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87話 スネーブルとの約束

 轟いた声を言葉として聞いたのはランシャルだけだった。


「巣立ち組の群れかと思ったが親付きだったか」


 ダルフは眉間にしわを寄せてすぐに動いた。前に立つ1匹目掛けて剣を見舞う。親が現れて安堵した子供は隙だらけ。親を振り返った背は無防備過ぎた。


「やめて!」


 ランシャルの声もむなしくダルフの剣は子スネーブルの首へ真一文字に走った。首の後ろから血飛沫が舞い悲鳴が上がる。


  なんてことを!

  私の子に!


 狂ったような母の声が鼓膜を叩く。

 鎌首を持ち上げた母の姿は10mを超える。その巨体が木々を押し広げ、あるいは折り曲げて接近してくる。

 距離を取って後退するランシャルたちに残されて、子スネーブルが苦しみのたうち回る。駆け寄った母スネーブルが息のないもう1匹の子を見つけて立ち尽くした。


  死んでる?

  殺された?

  人間に?


 傷の浅い3匹目の子を背に回しながら、母スネーブルの目が注がれているのは変わり果てた我が子の姿。


  おのれ・・・・・・!

  おのれッ!


 母の口がわなわなと震え、牙がカチカチと鳴っている。口から漏れる唸り声は高く低く、目から溢れる涙は大粒の雨のように音を立てて落ちてくる。


 逃げるか。いや、逃げたところですぐに追いつかれるだろう。相手は巨大で足も早い。母スネーブルがどう動くかとランシャルたちは動きを止めてうかがう。

 動いているのは首の後ろを切られ痛みにのたうつ子スネーブルだけ。


 のたうつ子目掛けてダルフが動いた。


「やめてください!」


 剣を持つ腕にランシャルが飛びつく。


「殺さないで!」


 死んだ我が子をみた時の母スネーブルの気持ちがランシャルには痛いほど伝わった。

 愛する者の死、その衝撃と絶望と怒り、そしてえぐられるような悲しみ。いまでも血まみれの母の姿が浮かべば心がいっきに引き戻される。


「やめて!!」

「助からん、苦しませるより殺した方がいい」


 振り上げられた剣が光を反射して光る。それが合図だったかのごとく母スネーブルが襲いかかってきた。地を叩く手は地響きを起こし鋭い爪が木々を両断する。

 散らばり逃げ回るランシャルたちを血眼になって追いかけ先回りして攻撃を繰り返す母スネーブル。


  返せ!

  私の子を返せ!!


 振り下ろす手が岩を砕く、爪が割れて血が飛び散っても攻撃を止めることはない。

 ランシャルは泣きながら逃げ回った。

 心が痛くて痛くて涙で視界が歪んで転がってうずくまる。


「ランシャル様! 立って!」


 シリウスに声をかけられても立ち上がれない。


  人間のくせに

  我らの地に踏み込みおって!

  食糧を奪うにとどまらず

  命まで取るか!


 力任せに振られた尾が音を立ててランシャルたちの頭上を過ぎる。


  許さない!

  許さない!!


 荒れ狂う母の足の間をダルフが走った。ダルフは母の後ろで恐れおののく子スネーブルを目指して掻い潜る。


「ダルフさん!」


 止めようとあげたランシャルの声を聞きつけて母がぐるりと振り返った。

 彼女が目にしたものは、太股を切られうずくまる子スネーブルの背に乗るダルフの姿だった。後ろから回したダルフの剣は子スネーブルの首にかかっている。

 悲鳴と怒鳴り声が混ざった叫びが辺りを震わせる。


「来るな! 子を殺されたくなかったら動くな!」


 先程まで痛みにのたうち回っていた子は、もう倒れたまま動かない。母の目蓋がぴくぴくと痙攣していた。


「ようし、言葉がわかるなら理解しろ。お前が攻撃してこないならこれ以上の戦いはなしだ」


 母スネーブルは深く低く呻くように鳴いた。


  嘘つきめ

  お前たちは嘘をつく


「わかったなら下がれ」


 ダルフにはスネーブルの言葉が伝わらない。母は人を信じない。


「さぁ、下がれ!」


  殺戮者さつりくしゃ

  強欲な山荒らしめ!


 にらみ続け唸る母へダルフが命令する。


「下がれ! 殺されたいのか!?」

「やめて!」


 子スネーブルの首にかかった剣が引かれる。


「やめろ!!」


 ランシャルの強い口調にダルフの手が止まった。


「ごめんなさい、あなたの大切な子供を殺してしまってごめんなさい」


 ランシャルの澄んだ声が森に染みて広がる。


「山に入ってきてごめんなさい。あなたたちの場所を荒らしてごめんなさい」


 まっすぐ見つめていた目を落とし、膝をついてランシャルは謝った。こうべを垂れるランシャルの肩口がかすかに光っている。それは王印の放つ光り。


  印、お前が次の王か


 驚き見つめる母スネーブルの顔から怒りが引いていく。


「皆を許してください。僕を守ろうとしてこんなことに・・・・・・。この子の命までとりません」


 少し冷静になった母スネーブル。でも、その瞳に残る怒りの色が煮えたぎる心を写しているようだった。


  人は嘘をつく

  その場限りの命乞いをして

  またやってきて荒らす


「本当です。嘘はつきません」


  信じるものか

  竜の加護を受けていても

  人は人


「ダルフさん、その子を離してあげて」


 ランシャルはそう言ったが、まだかすかに唸っている母親を見てダルフは子スネーブルの首から剣を離そうとはしなかった。


「ダルフ! その子から離れろ!!」


 ランシャルの強い命令を聞いてダルフが静かに離れる。

 拘束が解かれ、子スネーブルは蛇のような姿に戻ってするすると母の後ろへと逃げていった。


「すみません。殺してしまった子供達の命を返すことができません」


 ランシャルは再び頭を垂れた。


「私は王としての自覚が足りなくて守られてばかりでした。王としての覚悟もまだ揺らいでばかりです」


 スネーブルを前に膝を付き頭を下げるランシャルを、皆はただ見つめていた。誰もこの空気の中で声を発することができなかった。


 すいと上げた顔を母スネーブルへ向ける。


「こんな悲しいことが繰り返されないように、命令を出します。レイラーンに人が入ることを許しません。約束します」


 溢れる涙もそのままにランシャルは続けた。


「私が嘘をついていると思うなら。私が信用できないならここで私を殺してください」


「ランシャル様!」


 シリウスは思わず足を踏み出した。


「私も母を殺されました。あなたの気持ち、私に受けさせてください」


 母スネーブルはしばらく黙っていた。そして、おもむろに言った。


  本当だな?

  信じていいのだな?


 ランシャルはただ真っ直ぐにスネーブルを見つめ返す。


  澄んだ目だ

  虹竜を怒らせたくはない


  信じてみよう






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