69話 終宴の矢
「床に倒して!」
エルザンの叫ぶ声が響く。
「上にならなきゃ!」
焦って上ずった声が部屋を駆け回る。
壁に押さえつけていたランシャルを引っ張って、アウザンはランシャルを床へ引き倒した。
うつ伏せのランシャルを床に押し付けてアウザンが短剣を振りかぶる。
勢いよく腕を振り上げた反動でランシャルを押さえていた手の力が一瞬ゆるんだ。その一瞬をランシャルは逃さなかった。持てる限りの力を腕に込めてひっくり返る。
「くぅッ!!」
体を返すランシャルと必死の形相で短剣を振り下ろすアウザン。彼の口から悲鳴のような雄叫び声が発せられていた。
「うわぁぁ!!!」
ランシャルの胸ぎりぎりを刃がかすめる。
(・・・・・・!!)
ドスッ!
ぞっとする至近距離を刃が通過しランシャルの脇ギリギリの床へ突き立った。
ランシャルを仕留められず焦るアウザンが短剣を引き抜こうとする、が。
「ん、んんっ!?」
力んで振り下ろされた剣は床に深々と刺さり片手では抜けないほどだった。無理矢理に引き抜こうともう片方の手も使う。アウザンの両手が剣にかかりきりになった。
「くっ、くそっ」
アウザンの視線が剣に向き両手も短剣の柄に当てられている。
(いまだ!)
ランシャルは迷わず彼の体の下から抜け出した。
「待て!」
そのままランシャルは机の下へもぐりこむ。慌てて伸ばしたアウザンの手からぎりぎり逃れて机の反対側へと急いだ。
「待てッ!!」
ランシャルの頭上でドスンと音がした。
皿が跳ねコップが落ちドタドタと机の上を歩く音がする。ランシャルは方向を変えて入口へと突き進んだ。
「兄さんこっちだ!」
机の下を入口へと向かうランシャルに気づいてエルザンが叫ぶ。その声を聞いてランシャルは方向を変えた。
「後ろ! 後ろだ!」
「うるさい!」
床に降りたアウザンが入口に移動しかけて後ろへ回り込む。
アウザンの足が部屋の奥へ向かうのを見たランシャルは即座に踵を返し、そして机を持ち上げた。
机の足をつかまえて背で机を受け止めて、ぐっと足に力を入れて立ち上がる。
「うわあっ!」
机の上の物がガラガラと後ろへ流れ落ち、机がアウザンへのし掛かる。机と壁の間に挟まれてランシャルの姿は彼の視界から消えた。
ランシャルは入り口を目指した。後ろも見ずに入口へ。
「だ、だめだ! 来るな!」
慌てたエルザンが入口に立ち塞がる。ランシャルは迷わず腰の剣を引き抜いた。
「ひぃ!」
エルザンが驚き無様に外へと逃げていく。
家から躍り出るランシャルをアウザンが追った。
ステップを駆け下りるランシャルに驚いたヒツビ達が慌てて左右に分かれて道ができる。
「待て!」
伸ばしたアウザンの手がランシャルの首の後ろへ追いすがった。
アウザンの声がすぐ後ろに迫っている。
(だめだ、捕まる!)
そう思いながらも体は動いた。右回りに振り返りざま剣を横へ振る。
(当たらなくてもいい)
剣をかわした相手の足が止まればそれでいい。一瞬でも止まってくれれば逃げる隙ができる。そのまま回転して、背を向けて、走り出せるなら。それでいい。
「ああっ!」
声をあげたアウザンの腕がぎりぎりの高さで剣を避け、体が逃げる。いや、彼は足を滑らせていた。血にまみれた地面に足をとられてアウザンがもんどりを打つ。
必死に逃げるランシャルの足も地面を濡らす血にぬるりと滑った。
這いつくばって追うアウザンの手が立ち上がろうとするランシャルの足首を掴む。そして、そのままランシャルを引き倒した。
立ち上がろうともがくランシャルと邪魔をするアウザン。
もがいて伸ばしたランシャルの手が落とした剣に触れ、とっさにランシャルは剣をにぎっていた。
無我夢中だった。
剣をにぎった手がアウザンへ刃を向ける。その腕をアウザンが掴んだ。そしてランシャルの腕を捻り上げた。
「あああっ!」
走った痛みに耐えきれずランシャルの手から剣がこぼれ落ちる。
土と血でどろどろになった地面の上でふたりがもがく。剣へ伸ばす互いの手を叩き邪魔をして血に濡れた剣が地面の上を滑る。
先に剣を手にし振り上げたのはアウザンだった。ランシャルに馬乗りになって両手で剣を掴んで振りかぶる。
「うわぁぁ────ッ!!」
(ああッ!!)
ウルブの剣がその刃がランシャルめがけて落ちてくる。
近づいた魔物を知らせてくれた剣が。
やっと手に馴染んできた剣が、ランシャルの命を絶つために迫ってくる。
白銀のウルブの顔が、領主ハウンディー・ハグルドの顔が目の前に浮かんだ。
(もうダメか・・・・・・!)
そう思った時、目の前を閃光が走った。
一条の光がゆっくりと迫る刃を横切った。
金色の光は細く長い線を引いてアウザンの胸に突き立つのを、ランシャルは見ていた。
「あ・・・・・・ああ、うぐっ! げほっ」
アウザンの胸から血が流れ、彼の口から血がこぼれる。ランシャルは慌てて彼の下から這い出した。
アウザンの手からガラリと剣は落ち、彼の体が傾いて、彼はぱたりと倒れた。
「に、兄さ・・・・・・ん」
入口横の壁に貼り付いたままのエルザンが泣いている。力が抜けた体がずるずると下がって床に座り込む。そのまま動けずに兄の姿を見つめていた。
ウウシの血と自分の血にまみれてアウザンは倒れている。その目は見開かれたままだった。
アウザンの胸には矢が1本。
金色に光る矢が深々と彼の胸を貫いている。
「危ないところだったな」
かけられた声にランシャルが振り向くと、離れた場所で弓をしまうフィルの姿があった。
「・・・・・・フィルさん」
目が潤む。
霊騎士の姿を見て安堵するなんてとランシャルは心で笑った。その頃にはもう、アウザンの胸で光っていた矢はその姿を消していた。
突然のことに驚き怯えるヒュルプ一家が立ち尽くしている。そして、姿を現した霊騎士を見て悲鳴を上げた。ぎゅっと集まって固まるその姿は、ウルブに怯えたヒツビの群れのようだった。
「すまないが」
ダルフに声をかけれて、ヒュルプ達は飛び上がった。
「ランシャルに風呂の用意をしてもらえないか?」
「は、はい!」
ヒュルプの両親が慌てて動き出す。
「おい、お前」
呼ばれたエルザンが我に返って立ち上がった。
「王殺しは大罪だ」
「ぼ、僕は、僕は違う」
ぶるぶると顔を横に振るエルザンをダルフは黙って見つめた。そして言った。
「だが、見逃してやる。その死体をさっさと片付けろ」
体を固くして立っていたエルザンはその言葉で呪縛が解けたように走り出し、慌てて兄のそばへと駆け寄った。
「兄さん、兄さん、ごめん・・・・・・ごめんよ」
兄の亡骸を抱きしめる彼の姿が痛くてランシャルは目をそらす。立ち上がろうとしたランシャルはまた足を滑らせた。
「生まれたてのシクァの仔みたいだな」
ゴルザが笑う。
「悪いな、俺たちは手を貸すことができない」
フィルも笑う。
霊騎士達は遠巻きにランシャルを見ていた。ダルフもティトルの目もいつもよりやわらかいように思えた。




