『こんなメッセージいらない!』
「検閲ですか……」
「はい。申し訳ありません」
興梠於菟に頭を下げられた。高橋紫陽は目をパチクリする。
ここは毎東新聞の応接室である。革張りの適度な硬さのソファが心地よかった。灰色がかったカーペットの先にルノワールの絵が見える。
紫陽の前には紙袋と、山になった手紙の束がある。4月にコラムを初めて以来、続々手紙が届くのだそうで、8月には紙袋いっぱいになっていた。
「合わせて届く『プレゼント』の一部はこちらで保管させていただきます」
「なんでですか?」
「盗聴器やGPS対策です」
仰天した。
「えっ? なんで私の生活を盗聴しようとしたり、住んでいるところを突き止めようとするんです?」
「あなたが美しいからです」
言葉とは裏腹にオトは沈鬱な顔をしていた。
◇
美しいから!?
そんな!? 私ただ単に新聞社にコラムを寄稿しているだけなんですけど!?
別に紫陽はグラビアアイドルではない。女優でもないしセクシーなビデオにセクシーに出ているわけでもない。
月に2回『カブラギ先生のドキドキ短歌』というコラムを書いているだけだ。平成から令和にかけて出版された短歌の本を批評するコラムである。選ばれる歌人は『存命である』ことが条件だ。それ以外は自由に選んで良かった。
具体的には興梠於菟が──つまり毎東新聞の文芸記者が──自宅に送ってくる8冊の内2冊を選んでいる。
彼女はペンネームを『カブラギ』と言い、そのためオトには『カブラギさん』と呼ばれている。
紫陽のコラムは好評であった。初回に書いた歌人孤月カルマの『虚空にて』は新聞掲載後重版出来。出版社からわざわざオトの元にお礼の電話がきたそうである。
おかしなことになったのは、翌月。紫陽の写真が2×2センチサイズになったときだった。
最初こそグラビアアイドルばりに全身写真が載ったものの、2回きり。あとは小さな顔写真とコラムが文芸欄に載る予定だったのである。
苦情の電話がジャンジャンかかってきた。いつもは静まり返っている『文芸部』がこのときだけ『社会部』になったようだった。
取っても取っても「カブラギ先生をもっと大きく出せ」という苦情の嵐。
「コラムが載るときだけ忘れないようキヨスクで買ってんのに! どうしてくれる!」とまで言う読者がいたそうで。知らんがな。月決めで取ってくださいよ。
文芸記者興梠於菟が紫陽をスカウトしたのは、文の面白さ目の付け所のユニークさもあったが一番はその容姿であった。
アイドル張りの顔面。Fカップのたわわなおっぱい。生命力にあふれた太もも。
何よりこの女、人妻なのである!!!
『これは話題になる』というオトの目論見は当たった。が、事態は予想を超えてきた。
掲載当日には『インストグラム(写真付きミニSNS)』『ツヅッター(ミニSNS)』にコラムが無断転載。ひとしきり話題になった。
よくぞこんな逸材が隠れていた!!!
というわけである。
◇
「カブラギさん。あなたね。属性が多すぎるんですよ」
「はぁ」
「『女教師』『新米』『人妻』ってどこのエロビデオかって話なんですよ」
「全部真面目な属性ですけど!!! エロを見出す方が悪いでしょっ!」
「『そこをなんとかしてやりたい』と思うのが男ってものでして……」
「なんともなりません!!!」
オトは心底困った顔をした。ラクダみたいな、大きくてまつ毛の長い目をパチパチさせる。
相変わらず大正時代から抜け出てきたような風貌だ。ナフタリンの香りがしそうなジャケットにチョッキ。なぜだか今日は蝶ネクタイである。
想定外の事態にほとほと参っているようだった。
「実はカブラギさんあてのメールは全てこちらで選別の上転送してました」
「えっ。そうなんですか?」
「とてもお見せできないものもありまして……」
うっへぇ。どんなセクハラメールだ。勘弁してくれ。
「そのうちプレゼントも届くようになりましてね? ほら。今流行ってるキャラあるでしょう? 『カワカワ』」
おお〜。『カワカワ』紫陽も大好きだ。可愛いキャラクターに鋭い風刺が話題のWEB漫画である。
「主人公の『カワノスケ』のぬいぐるみ。こちらになります」
愛らしいぬいぐるみがテーブルに置かれた。白いフワフワの体毛に小さな刀を持っている。
「試しに盗聴発見器をかざしてみたんですよね」
「………………ダメだったと」
「…………ダメでした…………」
かわいそうに。『カワノスケ』は中の綿を抜かれ、盗聴器を取り出すとまた縫われたのだそうで。背中がギザギザになっていた。
紫陽はヒッシと『カワノスケ』を抱きしめた。
「『カワノスケ』に罪はないっっっ」
「無いです。実に憎むべき犯罪です」
こいつら何が目的だ? 紫陽と夫がイチャイチャしているところでも盗聴したいのか?
年中しとるわ!!! ザマアミロ!!!!!
◇
「それでまあ。お手紙なら、お届けしてもいいかなと試しに何通か開けてみたんですけどね」
「………………ダメだったと」
「いえ。ほとんどはほのぼのとした内容なんですけどね? カブラギさん昭和二桁前半のみなさんにも応援もらってるんですよ。つまりあなたのお爺さんお婆さんの年代ということになりますが」
「ありがたいです」
見せてくれた手紙は花柄で良い匂いがした。「孫を見ているようです」「若い方には頑張って欲しい」という励ましが書いてあり『コラム書いて良かったなぁ!』と嬉しくなった。
「10通目がこれでして」
=======================
拝啓
カブラギ先生へ
いつも楽しみに拝読しております!
カブラギ先生の若さあふれる肢体。こぼれんばかりの双丘やふるいつきたくなる太もも素晴らしいです。
これで人妻とはなんと勿体無い!
小生は今年60になります。
あと10年早くカブラギ先生に出会えていたらと思わずにはいられませんでした。
いや〜思うままに触れられる旦那が羨ましい。
羨ましすぎてニクイ!
小生平素から若く見られまして。全国のゴルフを飛び回っております。この間もホールインワンを出しゴルフ仲間に「奢れよ」と手荒い祝福。参りました。まだまだ若い者には負けません。
あと10年の思いはありますが、今でもカブラギ先生とゴルフコースを回れるのではないか。そんな思いも持っております。
それでは次回のお姿も楽しみにしております!
体に気をつけてネ!
草々
一ファンより。
=======================
バッサバサ〜。
紫陽は手紙を落とした。
ひいいいいいいいい〜〜〜〜〜〜〜〜っっ。
キモッッッッ。キッッッッモすぎるっっっっ。
「60って! 40も下じゃんっ!!!」
「読んでて情けなくなりました……」
「内容キモすぎるけどそれよりっ」
「はい」
「コラム読めよっっっっっ!!!!!」
「………………おっしゃる通りで」
オトは全男性を代表するかのようにうなだれた。
◇
紫陽は激昂する。
「こっこここここいつ写真だけ見てコラム全然読んでないじゃん! 人が脳みそ絞り出して書いるコラムさぁ!! えっ!? なんでこんな下ネタメッセージ手紙に書いてくんのっ! これ何!? 私に喜んでもらおうと思ってんの!?」
「あわよくばカブラギさんから『今度ゴルフ教えてください』的なお返事をもらいたいという『隠れたメッセージ』です」
「キモッッッッッッッッッッッ」
もう半泣き。
◇
紫陽は『検閲』を受け入れた。メールはひどいものらしいが、手紙は20通に1通くらいだという。件の『隠れたメッセージ』を送ってきた『ひひ爺ぃ』はご丁寧にも住所氏名を書いていた。通報するぞ? お前?
例え19通心温まる素敵なメッセージをもらっても1通の『隠れたメッセージ』で台無しになってしまう。言葉というのは怖いものだと紫陽は思った。
◇
「勘弁して欲しいですぅ。夏を乗り切るだけでも大変なのにぃ〜」
「お仕事ご苦労さまです」
「明日から『古文』と『漢文』の補講もしなきゃいけないのに〜〜〜〜っ」
「え? カブラギさん担当は『現代国語』じゃありませんでした?」
「そうなんですけどね……」
紫陽の学校は今すごいことになっていた。
数学教師の久保悟がヨーチューブで大ブレイクしたせいで入学希望者が殺到。エラく偏差値が上がってしまったのである。
特に数学はそのまま東大、京大を狙えるほど高かった。
数学のレベルがあまりに高いので、ちょ〜〜〜っと国語が苦手な生徒が出る。
苦手って言っても充分な成績なんですよ?
なんだけど、今の学校のレベルが総じて高いのでラインを合わせるべく国語の補講が組まれたのだ。
で。
古文担当嶋崎由利と漢文担当原田絵梨花がこの補講をエスケープした。
表向き嶋崎は『老母の入院手続きのため帰省』原田は『どうしても抜けられない遠方での法事』ということになっているが、なーに、2人でコソコソ『グアム旅行のパンフレット』を見ていたことはみんな知っている。
知ってはいるが、校長も強くは出られなかった。
サトルのせいで松桜高等学校は大転換を迎えている。業務に忙殺されている教師たちの不満はあと一歩で爆発しそうなのである。ここで叱りつけて2人に辞められたら大変。
で。
そこに飛んで火に入る夏の虫……入社したての新米教師が目をつけられたわけだ。つまり高橋紫陽である。
『そんなわけで、紫陽先生! 補講お願いしますね! わからないことは旦那さんに聞きなさい!』と言われてしまったわけだ。
いんや。うちの夫も現国教師ですが……まあ……オールマイティに国語は対応できる人ですが……それにしてもぶん投げじゃないの!?
最後に校長は言った。
『じゃあ嶋崎先生! 原田先生! グアムの親戚によろしくねっ!!!!』
バレとるがな。
嶋崎と原田がペロ〜ッと舌を出したの紫陽は見逃さなかった。冗談じゃないよ。新米教師も休ませろ。
◇
「そんで7月は古文漢文をひたすらおさらいしてました〜」
「……ご愁傷様です」
「だいたい教えておいてなんですけど、意味あるんですか? これ。古文や漢文なんて研究者がわかっていればいいといいますか……」
「なるほど?」
「四段活用とか、返点とかひたすらめんどくさ〜い。古文も漢文もどうせ入試にしか使わないじゃないですか?」
ソファに背中を沈めると天を仰いだ。
あのバケモンみたいに勉強ができる女生徒どもに私教えられるの? 質問きても答えられないよ〜。
「…………古文も漢文も『受け継ぐ』ことに意味があるんですよ。カブラギさんは尊いお仕事をなさっています」
「そんなことないですって。無意味ですってこの勉強」
「いいえ。無意味ではありません。なぜなら」
オトは息を吸った。
「古文や漢文ができなければ先人からの『隠れたメッセージ』を受け取れなくなってしまうからです」
「へっ?」
【第1章あらすじ】
高橋紫陽 (ペンネーム カブラギ)は新聞記者、興梠於菟と談笑していた。
『南無阿弥陀仏』の意味がわからないという話から経典を翻訳するとはどういうことかを知る。
え? あれ日本語じゃないんですか。




