83話 霧の中(3)
長剣さえ持っていれば短剣はいらないだろうとランシャルは思っていた。コンラッドに渡したことを後悔はしない。あの時の気持ちは嘘じゃない。ただ、先読みが甘かったと唇をかんだ。
存在感を増す人影がわらわらと近寄ってくる。四方八方からゆらゆらと揺れながら。それらを迎え撃つ3人は、それぞれ背中合わせに立っていた。
「来ないでッ!」
ルゥイが剣をにぎり直し、素手のランシャルは身構えることしかできなかった。
近づく影はくっきりとして、そのシルエットだけでももう誰だかわかる。シリウスがロンダルが、そしてファスティアやここにいる3人の影が歩いてくる。
姿形ははっきりとしているのに色彩だけがない。立体感のないのっぺりとした灰色の影、その顔面には目も鼻も口もなかった。
「霧に紛れて来るとは小心者の魔物め」
ラウルは上唇をなめて手始めはこれかと剣を振るった。だが、やはり剣は空を切りなんの抵抗も感じられない。次の影、次の影と剣を走らせたが手応えは全くなかった。
「なんなんだ?」
ランシャルから離れすぎることを嫌ってラウルが一歩後退する。ランシャルへ近づいた時だった。
「ん!?」
影の手が伸びてきてラウルの剣をにぎった。
ラウルがぐいと剣を引くと抵抗を感じる。だが、力任せに引くと剣は影の手から離れて自由になった。それはルゥイが対している影も同じだった。
「どういうこと? あっ」
影に剣をにぎられてルゥイの動きが封じられる。
「嘘、力が強くなってる!?」
ルゥイは先ほどと同じように力任せに引き抜こうとしたが今度は上手くいかない。
「うわっ、ラウルさん!」
弾き飛ばされてランシャルが叫んだ。ラウルの手で、群がる影の中からランシャルは押し出されていた。
叫んだランシャルの声を聞いてルゥイが目を転じる。ラウルはすでに影に取り囲まれていた。
「くそっ! こいつらッ」
影はラウルの肩をつかみ羽交い締めにしようとしている。ラウルは身動きがとれずもがき、剣をつかまれたルゥイも苦戦していた。やみくもに剣を揺さぶり引き抜こうとやっきになるルゥイ。
「んっ! んっ! なに? 石に食い込んだみたい」
ランシャルは伸びてくる手から逃げ回るしかなかった。剣を持っていたとしても切れない。しかし、影はこちらを掴まえられる。
(どうしたらいいの?)
ランシャルは逃げ回りながら撃退する方法がないかと考えていた。
「くッ」
ラウルの苦しげな声がする。
「ラウルさん!」
ランシャルはよろめいて片膝をつくラウルの姿を見た。彼はなにかを払おうとするように何度も頭を振っていた。
「ラウルさん!」
「来ないでください!」
苦しげだがはっきりとした声だった。
影たちは入れ替わり立ち替わりラウルの傷ついた肩に振れていく。手で払っても意味がない。
「くそッ・・・・・・目が眩む」
頭を押さえていた手を地面へ着けて、ラウルはとうとう這いつくばるような姿勢になっていた。
「離して!」
ルゥイはまだ剣をつかむ影と格闘している。どんなに頑張っても剣は微動だにせず、ランシャルの手に武器は無し。
ランシャルを追う影は執拗に首を狙ってくる。ランシャルはたまらずマントを外して振り回した。2度3度と振るうちに影の輪郭が崩れるのを見た。
(風だ)
マントを振ると風が生まれる。風は霧を流し影は薄くなって形が崩れる。
(きっとそうだ!)
ランシャルはマントを振ってルゥイの周りに風を送った。やはり霧が流れ薄まって影の形が崩れていく。ふいに影の拘束が緩んでルゥイはたたらを踏んだ。
「あっ」
力一杯引いていた剣が自由になってルゥイは危うく転がりそうになり、なんとか体勢を整えた。
「はぁ、抜けた!」
「やった!」
ランシャルは喜び勇んで次はラウルへとマントを振る。
マントを振るたびにラウルの周りにできた影の人だかりが消えていく。外側の影から少しずつ崩れて減っていった。
「ラウルさん大丈夫ですか!?」
ランシャルは意気揚々とマントを振りながら近づいていく。そのマントを誰かが後ろでつかんだ。
(え?)
ぐいと引っ張られてマントをむしり取られて振り返る。
「シリウス・・・・・・さん」
一瞬、目を疑った。
顔立ちもくっきりとシリウスにそっくりな影がすぐ後ろに立っていた。ランシャルが驚いたその一瞬、影はすかさずランシャルの胸ぐらをつかんだ。
「うっ・・・・・・くっ」
持ち上げられて足をバタつかせる。浮いた足に触れるものはない。
「ランシャル様を離せッ!!」
ルゥイの叫ぶ声がする。
叫びながら、ルゥイはマントを外し勢いよく打ち振った。風を起こせば影は消える、そのはず。しかし、影は消えなかった。
「嘘・・・・・・」
シリウスの姿を模した影はかすかに揺れただけで消えず、頭をぐるりとルゥイへ向けた。それでもルゥイは諦めずマントを振り続ける。
「ルゥイ!!」
影が鋭く叫んでルゥイを一瞬固まらせた。
シリウスの顔をした影にシリウスの声で止められて、ルゥイはとっさに動けなかった。
「ルゥイ! 逃げろ!」
影が叫んだ。
ランシャルを手放して、影はルゥイへ向かいながら逃げろと言った。相反する言動に混乱させられてルゥイが後退する。
「あ、あぁ・・・・・・」
影だとわかっているのに酷似した姿が攻撃を遅らせる。迷う間にルゥイは影に弾き飛ばされていた。
飛ばされたルゥイへなおも近づこうとする影へランシャルが飛びつく。だが掴まえることはできなかった。ランシャルの体は影をすり抜けて地面に転がっただけだった。
(この影は風を起こしても消えない。力は強いのにこちらは触れることもできない)
ランシャルが手をこまねいている間にも、影のシリウスは地面に倒れたルゥイへ手を伸ばす。
(どうしたらいいんだ!!)
影はルゥイの額から流れる血を愛おしそうに撫でていた。ランシャルは唇を噛んでそれを見ていることしかできなかった。
(あれは、ウルブの剣)
ルゥイと影のその向こうに剣はあった。
(剣で影は切れない)
頭ではわかっている。けれど、ランシャルの体は動いた。
剣の光りは強弱を繰り返している。
(僕を呼んでる)
そう思った。
ランシャルは影の横をすり抜けて無我夢中で剣を手に取り、そして影へと剣を振るった。
影が体を反らし剣はルゥイと影の間を走る。しかし、剣は彼女へと伸びた影の腕をとらえていた。剣のつけた道筋は元に戻ることはなく、肘から先が切れ落ちて地面を転がり音をたてた。
ぼそり
それは脆い土塊が崩れるような音だった。落ちた腕は地面の上でそっと消えていった。
「・・・・・・はぁ」
驚きと喜びで詰めていた息が口をついて出る。
「切れた」
ランシャルの記憶の向こうからシルバーウルブの声が言った。
《お前が手にすれば竜が助けになってくれることだろう》
シリウスの姿を模した影がゆるりと立ち上がりランシャルへと向き直る。ランシャルは剣をにぎり直して影を睨み返した。




