73話 過去語り ほどける糸
「王妃様、ファスティア・ラウ・ハイライティア様がいらっしゃっています。お通ししてもよろしいでしょうか」
王妃マリーヌの返事ももどかしく、侍女フロリアの横をすり抜けてファスティアは部屋へと入った。
王妃の部屋はファスティアの知るマリーヌらしい造りだった。
白を基調とした壁と、ハニーブラウンやダークブラウンの木を落ち着くバランスで使われていて金は控えめ。「王妃は金食い虫」と陰口を叩かれる今の行動がファスティアには納得できなかった。
どこを見ても花で溢れたこの場所で。テーブルに肘を置いた彼女は頬杖をついていた。
部屋には彼女1人。
「いらっしゃい」
そう言った彼女の口調は緩慢で目は潤み頬は赤い。
「こんなに明るいうちからお酒を?」
「うふふ、これは、祝杯よ」
(祝杯?)
騎士の動きと噂が相まって、ファスティアの思考が言葉の意味を取り違えた。
(やはり彼女が騎士を)
そう思った瞬間、彼は奥歯を噛んだ。「やはり」と思った自分に頬を叩かれる思いがして。
「愚かで滑稽な私への祝杯」
彼女はそう言って酒を口へ流し込んだ。
(王殺しを愚かだと思うなら・・・・・・)
「騎士を止めるべきだ」
「騎士? なんのこと?」
呂律が回らなくなりかけた口がふわふわと、ファスティアの不安を膨らませる。
「まさか、酔った勢いで命じたんじゃ・・・・・・」
酒をグラスへ注ぐ彼女の手をファスティアは止めた。
「父君かギャレッド大伯父から命じられたんだろう?」
ファスティアを見上げるマリーヌの目線はやわらかく、彼を見ているのかすらはっきりしない。
「罪のない命を消せと命じたのは愚かだった」
「マリーヌ」
「嘘をつかれたことに気づかなかった事も、信じ続けた事も、なんて滑稽なのかしら」
くすくすと笑う彼女の両肩に手を置いて、ファスティアは彼女を見つめた。
「騎士に戻るよう命令を出すんだ。まだ間に合う」
ファスティアの言葉に彼女は首を振った。
「もう遅いの、したことは消せない」
「大丈夫、まだ遠くへは行っていない」
彼女は笑った。
「殺したと聞いたのよ」
「何を言ってる。まだ接触すらしてないはずだ」
「血のついた服を見せられて信じてしまった」
「マリーヌ?」
話がずれている。噛み合わない会話にファスティアは彼女の瞳を覗き込んだ。
「君は、何の話をしてるんだ?」
「私は嬉しいの、新王がランセルの息子で」
「新王が? 誰だって?」
王妃マリーヌはさも面白げに声をたてて笑った。
「貴方の情報網でも知らない事があるのね」
物憂げだった彼女の目がファスティアの瞳に焦点を結ぶ。
「生きてたの、ランセルの愛した人もお腹の子も」
ファスティアは驚きを隠せなかった。それでも口だけが嘘を綴る。
「ランセルに子がいたとは知らなかった」
「嘘つき」
マリーヌに突かれても反論する言葉が浮かばない。それほどの衝撃を飲み込む。
「貴方に何を話したかフロリアから聞いて知ってるの、私」
侍女を手懐けたと思っていたのに、王妃に知られていた。
混乱する記憶をファスティアはかき集めて繋ぎ直し、答えを導く。
「ランセルの愛人マルティナは生きていて、君に命じられた騎士は殺したと嘘をついた」
「そう」
「そして、王印を受けたランセルの子を君はまた殺そうというのか?」
マリーヌはころころと笑った。
「何を言ってるの? 私は喜んでるの」
暗い顔をしたファスティアの頬をマリーヌの手が包んだ。
「やっと貴方の顔をまっすぐ見ることができる」
マリーヌの瞳はきらきらと輝いていた。
「足枷が1つ消えた。無垢な命を殺さずに済んで良かった。命令した私は愚かだったけど、本当に生きていたことを喜んでるのよ」
彼女の目に嘘は見えない。
「貴方にふさわしくない愚かな私だけど、罪人ではなかったことが嬉しい」
王宮に入る前の愛しいマリーヌの瞳が、いまファスティアを見つめている。
「新王がランセルの子と知って、愛人の子が生きていると知って、嫉妬がまた燃え始めたりはしてない?」
「嫉妬なんてしないわ。彼を愛していないもの」
「愛人が子を宿したことに嫉妬したんじゃ?」
彼女は強く頭を振った。
「嫉妬はしない・・・・・・したけど、それは彼にでも愛人にでもない」
マリーヌの視線が自分の手首に落ちる。
「愛する人と幸せにしているその姿によ。私には得られないものだったから」
切なげなマリーヌの瞳がファスティアをちらりと見て逃げる。
「新王が愛人の子と知って騎士を送ったんじゃないんだね?」
念を押すファスティアへマリーヌは苦笑いした。
「騎士がどうしたの?」
「君の兵が動いてる」
「そんなはずないわ」
「宿舎は空だ。待機所に10数名残っているだけだよ」
王妃マリーヌの顔から血の気が引いていく。
「嘘・・・・・・そんなはずは」
「君が王を殺すために送ったと噂が広がっている」
見るまに青ざめる彼女の肩に手を回す。
「私じゃないわ」
「わかった、父君の所へ行って」
確認をと立ち上がりかけたファスティアをマリーヌの声が引き留める。
「どうしよう! 私、人殺しって言われるわ!」
怯えるマリーヌをファスティアは思わず抱きしめていた。
「ランセルが死んだ時も王妃が殺したって噂された!」
「落ち着いて」
「皆が噂するわ! 皆の目が、目が!」
マリーヌが震える手で耳を押さえて縮こまる。
「大丈夫、僕がなんとかするから」
「誰も信じてくれないわ! あの王妃ならやりかねないって!」
「マリーヌ」
「操り人形、金食い虫の王妃、王殺しの妃。ああ・・・・・・どうしよう、今度は父と子2人を殺した最悪の王妃だと言われてしまう!」
言葉と涙がぼろぼろとこぼれて震え上がるマリーヌをファスティアはただ抱きしめていた。
「噂が本当か嘘かなんて、誰も確かめない」
震える彼女の声が泣いている。
「確かめないまま誰もが叩くの、叩きたい人を見つけたら噂が間違ってるかなんて関係ない」
「マリーヌ、落ち着いて」
「叩いて叩いて! 叩き続けるわ!」
「僕が守るから! 大丈夫だから!」
強く抱きしめて彼女の頭をなでる。
「王宮から退いたら結婚しよう」
彼女は頭を振った。
「王宮から出たら噂の渦中に落ちてしまう・・・・・・怖い」
「僕がそばにいる」
「ここにいる。王宮にいれば噂が届いても遠い囁きだもの」
彼女の腕はファスティアの背に回ることはなく、彼女自身を抱きしめていた。それでもファスティアは彼女を抱きしめる。
「ふたりで遠くへ行こう。噂なんて届かない遠くへ」
地位も故郷も捨てて旅立とう。彼女とならどこででも、と心が先を向く。
(王印は3代繋がっている。ならばきっと、王の血族は虹竜に見限られたんだ)
ファスティアの心に生まれた決意に火が灯る。
隊列を作って走る騎馬の蹄の音は、遠くランシャルへと向かっていた。




