45話 血に触れ泥に立つ
地面に突き立つ剣をにぎったまま、ランシャルは座っていた。地面を見つめて。
朝日が地面を明るく照らし出している。
ランシャルのこぼした涙が草の上で光っていた。
目の前には地面があって草は緑色に映えているのに、ランシャルにはまだ妖魔の顔が見えていた。白い顔が、あの瞳がランシャルを見ている。
妖魔は仕留めた。
消えてなくなるのをこの目で見たというのに、あの顔が消えてくれない。
(僕が殺した)
剣を握るこの手が妖魔の体を貫いた感触を覚えている。
(妖魔を・・・・・・殺した)
いまになってランシャルの手が武者震いしていた。
(殺してしまった・・・・・・)
嬉しくなかった。
初めて妖魔に勝ったのに。
あれは妖魔だとわかっているのに。人間そっくりなあの顔がランシャルをゾッとさせた。
「ラン?」
コンラッドの声が大丈夫かと聞いている。
涙をぽろぽろとこぼしながら、ランシャルはコンラッドに顔を向けた。
「・・・・・・ラッド」
目があった一瞬、ランシャルは感じた。
コンラッドの目の奥の恐れを。
「や、やったな」
コンラッドはすぐに笑顔を作ってそう言ったあとに続けた。
「妖魔を仕留めるなんて、凄いな」
「ランシャル様、お怪我はありませんか?」
コンラッドの声にかぶってシリウスも声をかける。背に添えられた手が温かった。
シリウスはすぐにランシャルの体を確認し、ランシャルはされるままにじっとしたいた。
「もう大丈夫です。妖魔はいません。よく頑張りましたね」
ランシャルの頭をひとつなでて、シリウスはロンダルのもとへと向かう。
「傷が深い」
ロンダルの声が重く渋みを増している。
ルークスの傷は小さく見えるけれどそうでもなかった。
細い金属の棒で刺されたような深い穴が10個。貫かれてはいないが流れ出る血の量は多い。
苦しそうに息をするルークスからかすかに喘息が聞こえていた。
「ここから少し離れているが、この先にラハトゥの町がある。確か癒しの力を持つ医師がいたはず」
シリウスの言葉の終わりを待たずラウルが手を上げる。
「医師ラシュハなら面識があります」
「行ってくれるか?」
「はい」
呼び戻した馬に傷がなかった事を報告してラウルは馬に跨がった。
「ルークスを目標に戻れ」
「はっ」
シリウスに答えると同時に馬の尻を叩く。勢いよく走り出した馬はみるみる遠ざかっていった。
「ルークスを近くの村へ運ぶ。ルゥイ、ルークスを浮かせてくれるか? 少しでも楽な状態で運びたい」
「はい!」
シリウスに頼まれてルゥイの表情がぱっと華やぐ。
ルゥイに応急処置をしてもらったダリルにロンダルが手を貸し、ふたりとも馬上の人となった。
指示より先に行動し、シリウスの言葉に即座に答える彼らをランシャルとコンラッドは見ていた。
「ランシャル様はルークスの馬に乗ってください。コンラッド、悪いが陣形に加わってランシャル様を囲んでくれるか?」
シリウスに声をかけられてコンラッドの表情が引き締まる。「はい」と元気に答えてコンラッドは斑馬に跨がった。
シリウスを先頭にランシャル、ダリルと続く。ランシャルの左にロンダル、その後ろにコンラッドの4人でルークスを囲む。ルゥイはランシャルの右側にいた。
ランシャルはルークスの姿を見て心が痛んだ。
(僕は体に印があるだけで、何もできない)
自分は王印を持っているだけのただの子供。そう思うと不甲斐なさで涙がこぼれそうだった。
武術の腕があるわけでもなく癒しの力を持っているわけでもない。ただ守ってもらうばかりで怪我人が出ることを止められない。涙をこらえて奥歯を噛む。
重症のルークスと肩に包帯を巻いたダリル。
休む間もなく移動する全員の顔に疲労の影がかかる。コンラッドすら軽口を叩けず黙ったまま村へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
王宮の風通しのよい部屋に王の亡骸は安置されていた。
水色の薄布が風を受けて白い床の上で揺れている。
波を分けて黄泉の国へ踏み込むように、ファスティアは薄布をくぐった。
部屋の奥に佇む王妃と目が合って互いに一瞬、刻が止まる。
「王のそばにいるとは、意外だな」
ファスティアの感想に王妃の表情がくるくると変化する。
「なぜここに?」
王妃の声には驚きに混ざって喜びと切なさがあった。
彼を遠ざけるように目をそらして遠い壁を見つめる王妃。その姿に隠せぬ思いが滲む。
「王の姿を拝見するために、ですよ」
そう言いながら王妃へ投げかけたファスティアの瞳に、昔の名残が香っていた。
死を迎えて3ヶ月を過ぎても王の姿は変わらない。
「ここで君を抱きしめたら怒られそうだ」
王を覗き込んだまま笑うファスティアに王妃はそっと息を吐いた。
「この人はそんな愛情など持ってないわ」
「過去形じゃないんだね」
ファスティアの意地悪な言い方に王妃は背を向ける。
「まるで生きてるみたいだ。しかたない」
風がふたりの間を過ぎていく。
水色の薄布はかつて揺れ動いたふたりの心のように揺れていた。
「・・・・・・無事でよかった」
風に消されそうな小さな声で王妃はそう言った。
ファスティアは王妃の言葉をゆっくりと心に染み込ませる。
「君が元気そうでよかった」
心の指先を互いに寄せて、触れる間際でそっと引く。
「玉座が埋まるまで王に変化はないかな」
「そうかも」
互いに目を合わさず本心から遠い話題を続けている。
「竜の力を受ける器はここにあって、次の器の蓋が開くのを待っている・・・・・・か」
器を保つことで約束通り竜の力で天候の安定は続いている、はずだった。
「西の地で天候が乱れ始めてる」
それは王妃の耳にも入っている。
「竜の力を活かせるのは王だけよ」
王妃として政治は自由に行えてもこればかりはどうにもできない。
「新王が玉座についたら、君はどうするの?」
うつむいた王妃は左手首にそっと触れた。既婚の証である腕輪はそこになかった。
「腕輪を贈れるものなら・・・・・・」
つい口からこぼれた言葉をファスティアは飲み込んだ。
彼の心の声に王妃のまつげが揺れる。
「戯れ言だ、忘れてくれ」
顔を背けた王妃の頬を一滴の涙が伝った。
「君がいまの座に居たいなら手を貸しても良いよ」
風に揺れてゆらめく青い薄布が、ふたりに清らかな頃を思い出させていた。




