読める! 読めるぞ!(3/4)
「さて。現物をお見せしましょうか?」
オトがスマホをタップする。何でもかんでもデジタル所蔵されちゃって! 便利な世の中よのう!!
見た。
「……1文字もわかりません」
「サンスクリット語を梵字で書いているので当たり前です。これを『ローマナイズ』します」
ローマナイズ?
「ローマ字表記にするってことです」
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namassarvajJaayaaaryaavalokitezvarabodhisatvogambhiiraMprajJaapaaramitaayaMcaryaaMcaramaanovyaavalokayatismapaMcaskandhaastaazcasvabhaavazuunyaaMpazyatismaihaZaariputraruupaMzuunyataazuunyataivaruupaMruupaannapRthakzuunyataazuunyataayaanapRthagruupaMyadruupaMsaazuunyataayaazuunyataatadruupaMevamevavedanasaMjJaasaMskaaravijJaanaaniihaZaariputrasarvadharmaazuunyataalakSaNaaanutpannaaaniruuddhaaamalaavimalaanonaanaparipuurNaatasmaatChaariputrazuunyataayaaMnaruupaMnavedanaasaMjJaanasaMskaaraanavijJaaninacakSazrotraghraaNajihvaakaa
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「なんじゃこりゃあ!」思わず叫んだ。
『源氏物語写本』を思い出す。句読点も無いし、カギカッコもない、『暗号』みたいな文章である。
「ちょっと工夫します」
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namas sarvajJaayaa
aaryaavalokitezvara bodhisatvo
gambhiiraM prajJaapaaramitaayaM caryaaM caramaano vyaavalokayati sma
paMca skandhaas
taaz ca svabhaava zuunyaaM pazyati sma
iha Zaariputra
ruupaM zuunyataa zuunyataiva ruupaM
ruupaan na pRthak zuunyataa zuunyataayaa na pRthag ruupaM
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「あっ。ちょっとわかります。ナマス サルバジーニャ…… アーリャーヴァローキテーシュヴァロー ボーディサットヴォー……ちょっと飛ばしますね…… イハ シャーリプトラ ルパーム シュニヤータ シャニヤーティバ ルパーム ルパーム ナ プリタク シュニヤーター シュニヤーター ナ プリタク ルーパーム…………って!さっきやった! ついさっきやった!!」
「有名なアニメの悪役に『読める、読めるぞ!』ってセリフがありますね?」
「大好きなアニメです! そっかぁ! こういう気持ちかぁ!!」
今紫陽は玄奘三蔵と同じ『景色』を見ているのだ!
◇
「ところでね。カブラギさん。玄奘三蔵はサンスクリット語の『般若心経』で訳を飛ばしたところがあります。どこだかわかりますか?」
「わかるわけないでしょ。なんとなく読めるってだけで意味なんかわかりません」
「1行目です」
いきなり!?
「この『ナマス サルバジーニャ』のところです。玄奘三蔵から遡ること250年前のクマラジューヴァも飛ばしています。ほとんどの翻訳者はここ飛ばすんだそうです」
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帰命一切智者
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ナマス 尊敬、崇拝、帰依
サルバジーニャ 悟った者
儀礼的な言葉(帰敬文)だからか?
「彼らは訳を2行目から始めています。まずはクマラジューヴァ」
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観世音菩薩 行深般若波羅蜜時
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「次に玄奘三蔵の訳です」
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観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
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「だいたい同じだけど……ちょっと違いますね。クマラジューヴァは観『世音』菩薩って書いて玄奘三蔵は観『自在』菩薩って書いている」
「そういうときはね。原典に戻るんですよ」
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āryāvalokiteśvaro アーリャーヴァローキテーシュヴァロー 聖なる+観察する+自在の
bodhisattvo ボーディサットヴォー 菩薩
gaṃbhīrāyāṃ ガムビーラーヤーム 深い
prajñāpāramitāyāṃ プラジニャーパーラミターヤーム 般若波羅蜜多+女性格
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「あっ! 『自在』って言ってる! じゃあクマラジューヴァが間違えたんですね!」
「……間違いとかではないです」
「だってクマラジューヴァの訳だと『自在』って意味ないじゃないですか」
「カブラギさん。『源氏物語』の翻訳も『与謝野晶子訳』『谷崎潤一郎訳』『円地文子訳』と様々ありますが、どれが正しくてどれが間違っているとかあります?」
シュンとしてしまった。
「……ないです……それぞれ大事にしたい箇所が違ったり、解釈が違っているだけで……」
「そうです。ただし玄奘三蔵はここは直すべきだと思った。」
原典を当たれば、クマラジューヴァの訳に齟齬を感じることもあった、ということだ。
「他にお気づきになったことは?」
「あー。ここですね。『prajñāpāramitāyāṃ プラジュニャーパーラミターヤーム』ここ『般若波羅蜜多』と訳すなら『パンニャーパーラミッタヤーム』じゃないですか?」
「『般若波羅蜜多心経』はサンスクリット語で『Prajñā-pāramitā-hṛdaya、プラジュニャーパーラミター・フリダヤ(完全な智慧のエッセンス)』って言うんですよ」
◇
いやいやいや! いやいやいやいや!
おかしいって!
【次回】第1章 最終話『お釈迦様の背中を追いかけて(4/4) 』