのは二度目だ。もと来た場所に引き返すのは僕らにしたら楽だろうと思っていたが、よくよく考えると、今回はネーサンがいた!
が、僕の不安をよそに、彼女は大柄なうえ、運動神経もよく、高いところを怖がる風でもない。
むしろ僕たちを急かし、追い越すくらいに速いのだ。
カラがあわてて声を挙げた。
「お、おいおい、押すなって…そんな速くはいけねぇんだから…」
「ひぇ~…、よくこんなところ通ってきたわねぇ、あんたたち。マツオ君も、ここ、ホント、歩いてきたの?」
広げた両手でうまくバランスをとりながらネーサンは僕とカラのあとを軽々と進んでいく。マツオはいつの間にか追い越され、最後尾になってしまっていた。
先頭を行く僕に、カラが声をかけた。
「ところで、タケシ」
前を向いたまま僕は応えた。
「なんだ?」
「あのモノノベ一族の人たち、ガチ信じらんないよな? 刀の腕前もだけど、あの、『気』だけでアンドロイドの顔を弾き飛ばす、あの力。お前も身につけたいと思わないか?」
たしかに、カラが惚れ込むのも無理はない。それに、今回、僕らと同じようにステゾーやセイジも塀の上を歩いて谷へと向かうとばかり思っていたところ、彼らの行動は想像の遥か斜め上をいった。
出発前、僕はステゾーに尋ねた。
「ステゾーさんたちも、塀の上、一緒に歩いていくんでしょ?」
ステゾーは、何を言ってる、という感じで答えた。
「行かねーよ。普通どおり道路を歩いてく」
「え? じゃあ、感染の危険、モロ、くらっちゃうじゃないですか?」
僕は驚いた。どういうつもりだ?
「まぁ、びっくりするのも無理はないわな。実を言うと、ある丸薬を飲んでいる」
「丸薬? 薬のことですか?」
「ああ」
ステゾーは懐をまさぐり、黒いビロードの革袋を取り出し、巾着の紐を解いて、中から黒い丸い粒を取り出した。
「それを…、それを飲んだら感染しない、ってこと?」
僕は息を呑み、目を丸くしてステゾーの手のひらをじっと見つめた。
すると、それを見ていた親方が口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと解説し始めた。
「『神苦丸』…それは、満月の夜にとれた黒ヨモギの葉を乾燥させ、タラノキの皮、クチナシの根、センブリと混ぜて固めたものじゃ。黒ヨモギは古くからこの谷に自生していたヨモギとビワの原種が地下で交雑して生まれたもの。
ヨモギやビワの葉は、言わずとしれた日本やアジアにおいて長らく民間薬として重宝されてきた薬草だ。が、この黒ヨモギの薬効はその比ではない。
このヨモギの突然変異体は、人体の自己免疫の臨界的増幅を呼び起こし、服用後数時間は粘性の高い抗菌膜が形成され、飛沫や空気感染への耐性が極端に上がる。そして、極微量のシアン誘導体が中枢神経に作用し、痛覚や空腹感が麻痺する。
と…。一見よいことばかりに聞こえるだろう?
が、ある量を超えて接種すると、自己免疫暴走によって、多臓器不全を引き起こすという厄介な側面もある。
我々一族は、ロックダウン後、この『神苦丸』のストックを利用することによって感染の危機からなんとか生き延びてきたというわけさ」
僕は喜びのあまり叫んだ。
「じゃあ…、それを学校にいる皆んなに飲ませれば、外に出ても生きられるってこと?!」
ヒゲを触りながら親方がニヤリと笑った。
「まぁ、理屈では、そうだ。が、しかし、実際にはそんな量は確保できんがな…
それに、我々にしたって、神苦丸に頼り切りというわけではない。
たまたま、水中で無呼吸で三分間は動ける訓練をこれまで行ってきたことが、町を歩く中で役立っているだけだ」
一瞬、親方は息をのみ、僕の目を覗き込んで続けた。
「にしても、君たちはほんとうにそんなものが必要なのか?
タケシ君、カラ君、マツオ君、そして、新しく加わったネーサンさんも、血を吐いて倒れてるか?
わしからすれば、そのことの方が神苦丸の存在よりもはるかに不思議だ。
もしかしたら、その理由が判明すれば、事態の打開に結びつくような…そんな気もするが…?」
「あっ? もう先回りしてステゾーさんたち、谷の手前の家の屋根の上に登って待ってくれてるよ?」
マツオの声で、僕は親方から聞いた薬草の話しから、一気に現実に引き戻された。
屋根の上に筋骨隆々とした体で腕組みをし、僕らを笑顔で見つめるステゾーとセイジ。
マジ、憧れる。
カラが「気」の力に惹かれているように、僕は彼らから剣術を学びたい!
そうすることで、あの歯の立たなかったアンドロイドたちを見返してやりたいのだ!
僕らが瀬神谷に到着したのは、ちょうど頭の真上に太陽が燦々と降り注ぐころの時間帯だった。
我々が来るのを見越し、彼らは、谷の底に並ぶバラック小屋の間の空き地の雑草を刈り込んでくれていた。どうやら、そこにテントを張れ、ということみたいだ。
「あ~、そのテント色、良いわね~。マツオ君、私のと代えて~」
「え? ま、どっちでもいいけど…」
四人で防災用の一人用テントをワイのワイの言って立てていると、なんだかこれまでの追い詰められた雰囲気が嘘のようだ。まるで楽しいキャンプのようにも思えてくる。
女子が一人でも入ると、グループの雰囲気はこうも変わるものなのか。
それぞれがテントをペグで地面に固定し、中に入ってくつろいでいると、いきなり僕のテントにカラが声をかけてきた。
「タケシ?」
「あ?」
「行こうぜ」
「? どこに?」
「いますぐ、修行、はじめたいんだよ」
「何いってんだ? 時間はいくらでもあるんだから、明日からにしようぜ?」
「いや、待ちきれないんだよ、なんだか」
カラはいつもこうだ。一度決めたら、止まらない。
「気持ちはわかるけど、ステゾーさんたちの都合もあるだろ?」
「分かった。聞いてみる」
こんなときのカラの行動力には感心する。
一分もしないうちにテントの入口に戻ってきて、鼻息荒く、ステゾーとセイジから了解を取り付けてきた、と報告してきた。
しょうがない…
僕だって沸き立つ気持ちはあるけど、何もそこまで急がなくても…
カラは、すぐにネーサンとマツオにも話しをつけてきたらしく、僕がテントの外に出ると、もうすでに全員が集まっていた。
ステゾーが眉間にシワを寄せた。
「本当に今日からやるのか?」
カラが力強く頷くと、その隣のネーサンも元気に応えた。
「はい!ステゾーさんたちには悪いけど、ワクワクしてきちゃって…それに、どうせやることもないんだし…」
マツオは、というと、どちらかといえば、僕と同意見のようで、渋々、といった様子だ。
ステゾーは軽くため息をつくと、肩をすくめた。
「しゃぁねぇな…じゃ、着いてきな。」
バラックが並び立つ向こうは、すすきや葦の黄金の海だった。二メートルはあるであろう背丈よりも高い雑草にステゾーとセイジが先に分け入ると、僕ら四人もその後に続いた。
すすきの根元に足を踏み入れると、ざわざわと茎が倒れ、道が拓けていく。葦の葉先が頬をかすめる。
一同草々に呑み込まれたまま、並んでしばらく進んでいると、今度は群生した草がまばらになり、向こうの景色が少しずつ見えてきた。
ステゾーがとつぜん立ち止まり、後ろを振り向いた。
「さあ、ここから先は________」
(後編へと続く。配信は明日の予定)




