61話 観察する目
「ヒュルプ、あの子供知ってるのか?」
近くにいた男に声をかけられて、ヒツビ飼いの少年ヒュルプは慌てて辺りを見回した。
(いない)
川でランシャルの後ろに立っていた影。あの男の姿はどこにもなくて、ヒュルプの怖さはかえって増した。
(どうしてここにいるんだ? 俺を待ってた? あの男はどこ?)
ぐるぐると不安が心の中を駆け回る。
ふいに冷たい風を感じてヒュルプはぶるっと震えた。言葉ではうまく言えない。けれど、怖かった。
「か、母ちゃん」
母があの少年の近くに立っていた。見た瞬間心臓が跳ねて、ヒュルプは駆け出していた。走らずにはいられなかった。
ヒツビをかき分けて母に近づいて彼女の腕を引く。
「母ちゃん、ちょっと来てッ」
「ん? なんだい?」
「いいから来て!」
「あんたもう帰ってきたの? またサボって」
「違うよ」
ランシャルから遠ざけようと必死で母の腕を引く。
ヒツビの群れはどんどん流れてくる。仔ヒツビの声に何10頭ものヒツビの群れが引かれて集まって、ランシャルを囲み、ヒュルプと母もその波に飲まれてしまった。
ランシャルの周りに集まって丸くなりかけた群れの形が変わった。何かを避けるように三日月のように弧を描く。
ヒツビの動きと共にまた冷たい風がヒュルプの肌に触れた。
(いる!)
肌感覚だ。目には見えない。見えないけれど、あの時のゾッとした感じが戻ってきて、ヒュルプは母の腕に体を寄せた。
「・・・・・・母ちゃん」
ヒツビ達が草を食べている間、ヒュルプは考えていた。
あれは最近よく耳にする霊騎士というものではないか。村長が大人達に言っているのを聞いた。親たちからも言われている。
「霊騎士を見たら知らせなさい。皆が出くわさないように村に入れないように」
もしそうだとしたら早く知らせなければいけないんじゃないか。すぐに村へ戻ろうと思って立ち止まる。
霊騎士は4人だと聞いていた。1人しか見ていない。間違っていたら叱られるかもしれない。そう思って迷いに迷ったあげくに帰ってきた。
「母ちゃん」
「なんだい」
「あいつと話しちゃ駄目だ」
腕にすがりつくヒュルプを見て母は笑った。
「あんた、こんなに大きいのに母ちゃんを独り占めにしたいのかい?」
まんざらでもないといった顔の母は、笑いながらヒュルプの頭を撫でた。
「違うよッ。ねぇ、聞いて」
「ヒュルプは可愛いねぇ」
「うちの子もこうだといいのに」
「ねぇッ、聞いて!」
「うちのも反抗期で可愛くないったらありゃしない」
母も他の女達も口々に喋りだして手に負えない。
(あの影みたいな男が本当に霊騎士だったらどうしよう)
話を止めたいのに口を挟めなくて焦る。
「あら、あなたヒツビ達にずいぶん好かれちゃったわね」
押しくらまんじゅうをするように集まったヒツビは、盛んにランシャルへ鳴き立て服を引っ張りあっている。
「母ちゃん! そいつと話しちゃ駄目ってば!」
母の腕をぐいと引っ張ったとたん、母の手がヒュルプの額をぺちりと叩いた。
「あいつとかそいつとか言うんじゃないよ。この子は礼儀正しい良い子なんだよ。あんたも少しは見習いなさい」
母も他の女の人達もヒュルプの話を聞いてくれなさそうだった。
「もぉ!」
焦れたヒュルプは村長の家へと走り出した。母が駄目なら直接村長に話すまでだ。
ヒュルプの話を聞いて村長グロワはすぐに動いた。
少年のいる場所を遠目に見れる場所に立って様子をうかがう。少し高くなったこの場所からは村のほぼ全体を見ることができた。
離れた場所からじっと少年を見る村長の姿を目に止めて、村の青年が近づいて声をかけてきた。
「嫌なタイミングで旅の子供が来ましたね」
「どんな子だ? 1人なのか?」
「親を亡くして親戚のいる王都へ向かってるそうです」
心配そうなグロワの表情は変わらない。
「妙な感じはしなかったか?」
青年は村長の質問の方が妙だと言わんばかりの顔をしていた。けれど、思い当たるところがあったのか表情を変えた。
「妙と言えば」
と、言いながら指をさす。
「ヒツビの群れの動きが妙です。あそこ」
少年の周りを囲むヒツビの群れの片側だけがへこんだ形になっていた。
「まるで障害物を避けるみたいに、あそこだけぽっかり空いてる」
グロワは少し迷って、慎重な声音でこう言った。
「ヒュルプがあの少年と一緒にいる影の様な男を見たそうだ」
「え!?」
青年の表情が固くなる。
「霊騎士は姿を消せると思うか?」
霊騎士は幽霊だ。幽霊ならば姿を消すこともできるだろう。そう思いながら心の隅で否定して欲しいと期待している。
「まさか、ヒツビ達が避けてる場所に?」
青年は見えぬものを探して目を凝らす。
「昨日、あちこちの町や村に現れたって」
青年の目が自分の思考を追って揺れていた。
「東から西に向かってる。現れたって聞いた町や村を繋ぐと、この村は・・・・・・ちょうど、通り道」
見る間に青ざめる青年と息を殺すグロワが見交わす。
「本当にあの少年がそうならば、大変なことだ」
村に入れたと領主に知られたら。そう思うと嫌な汗が出てくる。
「しかし、確かではない。それらしい少年が村に来ただけの事」
グロワはそう自分に言い聞かせる。
「じゃ、黙っとくんですか?」
「いや。今から領主様の所へ行ってくる」
「え!? 大丈夫ですか?」
「もう村に入れてしまった。後になって知られて報告しなかったことを責められたら・・・・・・それこそ大変なことになる」
青年は自分を納得させるように小刻みに頷いていた。
「そ、そうですね。かもしれない子供だ。黙ってたと責められないように報告して。・・・・・・うん」
立ち去ろうと背を向けたグロワは振り返って青年に言った。
「いいか、気づかれるな。少年にも村の者にも」
「はい」
「皆が怯えて気分を害されたらそれはそれで問題になるかもしれん」
立ち去りかけてまた振り向く。
「言ってはあるが、村人に言わないようにヒュルプに気をつけてくれ」
「はい」
すぐ村から出て行ってくれるといいがと呟いて、村長グロワは領主の元へ急いだ。




