64話 王妃と影
昼を過ぎ太陽が傾き始めた頃、王妃は王を安置した部屋へ来ていた。日課というほど頻繁に来るわけではないが時々足が向く。
「王妃様」
彼女の後ろから控えめな声がかかる。
「そろそろお茶の時間になさってはいかがですか?」
もうそんな時間かと、王妃は窓のその向こうに見える時計塔へ目を向けた。
「このところ食事会も舞踏会もなさらないですが、やはり・・・・・・お淋しいのですか?」
侍女フロリアでなくてもこの部屋へ王妃が通うことを不思議がる者は多い。
「彼がいなくて淋しいなんてことないわ」
王妃マリーヌはそっと微笑んだ。わかってるでしょ、と言いたげに。
「ここにいると不必要な謁見の者を避けられるから」
王の代理を勤めているがまだ喪中。王の亡骸の側にいるといえば無理を言える者は限られる。
王の死後、ここぞとばかりに謁見者が増えて避難場所のようにここを使っていた。
「心がお疲れですか?」
心配げな侍女に王妃は首をふる。
「お父様や大伯父様の願いを聞いてるだけだもの。この人が死んで異論を言う人はいなくなったし、説得する必要もなくなって・・・・・・らくよ」
気弱な王とはいっても黙って言うことを聞いていたわけではなかった。彼なりの考えもあって、なんだかんだとぐずぐず反論された。
王命がなくては行政の変更はできない。王命はまず王の声があってはじめて下へ伝えられる。
「まぁ・・・・・・口喧嘩ばかりだったけど、情はあったかな。いまでは喧嘩も懐かしく思える」
王になりたくなかった王と、王妃になりたくなかった王妃。同病相憐れむといった感情がなくもなかった。
「お父様と大伯父様のお人形に疲れてはいるけれど・・・・・・。早く死ぬのとお人形として生き続けるのは、どちらが幸せなのかしらね」
お人形妃。
王都からその周辺まで知られ代名詞のように使われている言葉。単に美しく愛らしいと言う意味に加え、操り人形と揶揄を含めて語られると彼女も知っている。
(あんな事を言われなければ・・・・・・)
いまでも思い出すと胸がじりっと焼ける言葉が脳裏をよぎる。
「そなたの言動ひとつでそなたが愛する者の命、どうなるか考えてみよ」
大伯父ギャレッドのその言葉を彼女の父は黙って聞いていた。その顔に苦はなく、むしろ肯定の色が濃かった。
「私には婚約者がいるんですよ?」
「ファスティアの父親には言い含めてある」
王宮に上がる前にふたりで逃げてしまおう。
約束して家を抜け出して向かったその場所に彼は現れなかった。
婚礼の日に向けられた彼の笑顔がどれほど痛かったことか。彼の瞳の切なげな光が胸をかきむしる苦しさが、いまだに甦る。
「幸せに、生きてください」
彼の言った短い言葉に、彼へ課せられた内容を察した。
「王妃様?」
マリーヌ王妃も知らないうちに涙が一粒落ちて、侍女のフロリアの心配げな声が耳に届く。
「王のために泣いたんじゃないわよ」
笑顔を作る王妃を侍女は悲しげに見ていた。
「あなたも大変ね。私のお守り」
「そんなこと」
「私のお目付け役で一緒に王宮へ来た時は10代だったのに、お互い30を越えてしまった」
お目付け役どころか、彼女は魔除けの力を持っていたためにここへ送られた。
「あなたも同じ血族なのに侍女だなんてね」
侍女フロリアは首をふる。
「血族としての役職を捨てて平民となった者の子孫です。里の家族が楽に暮らせるのは召し立ててもらえたからこそ」
卑下する様子はなく、王妃をまっすぐ見つめる目に芯があった。嘘偽りない眼差しにマリーヌは微笑んだ。
「魔を操れても足枷のある私が使い魔で逃げるわけがないのにね」
乾いた声だと思いながら自分の声を聞く。
使えるのは幼い日に捕らえた2つの魔だけ。父の魔除けの力で強大な魔を寄せずに済んだ。魔に飲まれず暮らせたことに感謝はしている。
「地位を捨てて恋を成就できたなんて、あなたのご先祖様は素敵」
長く一緒にいれば情も移り、そんな話も何度かしてきた。
「この年まで独身のままにさせてしまって、ごめんなさいね」
フロリアは強く頭をふった。
「私は深く心を通わせた方はいないまま王宮へ上がりました。王妃様の辛さに比べれば私など」
王妃はいたずらっぽく笑う。
「ここで好きになった人いたくせに」
「お、王妃様ッ」
王妃の言葉に刺されてフロリアは耳の端を赤くした。
「片想いです。ちょっといいなって思っただけで」
そこまで言って、彼女は少しすまなさそうに目を伏せた。
「私はただ。王妃様の影のように側にいて、あのお方と逃げる邪魔をしていただけで・・・・・・それは心苦しくて」
フロリアの声が先細る。
「逃げなかったのはあなたのせいじゃないわ」
この長い年月の間。逃げようと思えばその方法はあったはず。
「話を聞いてくれる影が、あなたで良かったと思ってる」
侍女も王妃も思い人も、みんな糸に引かれ絡め取られて身動きできないままだった。
「もう少ししたら行くから、お茶の用意しておいてくれる?」
王妃に笑顔を向けられて侍女フロリアは部屋を出ていった。
影が影の位置にいなくても大丈夫。それくらいの信頼は築けていた。
侍女フロリアが去るのを待っていた様に、家具の影から声がする。
「切ない話。久しぶりに心が満ちました」
舌なめずりしている様な嫌な気配に王妃は顔をしかめた。
「なんの用?」
「影ならここにもおりますよ」
「そなたに用はない」
邪険に扱われて影は嬉しそうに笑った。
「独身を貫いて思わせ振りにしながら、塔に囚われた姫を救いに来ない王子の代わりを・・・・・・と思いまして」
「お前に代わりなどできぬ。去れ」
部屋を出ていこうとする王妃に声は言った。
「今夜、竜の光が見られそうですよ」
「!?」
王妃の関心を引けたことに喜ぶ影の気配がしている。
「何か・・・・・・したのか?」
「ちょっとばかり心をくすぐっただけです」
「何をした」
声もなく笑う気配がする。
「奥底に隠した鬱屈と知識を繋げて扇いであげただけです」
誰の心の陰りに潜んだのかと王妃の思考が駆けた。
「心配いりません。あの者は自分で思い付き考えたと思っていますから」
止めることを躊躇する王妃を影は声をひそめて笑っていた。




