81話 霧の中(1)
待機を命じられた面々はランシャルたちの消えた先を見つめていた。少しして、風の音だけが聞こえていた世界がざわつき始めた。
ガーガーとガラズががなりたて、遠くで黒い群れが飛び立つ様子が目に入る。それは白い山肌をバックに点々とした黒い染みが広がるようだった。
ガラズたちが飛び立った木々は白い枝を剥き出しに、それでもなおランシャルたちの姿を隠している。ガラズの黒い色に不穏さを、彼らの声に不安を掻き立てられて心がざわつく。
「ルゥイ!」
唐突にルゥイが走り出しダリルが止める。
「待て!」
制止する声も聞かず、彼女はレイラーンへと走り込んでいく。ルゥイに着いて行きそうになるコンラッドの肩をルークスが止めた。
「宝石に目が眩むのはゴーブリンくらいよ! 攻守の魔法が使えるのは私だけだから!」
走るルゥイは後ろも見ずにそう言った。
(ただ黙って待つのが嫌だから着いてきたのよ! ここまで来たんだもの、シリウス様のそばに最後までいたい!)
全身の毛が立つのを感じながらルゥイは後を追った。
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山肌には枯れたように見える木々が立ち、その足元には石がごろごろと転がっていた。その石の多くには苔が生えている。
「歩きづらいな。別のルートはないのか?」
最初に音をあげたのはファスティアだった。
「ここからがもっともなだらかで大きな崖に出くわさないルートなんです」
シリウスの答えを聞いたファスティアは肩を軽くすくめた。
「そう言えば、さっき新王様が友達に渡した短剣はランセルが持っていた物だよな。君がお父上からもらった品に似ていた」
シリウスは「そうです」と言ったきり黙々と歩いていく。
「ランセルは18才で王印を得てね」
と、ファスティアに話を向けられてランシャルの目は足元と彼の顔を往復した。
「彼の父王が殺されてから酷く怯えてたけど、シリウスはまだ護衛の任務に就いてなかったから王宮に留まることができなくてさ」
ファスティアは1人で話し続ける。
(よく喋るな、ラッドみたい)
馬で移動している間これほど話が続いたことはなかった。人懐っこく話すファスティアにランシャルは笑いを噛み殺す。
「私が側にいると思って持っていてくださいと言ってシリウスは短剣を渡したそうだ。ランセルはずっと肌身離さず持っていたよ」
そうだよねと振られてシリウスは「はい」と頷く。
「いつの頃からか見なくなったと思っていたけれど、そうか」
ひとり物思いにふけるようにファスティアは黙った。
「霧が出てきましたね」
後方からロンダルが言うのを聞いてランシャルは辺りを見回した。
「ランシャル様、列から離れないでください」
「あ、はい」
声をかけられて先頭に目を向ける。前を行く霊騎士が黒い影の様に見えていた。
「気をつけろよ」
霊騎士が言った直後だった。
ブ────ンンンン
ランシャルの腰でウルブの剣が音を立てて光っていた。
「急ぐぞ」
霊騎士の声に急かされて足を早める。
「あっ」
苔に足をとられて倒れそうになるのをファスティアに腕を掴まれた。
「大丈夫かい?」
「はい、ありがとうございます」
にっこり微笑むファスティアの顔を霧がおぼろげにしている。
(霧、どんどん濃くなってる)
振り返るとランシャルのすぐ後ろを歩いているラウルとロンダルの姿が薄く見えていた。後ろの2人を確認して前に目を転じる。
(あ、あれ?)
ランシャルは少し焦った。前を歩いているはずのファスティアの姿が見えなかった。
(白いマントのせいかな?)
目を凝らしながらファスティアの名を呼んだが返答はなかった。
ファスティアの姿は霧に紛れてわからなかったが、霊騎士の姿は薄灰色の染みの様に見えていた。彼らの姿がはっきりしなくても目視できたことにほっとする。
(霊騎士の後に続けば大丈夫だよね)
そう思ってランシャルはその影を追って足早に進んだ。
「ランシャル様」
「ん? ラウルさん?」
ふいに呼びかけてきた声に反応したものの、ランシャルは不思議に思った。
(あれ? 方角が違う)
聞こえた声は後ろからではなかった。
「僕はここです」
ラウルが自分を見失ったのかと思って声をかける。
「ランシャル様」
「え?」
こんどは逆方向からシリウスに呼ばれてランシャルは混乱した。
「どうなってるの?」
「どうなってるの?」
「えっ!?」
ランシャルはぎょっとした。
つい口を突いて出た疑問を誰かが繰り返すのを聞いた。その声は、
(僕の声だ!)
そう、誰でもないランシャル自身の声が耳元でささやいたのだ。
鳥肌の立つ体を抱きしめてランシャルは叫んだ。
「シリウスさん、ラウルさんッ、ロンダルさん!」
周囲を見回すが誰の姿も見つけられない。ただ真っ白な霧に覆われているばかり。
「ラウルさん!」
もう一度呼んでみた。
「ランシャル様」
「ランシャル様──!」
(え・・・・・・!)
「ここです」
「こちらへ」
「ランシャル様」
ランシャルを取り囲むようにあちこちから次々と声がする。声を追って右へ左へと首を回し前へ後ろへと体の向きを変えた。
「皆、どこ?」
不安がるランシャルの声に被せるようにファスティアの声がする。シリウスが呼ぶ。
「新王様」
「ランシャル様」
声の大きさもまちまちに遠くから近くから聞こえてくる。誰かが真似をしているとは思えないほどよく似た声が聞こえている。だが、その声は瞬時に位置が入れ替わる。
(人がこんなに早く移動できるわけない)
ランシャルは鳴動し続けるウルブの剣を握りしめた。
姿は見つけられないけれど魔物の仕業に違いない。近くにいると剣が知らせているのだから。
「こっちだ」
ビクッ!
耳に息がかかりそうなほど近くで声がしてランシャルは肩を震わせた。袖を引かれてどきりと心臓が跳ねる。
(シリウスさん?)
しかし、シリウスがこんな砕けた言い方をするはずがない。触れそうなほど近くで聞こえているのに姿が見えないのはおかしい。見えない何かが袖を引いている。
「わ────ッ!!」
声と共にランシャルは剣を引き抜いていた。だが手応えはない。
「誰だ!! どこにいる!」
問いかけて返事をするような魔物かどうかもわからない。けれど、声を出さずにはいられなかった。揺らぐ影を見つけては剣を振るい続ける。
「誰だ」
「ランシャル様」
「どこにいる」
「こっちだ」
「ランシャル様」
「ここへ」
口にした言葉の数だけ声の数も増えていく。
「ぅうわッ!」
何かがすぐ側を通り過ぎる。
木の根や石に足をとられて転びそうになりながら、ランシャルは必死に剣を握っていた。
(はっ!!)
黒い人形が白い霧を割って飛び出してきてランシャルは無我夢中で剣を突き出した。
ガッ キイン!
剣が当たり跳ね上げられた次の瞬間、冷たい刃が喉元に当たった。




