77話 剣先に吹く風
「護衛の身で王族の命令に背くか?」
重みのある声がずしりと届く。
この王族がまとう空気に逆らえる者は少ない。しかし、シリウスはゆっくりと噛むように返答した。
「血族の方々に刃を向ける方へ王をお渡しするのは危険かと」
「ほぉ、王都を離れていてもこちらの動きを知っているとは流石だな」
半ば笑いながらもギャレッドの眼光は鋭さを増している。
少数精鋭だとしても、騎士の数の差を見ればこちらが不利だろうと素人目にもわかった。この老人が指示を出したら味方から死者がでることは避けられないだろう。
(シリウスさん、どうしてこんなに落ち着いていられるの?)
ランシャルの目はハラハラとふたりの会話を追っている。
「そなたが連れているのが本当に新王なのか確かめるためだ、よこせ」
「申し訳ございません」
「そなたが偽物を連れていないという証拠は? ん? 見なければ信用はできん」
ギャレッドが詰め寄る。
「貴方様に信用していただく必要はございません」
「何だと!?」
空気がびりっと震えた。
咆哮。まさしくそう例えられる声にいたたまれず、ランシャルはシリウスのマントを握った。
「シリウスさん!」
仲裁はできなくてもなんとか戦いは止めたかった。
「印を確認したいなら見せましょう」
言いながらランシャルは前へでようとした。馬の腹を軽く蹴ってランシャルが進もうとする。その手を手綱ごと掴んでシリウスが止めた。
「印を見せたらいいじゃないですかッ」
「見せなくていい」
視線をギャレッドへ向けたままシリウスはピシャリと言った。
「確認した上で殺すことも考えられます」
「だ、だけど。納得したら殺さないかもしれない、でしょ?」
「自らの手で人を殺すことも厭わない方なんですよ。あのお方は」
ギャレッドを初めて見た時、ランシャルは彼を武人のようだと感じた。けれど、それは勇者のそれではなく血なまぐささをまとった戦の気配だったのかもしれない。
(王族ってもっと高貴で・・・・・・)
国民のために国を治める良識ある人間ではないのか? そんな疑問が記憶の影でちらつく。
「村で貴方を襲った者達もあの方の指示で動いていたのかもしれない」
静かなシリウスの声が記憶を呼び起こした。
血にまみれ椅子に座る母の姿、刃を向けられて人生で初めて死を覚悟した瞬間。恐ろしさがそろりとランシャルの心を這い上がる。
小さかった頃、母から聞いた王宮の美しさや繁栄する王都の風景に心を踊らせた。美味しい食べ物や宴会の様子。父王の優しさ思いやり、そして穏やかな気品。
(あれは、お母さんの思い出?)
過去を懐かしく美化した物語だったのだろうか。そう思うランシャルの心から輝かしい王宮も気高い王族も光を失い脆く崩れていくようだった。
王になりたくないと思ったのは村を離れたくなかったからだけじゃない。漠然としながらも感じた国を治める責任の重さと、高貴な存在になれないかもしれないと怖じ気づいく思い。
しかし、ギャレッドを前にした今。人間の裏の顔と王宮に巣くう恐怖が加わった。
震えて揺れる心は、まるで蜘蛛の巣にかかった蝶のようだ。
気づかずに近づいて捉えられて、いずれ糸に巻かれて身動きがとれなくなって。そして大蜘蛛に食い殺される。
いや、もう大蜘蛛は目の前にいるのかもしれない。
「護衛ごときがわしに歯向かうか!」
ギャレッドの怒声に叩かれてランシャルの心が今に引き戻された。
「王の命を脅かすならば王族とて剣を向ける覚悟があります」
「シリウス! おのれッ」
シリウスは続けて言った。
「私は前王の体にあった印をこの目で見て知っています。この方の印を確認したうえでお守りしているのです。私が付いていることこそがこの方が新王である証明」
ギャレッドの眉はじりと上がり目蓋がひきつっている。
「ギャレッド様、貴方のなさったことは都にいない私にも届くほどなんですよ」
何をしたか遠くまで届いている、隠しようもなく伝わっている。シリウスの言葉がギャレッドの心を突いた。
真っ直ぐ見つめるシリウスの目を真っ向から受けて見つめ返すギャレッドの目蓋が、ひくひくと痙攣している。
この老人の中で善をまとう悪が顔を出し、悪に飲まれた善が体裁を整えようとあえいでいた。
白いマントを羽織るシリウスとギャレッド。
王家の紋章を背に持つのはギャレッドのはずなのに、輝くように見えるシリウスがランシャルの目には眩しい。
「おのれシリウス、正義面をしおって!! 王族が印を受けなくなってどれほどこの国が乱れたと思っておるのだ!!!」
それは間違いではない。シリウスも歴代王が書き記した文書を読んで知っていた。
手助けするふりをして寄ってきた者たちに、政治を知らぬ商人や農民出身の王が口車に乗せられて悪法が増えた。オベッカに踊らされて地方に気を配らなかった時代もある。しかし、その一端は王族そのものにもあった。そんな怒りがシリウスの瞳に灯る。
「国の治め方を知りながら王を正しく導くことを怠った王族に落ち度はないとおっしゃいますか?」
「んぐぅッ!」
ギャレッドの奥歯がギリと音を立て、眉間のシワが深まった。
「教えを乞う王を蔑んで笑ってみていたのはどなたです?」
直系ではない者を蔑み意地悪い心で指南を曖昧にして、失敗をすればそれ見たことかと嘲ってきたのは事実。
「その子供を渡せ! わしが連れていく!!」
焦れたギャレッドが剣を引き抜き、彼の背後に居並ぶ騎士達の剣が鳴った。微動だにしないシリウスの横で背後で、味方の騎士達も剣を抜いている。
「渡せません。護衛として王殺しの手伝いはいたしません」
「お前達の仕事は終わった。その子供を渡すのだ!」
指し示すギャレッドの剣先がランシャルへぴたりと向いている。ランシャルは息をのみ、強く握る手綱から手を離せずにいた。その時、場の気配が変わった。近づく蹄の音が耳を打った。
ギャレッドの連れた騎士には及ばずとも少なくはない数の騎士が近づいてくる。それは弧を描きランシャル達の後ろへと回り込んだ。
(敵? 味方?)
ランシャルは敵に挟まれたのかと思った。しかし、ロンダルやダリルたちの表情が明るくなり、シリウスの口角が微かに上がるのを見てランシャルは知った。
(味方だ)
「ふん、付いてくる魚の糞はやはりお前の部下だったか」
ロンダルや騎士達が新たに加わった者たちと短く声を掛け合うのをランシャルはちらちらと見ていた。
「元からわしを敵と思っておったならば心置きなく剣を交えてやろう!」
ギャレッドの剣が天を向き、背後で多くの銀光が天を指した。
一気に空気が荒々しくなり言葉にならない気迫がぶつかる。
両者の馬が片足を前へと土を蹴ったその時。
「引けぇ! 両者とも引け──ッ!!」
冴えた響きをまとった声が向かい合う騎士達の間を駆け抜ける。それは重い空気を裂いて吹く、一陣の風のようだった。
「ギャレッド大伯父! 剣を戻してください!!」
2頭の白馬が両者の間に駆け込んでギャレッドの目の前で止まる。馬の尻をランシャル達へ向けて馬上の人物はギャレッドと対峙した。




