こどおじ
「十歳も年下の小娘にのぼせ上がって、簡単に利用された……いえ、今も利用されている貴方に言われたくないわ」
大人達の争いに、アクエリアスは口を半開きにしてキョロキョロしている。
話の雲行きが怪しくなったのを察したポーラが、ヴァルゴの腕から幼児をそっと引き抜いて退出した。
「囮にされたのにまだ目が覚めないの? 苦労して少しはマシになったんじゃないかと思ったけど、買いかぶっていたようね」
亡命の際に、ヴァルゴは捨て駒にされている。
陽動役を引き受けた彼は、逆にその行為によって一命を取り留めた。
彼はグンキとは別国に入国した後、経緯は不明だがアクエリアスと出会い、以降世話係兼護衛を務めていた。
「俺が自主的に陽動役を買って出たんだ」
「貴方にそんな知恵が回るとは思わないわ。誰かに誘導されたんでしょ」
「違う」
「なら百歩譲って貴方が思いついたという事にしてあげる。その上で聞くけど、敬愛するお兄様と、惚れた女は命を危険に晒そうとする貴方を止めた? もし生きて亡命できたとしても、再会は絶望的。今生の別れに何を言った?」
エリザベートの追求に、ヴァルゴの目が泳ぐ。
「それは……あの時は選択肢なんて。でもきっと、内心では――」
「現実から目を逸らすのは止めなさい」
往生際の悪い男に、ピシャリと叩きつけた。
必死に相手の良い面を探し、自分に突きつけられた理不尽から目を逸らす。
かつての自分を見るようでエリザベートは苛立った。
「王族の身分を失って、それなりに世間を知ったんでしょう? 当時は見えなかったものに気付けるはずよ」
王弟時代のヴァルゴは『子供おじさん』だった。
当時は二十代半ば、ヴィクトリア国では自立して家庭を持っていておかしくない年齢。
だがヴァルゴは先王から譲り受けた離宮で暮らし、肩書きだけの役職を与えられて勝手気儘に暮らしていた。
烏の濡れ羽色の髪と、王族特有のアメジストの瞳。顔と血筋だけが取り柄の男。
幼少期の英才教育により、一通りの教養と最低限の剣術を身につけているがそれだけ。
年を重ねても変わらぬ少年のような瞳は、要するに成熟しておらず幼稚。
「もう盲目になるのは止めなさい。幻想を抱かず、冷静に彼等のしたことを考えなさい」
エリザベートに見つめられて、ヴァルゴはたじろいだ。
女王となった彼女の声には威厳があり、瞳には圧がある。
彼は国を追われて数年間、庶民として生きた。
生まれて初めて、本当の意味で自活した。最初は何をしたら良いのかもわからず、失敗だらけだった。
屈辱と貧しさで死んでしまいたいと何度も思ったけれど、命を絶たなかったのは希望があると信じたからだ。
「……俺にとってキャサリンは希望だったんだ」
生きてさえいれば、いつか何処かで再会できると信じていた。
「ふーん」
「アクエリアスを託された時、この子を守るのが俺の使命だと思った」
「へ〜」
「……」
「ほ〜」
「聞いてないじゃないか!」
「え? 聞いてる聞いてる。どうぞ続けてちょうだい」
「もう嫌だ!」
「御二方、よろしいでしょうか?」
「どうしたのルーク?」
「ヴァルゴ様が請けた護衛任務は本日をもって満了となります。貴方に王宮での滞在権はございません。既にヴィクトリア国民でもございませんし、命が惜しければ早急に国外退去願います」
「主人が主人なら、部下も部下だな!」
「情に流されない敏腕主従ってことね」
「お褒めいただき光栄です」
二人がかりでおちょくられて、ヴァルゴは撃沈した。
*
「見てください陛下!」
興奮した様子のポーラが持ってきたのは数枚の画用紙だ。
アクエリアスが書いたのだろう、黄色と緑でグルグルと力強く丸が描かれている。
「見たわよ。それで何が言いたいの?」
「これ陛下ですって! 謁見の後、熱心にお絵描きしてたので聞いたら教えてくれました! 超可愛くないですか?」
エリザベートは黄金の髪と、エメラルドの瞳のゴージャス系美女だ。
「……私に何を期待してるの?」
「期待とかそういうのじゃなくて、小さな子供に好かれてるって思ったら嬉しくないですか?」
「嫌いな女の息子に好かれても反応に困るわ」
「もう! 素直じゃないんですから!」
「今の私は、誰よりも素直なつもりよ」
「陛下は意地っ張りですねぇ。そうだ、今日の昼食をアクエリアス様とご一緒するのはどうでしょうか?」
「必要ないでしょ」
「陛下が引き取られたんですよ。監督義務があります」
「ポーラ。口が過ぎます」
畳み掛けるポーラをクインが制止した。
エリザベートがポーラを嗜めないので我慢していたが、流石にこれ以上の気安い振る舞いは許せない。
「ポーラの味方をする訳ではありませんが、昼食を共にするのは賛成です」
書類を確認していたルークが彼女の案に同意した。
「放置すればよからぬ輩が近寄り、陛下の不利になることを子供に吹き込むでしょう。押し掛け護衛の元王弟も牽制する必要があります」
「ああ、まだ居座ってるのね」
「陛下が挑発するからですよ」
昨日アクエリアスをヴィクトリアに送り届けた事で、彼の仕事は終了の筈なのだが、「悪女の支配する魔窟に、子供を置き去りにするなどできない!」と居座っているのだ。
勿論彼には部屋も食事も用意されないし、給料も支払われない。
城の面々には無責任に餌をやらないよう、エリザベートが命じた。庭に居着いた野良猫と同じ対応である。
「昨夜はアクエリアス様の部屋で過ごしたようです。アクエリアス様からサラダとパンの耳をもらってますね」
実際は嫌いなものを押し付けられたのだろうが、幼児から施しを受けたようだ。
「子供の部屋を占領してたかるとか、恥ずかしい大人ね」
「『子供部屋おじさん』ってヤツですね。私初めて見ました」
「本来の意味とは違いますが、他に言いようがありませんね」
エリザベート、ポーラ、ルークは言いたい放題だ。
「私は彼を雇っていないし、今後もそのつもりはないわ」
ヴァルゴもキャサリンに惚れた一人だが、クーデターの原因となった王家の数々の愚行には関与していない。
何もしてこなかった事が罪というレベルだ。
彼は兄と歳が離れていたため継承権争いをしたこともなく、アリエスが生まれるまでは只々王宮で可愛がられていた。
アリエスが生まれてからも、王家の一員としてそれなりに尊重され気ままに生きてきた。
「旧王家の一員だけど罪人とは言い難いから、処分する理由がない。でも野放しにするのも考えものなのよね」
父親は不明だが、アクエリアスがキャサリンの息子であることは確定している。
現在幼児の戸籍は、キャサリンの生家であるゾディアック家にある。庶子だった娘のやらかしで男爵家は爵位を返上したが、まだ家自体は残っている。
祖父母あたる元男爵夫妻に孫のアクエリアスを育てる余裕はなく、彼の身柄を守るために城で保育することになった。
彼の身を守るのは親切心ではなく、父親の血統を利用されないためだ。
アクエリアスがある程度成長したら、出家させて聖職者にすることが決定している。
「子供よりヴァルゴの方が扱いに困るわね」
「王宮でボランティアなんて迷惑もいいところです。城で働く者達もどう対応して良いものか困っておりますし、いっそ適当な役職与えて雇ってしまいましょう」
ルークがメガネの位置を直しながら提言した。
切り揃えられた白金の髪がサラリと揺れる。
メガネのブリッジに触れるのは彼の癖だ。
「私、アイツに給料払いたくないわ」
「これが一番面倒が少ないんです。ここに雇用契約書の草案がございます」
「手際が良いわね。憎たらしい」
「お褒めいただき有難うございます」
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