幼子と愛の戦士(住所不定無職)
「今なんて?」
エリザベートは一縷の望みをかけて聞き返したが、ルークは一言一句先ほど述べたのと同じ言葉を繰り返した。
「キャサリン嬢の遺児が見つかりました。先方は我が国に引き渡したいと申し出ています」
「あの女の子供……」
エリザベートは目を閉じ、まだ見ぬ幼児の姿を想像した。
「――こっそり始末しましょ!」
「陛下ぁ!?」
ルークと並び立つビ・シフローが叫んだ。
「確実に送り届けるため、王宮まで先方が手配した護衛が同行するようです。道中ですと先方の責任問題になるので、処分するなら引き取り後ですね」
「ルークくぅん!?」
ビ・シフローの声が裏返る。
それなりに高齢だが、かなりの肺活量。少なくとも呼吸器系の疾患とは無縁そうだ。
「冗談ですよ」
「いやいや、僕は騙されないよ! 半分本気だったよね?」
「正直どっちでも良いと思っているので、全部本気で全部冗談です」
「私は本気で始末する気よ」
「人の心!!」
しれっと言い放つ主従にビ・シフローは抗議した。
「だってあの女の子よ。さっさと処分した方が世の為、私の為だわ」
「生かしておいても火種にしかなりません。アリエス元王子の息子である可能性があるなら、エリザベート陛下の治世に影を落とします。尚更生かしておけません」
「そうよね〜」
「親は罪人かもしれませんが、幼児に罪はありません。手元に置いて養育すべきです」
「それによって得られるものは? リスクに見合うメリットがあるなら、言語化しなさい今直ぐに」
エリザベートは独裁者だが、他者の意見を無視する訳ではない。聞いた上で、彼女がしたい方を選択するだけだ。
ビ・シフローの論理が破綻した途端に、彼女は子供を殺す決定をくだすだろう。
*
「あの老人、政治家歴長いだけあってそれっぽい事を並べるの上手かったわね〜」
結論を言うとビ・シフローの主張をエリザベートは認めた。
引き渡された子供の父親ははっきりしない。
時期的にはアリエスの可能性が高いのだが、キャサリンは異性に対し奔放であったし、彼女を長期間匿っていたサジタリアスが父親の可能性もある。
子供の名前はアクエリアス。
アリエス、サジタリアスのどちらの名前から取ったのか判断し難い。もしかしたら、キャサリン自身もわからなかったのかもしれない。
グンキに入国後の国王夫妻とアリエスの行方は闇の中だ。十中八九、生きてはいまい。
亡命直後に彼等と行動を別にしたキャサリンは辛くも難を逃れた。
(喧嘩別れなら可愛いほう、もしかしたら王族を囮に使った可能性もあるわね)
彼女が愛しているのは自分だけだ。
玉の輿どころか国を追われての逃亡生活。王子という称号がなければ、アリエスは甲斐性なしのお荷物でしかない。
顔が割れている王族と違い、キャサリンは下位貴族のためその顔を知る者は少ない。
(あの女ひとりなら、亡命の橋渡し役とか適当な男を手玉に取って逃亡可能だわ)
身分詐称してピスケスに流れ着き、手練手管でお忍び中のサジタリアスを籠絡したことは報告書に書かれていた。
(まんまと王子の愛人となり出産)
子供は生まれてすぐに、別の人物に託され母を知らぬまま別国で育てられた。
サジタリアスに養われている手前、他の男との子供を手放したかったのか、第三王子の庶子だから国内に置いておけなかったのかはわからない。
母親は平民上がりの男爵令嬢だが、父親は王族の可能性が高い。
何が切っ掛けで身元が割れたのかは不明だが、子供の出自を知ったかの国は「爆弾を抱え込みたくない」と製造国に返却することにした。
ピスケスに話を持っていくと確実に殺されるので、ヴィクトリアに打診したのだろうが、正直どっちもどっちだ。
現にエリザベートは殺る気満々だった。
実は今もチャンスがあれば抹殺するつもりだ。
*
「視線が痛いわ」
エリザベートが対面した幼児は、赤ちゃんと子供の狭間のような外見をしていた。
少し癖のあるストロベリーブロンドの髪に、冬の湖のような薄い青の瞳。色彩も顔立ちも完全に母親譲り。
外見から父親を特定するのは困難だ。
アクエリアスは大きな目をキラキラとさせて、エリザベートを見つめている。
「わっ、ちょっと暴れないでください!」
モゾモゾと動くので、抱えきれなくなったポーラが子供を地面に下ろした。
地に足をつけたアクエリアスは、両手を伸ばしながら脇目も振らずエリザベートに向かってきた。
「走ってるのか、つんのめっているのか判断に困るわね」
一直線に歩いているつもりなのだろうが、ふらふらしているのでどうにも危なっかしい。
よちよち スッ
よちよちよち スッスッ
「……陛下?」
アクエリアスの手が届きそうになると、エリザベートはその分後退した。
「大人げなくありませんか?」
怖いもの知らずのポーラが問いかけた。
「私にこの子を抱き上げろとでも?」
「そうですよ! 陛下に抱っこして欲しいんです! 私よりも陛下が良いんですよ!」
「フラれちゃいました〜」と悲しげに宣言するポーラに、エリザベートは反論した。その間も後退ステップは止めない。
「嫌よ。なぜ私が子供の希望を叶えなければいけないの? それに、もし抱き上げて何かあれば……そうね、何かあれば合法的に処分する理由になるわね!」
公爵令嬢時代のエリザベートは慎み深く、保守的な服装をしていた。
高品質だが露出が少なく、飾りも少ない。流行りとは無縁で、実につまらない。
女王になり、我慢を止めた彼女は前衛的なデザインの服を好んだ。
今日のドレスもガッツリ胸元があいている。アクセサリーも自分好みの華やかなものを身につけている。
「もし子供がアクセサリーを引っ張って私に怪我をさせたら処刑。腕の中で暴れて、ドレスを引き下げるような事があれば、この場の男性全員の目を潰した上で子供を処刑。……ありね!」
「なしだ!」
すかさず叫んだ男が、エリザベートから引き剥がすようにアクエリアスを抱き上げた。
「貴方の仕事は今終わったわ。報酬もらって、とっとと消えて頂戴」
「こんな危険な場所に、キャサリンの息子を置き去りにするなどあり得ない!」
「じゃあ貴方が引き取るの? 今や何の身分もないどころか、財産も職もない元王弟が?」
エリザベートに鼻で笑われ、ヴァルゴの顔が強張る。
「俺から全てを奪ったのは君だろう」
「そうよ。貴方達が私を攻撃したから、反撃したのよ。この事態を招いたのは元王家よ」
エリザベートは意気揚々と畳み掛けた。
「いつの世も勝者が正義。ここに来るまで、国の様子を見たでしょう? 貴方達が治めていた頃より活気があったのではなくて?」
「陛下ぁ。流石に可哀想ですぅ」
「あら、新人侍女にまで哀れまれてしまったわね。死体蹴りは程々にしておきましょ。貴方達は浅慮な家系だから、下手に刺激すると何しでかすかわからないものね」
「くっ」
アリエスの婚約者であった頃、エリザベートは常に微笑んでいた。
嫌味を言われてもサラリと受け流すか、上品に抑え込んでいた。
(それがこんなに好戦的になるとは。立場は人を変えると言うが、それだけでは無い気がする)
彼女に対する恨み言は尽きないが、どれも百倍になって返ってきそうなのでヴァルゴは口を閉じた。
「アクエリアス、大人しくしてくれ。エリザベートはダメだ」
ヴァルゴの腕から逃れ、エリザベートの方へ向かおうとする幼児を説得したが聞く気はないようだ。
「エリたん!」
「エリザベートよ」
「エリたん!」
「……」
「アクエリアス様。陛下のお名前をみだりに呼んではなりません。陛下です、へ・い・か」
「へーか」
「よくできましたー! ほら! 陛下返事を!」
「……」
「今返事しないと、また『エリたん』呼びに戻りますよ」
「……わかったわよ」
「へーか」
「はーい」
エリザベートが反応したのが嬉しかったのか、ヴァルゴに抱き上げられた状態でキャーとアクエリアスははしゃいだ。顔を手で覆い、小さな足をばたつかせる。
ヴィクトリア国にとってアクエリアスの存在は悩みの種だというのに、周囲の視線が微笑ましいものを見る目に変わった。ポーラに至っては「かわいい〜」と口に出している。
謁見の間の空気は、完全に幼児に支配されていた。
「……あの女そっくりね」
学園時代を思い出してエリザベートの顔がこわばった。
「キャサリンの子だ。似ていて当然だろう」
「外見だけじゃないわ」
学園という狭い世界で、キャサリンは自分を中心とした世界を作り出していた。
誰もが彼女の味方、彼女が主人公。
「異性に馴れ馴れしく、すぐにボディータッチしようとする! そして身分差を無視して名前呼び! 母親と行動パターン一緒じゃない!」
「はぁ!?」
「この子に至っては、許可なく愛称呼びよ!? 信じられないわ!」
「信じられないのは君の頭だ! 正気か!?」
「そうですよ陛下。考え過ぎです。まだ子供ですよ」
「本能に刻まれているのね! なんて恐ろしい!」
「恐ろしいのは君の発想だ! 頭おかしいんじゃないか?」
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