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3/5

世界最古の般若心経はどこにある?(2/4)

 いつもは1階の打ち合わせコーナーでオトと話しているので、ひっきりなしに足音や声が聞こえてくるが、今日は応接室なので無音だった。


 テーブルにはカップに入ったコーヒーがポツンと2つ。灰皿が窓からの光を浴びて7色の影を落としていた。


 外は晴天らしい。


 オトと2人、思考の箱に閉じ込められてしまったみたいだ。

 紫陽は考え込んだ。


「う〜〜〜〜ん。でもそれなんか変じゃないですかぁ?」

「何がです?」

「そりゃ、玄奘三蔵は偉い人なんでしょうが。意味わからない言葉でありがたい教えを聞いても眠くなるだけだといいますか。現代の言葉にアップデートしては?」

「したんですよ」

「え?」

「玄奘三蔵は『唐』時代の言葉で翻訳しましたが、『呉訳』も、『漢訳』もあります。お聞きになりますか?」

「けっ結構ですぅ!」


 どの言葉で聞いても結局わからんがな。そもそも中国語だし。


 なるほど。これが言葉の難しさか。どんどん発音が変わるから訳しても、訳してもその場から古くなってしまうのだ。


「お経はありがたく『玄奘三蔵』訳で聞き、その場その場で現代語にしてもらう……というのが最善ということになるんでしょうね」


 眠くなるのは避けられないようだ。


 ◇


「はぁ〜。ちなみに中国人は読めるんですか?」


「読めます。意味も推測できます。でも聞いてもわからないんだそうです」

「えっ?同じ国の人なのに?」


「カブラギさん。あなた『恐れ入りますがこの辺りに紫の上みたいな幼女います?』って聞くとき『あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ』って聞くんですか?」

「聞くわけないでしょ。あと発言がロリコン。キッッッッッッッモ!」


「……すみません。僕が言ったんじゃないんです」


 32の男が落ち込んだ。ちょっと可愛い。


「『玄奘三蔵訳』は『紫式部日記』からさらに300年以上前に書かれたものです」

「現代の中国人がわかるわけない!」

「でしょう?」


 ラクダみたいなパッチリした目でドヤ顔する。

 だんだんこいつの笑顔が憎たらしくなってきた。


「ここがね。『漢字』つまり『表意文字』のすごいところです。発音はわからなくても意味はちゃんとわかる。現代の中国語でなんと発音するか聞いてみましょうか」


 そしてオトは『ヨーチューブ』という動画サイトを立ち上げた。誰でも動画が投稿できて、再生数に応じてお金がもらえるプラットフォームである。


 溌剌はつらつとした中国人女性が2人出てきた。黒くて長い髪。何かというと顔を見合わせて弾けるように笑う。


=======================

「『般若波羅蜜多心経』はこう読みますね。

『プージャー⤴︎プートゥァー⤴︎ ミートゥァー⤴︎ シンジン↗︎』!」

=======================


「全然ちゃうやん!!」画面に向かって叫んでしまった。


「現代中国語だとこう読めるんですね〜」

「サンスクリット語の面影ないやん」

「そうなんです」


 オトは『ヨーチューブ』を止めた。


「面白いでしょう。カブラギさん。日本に伝わる『はんにゃはらみった』ならちゃんとサンスクリット語の『パンニャーパラミッター』の『音写』だとわかるんです。


 なぜならお経そのものが当時の中国語で日本に伝わったからです。


 もちろん1300年もたてば、日本語に合わせて変わったところもあるでしょう。しかしおそらく、『玄奘三蔵訳』に()()()()()()()()()()()()()()()だと推測できるわけです」


 はぁ〜。1380年も前の中国語が、日本にだけ存在しているということか。タイムカプセルじゃん。なんかすごい。


 ◇


「でもそうなると気になるな〜。玄奘三蔵が翻訳をしたころの……つまり1380年前のサンスクリット語はどんな発音をしていたのか」

「わかりますよ」


 なんで!? レコーダーでもあったの!?


「インドの寺院にでも経典が保管されていたんですか?」

「いいえ。インドの経典は11世紀の物が最古です。玄奘三蔵に遅れること500年」


「えっ? なんで保管されていないんですか?」

「インドが暑いからです」



 はっ?



 ◇


「インドが暑いと……経典が保管できないというのは……なんで? 溶けるの? 氷でできてるの?」

「まさか。木の葉ですよ」

「木の葉!!!???」


 もっというとそれは『多羅葉たらよう』という葉である。ターラの木になる葉っぱ。


 多羅葉は釘などで引っ掻くと跡が浮き出る。それを利用して『紙として』使っていたのだ。エジプトにはすでにパピルスがあったが、インドにはなかった。


「葉っぱは『生き物』ですからね。あまりに高温多湿な場所だと」

「変色しちゃう!」

しかり」


 オトは続けて言った。


「さらに宗教戦争です」

「そういえばインドってヒンズー教の国でしたね」

「そうです。現在インドで仏教を信仰している人は全人口の1%」

「少なっ」

「それに従って経典も捨てられていきました」

「そんな〜〜〜〜〜〜〜〜」


 せっかくのお釈迦さまの教えが。なんか悲しい。


「その多羅葉に書かれたお経……『貝葉経ばいようきょう』を上手く保管できた国があったんですよ」 


 お手柄じゃん!!


「すご〜い! どこですか?」

「日本です」






 はい????


 ◇


「えっ! 日本!? この国!? どこにあったんですか?」


 知らんかった! なんか興奮してくる。


法隆寺ほうりゅうじです」


 あっっっっ!!!



=======================

 柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺


 正岡子規

=======================


 奈良県生駒郡斑鳩町 聖徳宗総本山 法隆寺


 創建は伝・推古天皇15年(607年)

 ユネスコの世界遺産(文化遺産)である。


 境内の広さは18万7千平方メートル。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群となる。


 聖徳太子こと厩戸皇子は推古9年(601年)、宮室(斑鳩宮)の建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだ。その近くに建てられたのが法隆寺だと『日本書紀』にはある。


「めっちゃ由緒ある寺〜〜〜〜〜〜〜〜」

「そうです」


「永らく法隆寺にありましたが、今は『東京国立博物館』に所蔵されています。遣隋使(西暦609年)で小野妹子が持ち帰ったものとされています。さて。カブラギさん。玄奘三蔵が『般若心経』はじめ仏典を翻訳し始めたのは何年ですか?」


 紫陽は慌ててスマホでググった。


「645年です!」


 遣隋使 609年

 玄奘三蔵翻訳開始 645年


「あっっっっっ! ほぼ同時代だっっ!!!!」


 ◇


「法隆寺の貝葉経は、インド人が書いたものではないと推測されています。なぜなら、インド人ならやらない間違いが散見されるからです。インドにあったサンスクリット語の経典をおそらく、中国の僧が写したーーですから『貝葉経()()』と呼ばれているーーそれでも玄奘三蔵が見た経典に最も近いと言えるでしょう。なにせ2世紀頃に見つかった経典の断片を除けば……これが最古の写本です」


「世界中で?」

「世界中で!」


 日本すげぇぇぇぇえぇぇえ!!!!

【次回】『 読める! 読めるぞ!(3/4)』

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 法隆寺、いいお寺ですよね。 [一言] すご~~! インドの経典が巡り巡って日本にあったとは。1300年前の中国語の発音に最も近いものが残っていたりと、極東の島国は宝物庫の役目も果たして…
[良い点] 日本すげぇぇぇ!! 法隆寺すげぇぇぇぇぇ!
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