推しの子
アクエリアスを抱っこできるようにするため、昼食前にエリザベートは着替えさせられた。
かつて孤児院を視察するときに着ていた服装だ。
当時を思い出し、エリザベートは気分が沈んだ。
孤児院の訪問は嫌いではなかったが、今となっては何であれ淑女時代の己を彷彿とさせるものは彼女を暗くさせる。
(抱っこなんて絶対にするもんですか!)
エリザベートの決意は、食堂に入るなり打ち砕かれた。
扉を開けるなり、胸元にアクエリアスを押し付けられたのだ。
幼児にしがみつかれ、エリザベートはあえなく抱っこする羽目になった。
エリザベートに抱えられ、アクエリアスはご満悦の表情だ。
先程からあれこれ話しているが、興奮しているためか幼児言葉が多すぎて何を言っているのかさっぱりわからない。頻繁に「へーか」が入るので、それにだけ「はいはい」と返事をしている。
「この子、一体何歳なの?」
「一応二歳後半という事になっています」
女王の問いに、アクエリアスの世話係となった侍女が答える。
「どういうこと?」
「知能は三歳以上なのですが、肉体は二歳前後です。成長に個人差があるため断言はできませんが、産月を詐称している可能性があります」
「ヴァルゴ。貴方はいつからこの子の世話を?」
呼び捨てにされた事に一瞬気色ばんだが、ヴァルゴは直ぐに己の立場を思い出した。
今の彼は国を追われた元王族、エリザベートがその気になれば冤罪で殺すくらい容易。
「俺がアクエリアスと出会ったのは一年前だ。キャサリンから子供を託されたスコーピオが渡航し、俺を見つけたライブラが引き合わせた」
スコーピオはヴィクトリア国有数の商会の長男。
ライブラは魔術塔において、最年少で魔術師の資格を得た天才魔術師。
二人はエリザベートの同級生であり、揃ってキャサリンの取り巻きに成り下がった元有望株。
理由は様々だが、どちらもエリザベートが女王に即位した際に国外へ出ている。
「その二人は?」
「俺がアクエリアスと会って直ぐに、揃って行方がわからなくなった」
「きな臭いわね」
「そうか? 愛した人の子供とはいえ、彼等も色々なものを失った。養育するのを断念し、俺に託したんじゃないのか?」
呑気なヴァルゴの返答に、エリザベートは溜息をついた。流石無能な王家の一員だった男だ。
「影に命じて、連中の行方を探させるわ。他国だと時間がかかるでしょうけど、やらないよりはマシね」
「へーか!」
「なによ」
「ふふぅ」
会話を中断してアクエリアスの呼びかけに反応すれば、エリザベートが振り向いたことが嬉しかったようで足をバタつかせて満面の笑みを浮かべた。
「……貴方、私の絵を描いたんですってね」
「ちあうよ」
孤児院にも子供はいたが、アクエリアス程小さくはなかった。どうコミュニケーションとって良いかわからず、エリザベートは先ほど仕入れた情報を口にした。
彼女の言葉にアクエリアスはピシリと硬直すると、首を振って否定した。
「ポーラ?」
「え? いやいや、私はちゃんとアクエリアス様から聞きましたから! ほらアクエリアス様、昨日たくさんお絵描きしましたよね!?」
「ちあうよ」
(めっちゃ嘘つくじゃない)
エリザベートから目を逸らし、アクエリアスは手遊びをしながら否定した。
「そんなぁ。陛下の絵って言ってたじゃないですかぁ」
「ポーラ、メぇ!」
プルプルしたと思ったら、泣き出してしまった。
「や、やくしょした! ポーラ、メぇ!」
「これポーラに怒ってるんじゃない? 貴女何したの?」
「えっと、陛下にアクエリアス様の絵を見せようとしたら、納得できる作品ができるまでは内緒だというので――」
「ダメじゃないか」
「アウトね」
絵を描いている事をバラした上に、現物持ち出して見せている。
幼児とはいえ約束を破るのは如何なものか。
ヴァルゴとエリザベートの両者から一刀両断され、ポーラは項垂れた。
「私はただ、陛下とアクエリアス様の距離を縮めようとしただけなのにぃ」
「そんなことをしても縮まらないわよ。貴女とおちびの距離が遠のいただけね」
「そんなぁ」
「ないちゃメぇよ」
全身で憤慨していたアクエリアスだが、落ち込むポーラの姿に泣き止んだ。
今は頭を下げる彼女の頭を撫でている……のだろうが、エリザベートにはパシパシ叩いているように見えた。
*
「陛下、そろそろお時間です」
「あら、もう?」
「ええ。お着替えの必要がありますから」
本来ならもう少し時間に余裕があったのだが、アクエリアスに合わせた服装に着替えたため、元に戻すため昼食後にもう一度身支度せねばならない。
「約束があるので、お先に失礼するわ」
エリザベートは席を立つと、つぶらな目で彼女を見上げるアクエリアスの頭をひと撫でした。特に理由があったわけではなく、何となくだ。
彼女からの接触にてっきり喜ぶものと思ったが、置いていかれるのがわかったのかアクエリアスはじっと見つめてくるだけだった。
食堂の扉が閉まるその瞬間まで、エリザベートは小さくとも強い視線を感じ続けた。
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