お前達は100%殺す
「君との婚約を解消したい」
「……」
薄々覚悟していたが、頭で想像するのと実際に体験するのとでは衝撃が段違いだ。
アリエスの言葉が耳に入った瞬間、エリザベートの視界は歪み世界が斜めに傾いた。
精神状態に誘発された眩暈は聴力にも影響を及ぼし、耳の奥で彼の言葉が木霊する。
(こんなところで倒れるわけにはいかない)
彼女は気力を振り絞って体が傾かないよう集中した。
「もう耐えられないんだ」
(『もう』って何ですの。耐えるってどういう事ですの)
彼はこの国唯一の王子として、男でありながら蝶よ花よと箱入り娘のように育てられてきた。
今まで他人に傷付けられることのなかった彼は、他人を慮る心が欠けているらしい。
今の状況を俯瞰して見ることも、この短い言葉がどれだけ婚約者の心を傷付けたのか全く思い至っていない様子だ。
エリザベートも女として好意を持たれていないことは自覚していたが、こうして突きつけられると自分を全否定されたようで辛い。
「都合が悪くなると黙りか。相変わらずだな君は」
(相変わらずという程、わたくしと過ごしていないでしょう)
この婚約は公爵家よりも、王家にメリットがあるものだ。彼はそのことを理解せず、婚約当初からエリザベートと距離を置いていた。
*
エリザベートはシャトランジ公爵家の嫡子だ。
一人娘なので彼と婚約しなければ婿をとり、家を継いだだろう。
公爵家は国を乱さないため、度重なる失態で求心力を失いつつあった王家を支える為に断腸の思いで娘を王妃にする事にしたのだ。
本来なら生家で跡取り娘として手厚く世話されて成長する筈だった彼女は、婚約が決まった六歳の頃から勉強のために王城へ通うことを余儀なくされた。
毎日毎日、休むことを許されず城と家を行き来する日々。
幼い体に容赦なく詰め込まれる王家にとって都合の良い教え。
十二歳になる頃には実地教育と称して、執務の一部や慰問などを押し付けられるようになった。
デスクワークは嫌いではないが、ていよく働かされるのは嫌だった。
慰問や奉仕活動は、王宮の外に出られる貴重な時間だ。日頃できない体験ができる良い機会だったが、要は王族にとって面倒な仕事を押し付けられたのである。
事情がわかれば癪でしかない。
*
エリザベートの反応が薄いのが不満なようで、アリエスは苛立ったように声を荒げた。
「僕の心は君にはない。これまで婚約者として礼儀を尽くしてきたけど、一度だって君を恋しく思ったことはない。君だって気付いていたんだろ?」
「わたくし達の婚姻に必要なのは恋愛感情ではありませんわ」
「それが嫌なんだよ! 僕の心はキャサリンのものだ。彼女がいれば僕は何も要らない……王子の身分が問題なら、躊躇なく捨てるとも!」
「アリエス様!」
慟哭するようなアリエスの独白に、今まで黙っていたキャサリンが小さく叫ぶ。
「そんなこと仰らないで! 私の為に、アリエス様が何かを捨てるなんて耐えられないわ!」
(婚約者は『何か』ではないとでも?)
「ごめんなさい。エリザベート様! 私がアリエス様を愛してしまわなければ、お二人は今もきっと……」
「そんなことはないよ。僕と彼女は義務としての表面的な付き合いしかしていない。僕達の間には婚約者という肩書きしかなかったんだ」
表面的な付き合いにしたのも、関係を深めることを拒否したのもアリエスだ。
エリザベートは反応が返ってこないとわかりながらも、長年打ち解ける努力を続けてきた。
「君は優しいね。どうか気に病まないでおくれ、愛しい人」と、アリエスは甘く囁きキャサリンの頭を撫でた。
(本当に優しい女は、別れ話の場に堂々と同席したりしないわ。他人の婚約を破談させるような女が、これしきのことを気に病むと本当に思ってらっしゃるの?)
この部屋にはエリザベート、アリエス、キャサリンしかいない。
一人掛けのソファに座るエリザベートと対峙する彼等は、仲良く二人掛けのソファで寄り添っていた。
二人は入室から今に至るまで、はしたないほど密着している。その行為は、まだアリエスの正式な婚約者であるエリザベートに喧嘩を売っているも同然。
アリエスは無神経なだけだが、彼女は確信犯だ。
言葉の端々でエリザベートを見下しているのがわかる。しかも先程から彼から見えない角度で、エリザベートを挑発するように笑ったり、愉悦に口元を歪ませている。
不愉快極まりないが、ここで安い挑発に乗ってしまったら相手の思う壺。
次の瞬間には醜い嫉妬をする女として、凄まじい勢いで醜聞がばら撒かれるだろう。
アリエスとキャサリンの不貞が原因にも関わらず、エリザベート有責の婚約破棄が妥当と吹聴されかねない。
「……お二人のお気持ちはわかりました。わたくしも、ここまで来れば婚約解消に否やはございません」
アリエスとの仲は修復不可能だ。
もしこのまま婚姻し、キャサリンを愛妾に据えたとしても絶対に良い結末にはならない。
エリザベート自身も、長年の婚約者をこうも蔑ろにする男にたった一度の人生を費やすなどゴメンだ。
アリエスと同様に、エリザベートも彼を恋しく思ったことはない。
婚約が結ばれた頃は彼を異性として慕うベく努力したが、いつしかそんな気持ちは消え失せていた。
それでも未来の国王と王妃として、ビジネスパートナーとして信頼関係を築こうと努力していたのだ。
エリザベートが今日に至るまで大人しく彼に尽くしてきたのは偏に婚約者として、貴族としての義務感だ。
つまり婚約者でなくなり、一貴族としてアリエスは次期国王に相応しくないと判断したら話は変わる。
長年培われた為政者としての判断力で、彼女はアリエスを――王家を切り捨てた。
「そうか、わかってくれたか!」
「ありがとうございます! あたし達のこと認めてくださるんですね!」
エリザベートの言葉に、安っぽい悲恋に酔いしれていた二人は破顔した。
自分達に都合の良いものしか見えない彼等は、彼女から一切の感情が消え失せている事に気付いていないようだ。
「ああ、エリザベート。婚約の解消については君からシャトランジ公爵に説明してくれ。父は私が説得済みだ」
(やはり陛下も了承しているのね)
流石のアリエスも、根回しなしにこのような事はしなかったことに安堵すべきか、こんな愚かな行為を認めた国王に絶望すべきか。
王妃は一人息子のアリエスに甘い。
彼が先程のように身を盾にして迫れば、王妃は息子の味方をする。
あの国王なら、妻と子に二対一で詰め寄られたら、それがどんなに厚顔無恥な内容であっても了承する。
(しかし婚約解消を、娘の口から父に伝えろとは……)
甘やかされて育った彼は、最後まで不誠実だった。
「……かしこまりました」
「頼んだよ」
「よろしくお願いしますね! 結婚式には招待しますから、安心してください!」
(何をもってわたくしが出席したいと思うのか理解に苦しむわ)
勝ち誇ったような顔で部屋を出ていく二人を、エリザベートは熱のない目で見送った。
(このまま泣き寝入りなんてするものですか)
長年己を縛り付けていた『王太子の婚約者』という立場から解放されて身軽になったエリザベート。
肩書を失うと同時に、今まで守らなければいけないと思い込んでいた諸々が如何に薄っぺらく、彼女にとっては不本意なものであったか気付いた。
(やるなら徹底的に。害虫は一匹残らず駆逐しなければ)
エリザベートの人生に、身の程知らずのクズ共は必要ない。
百害あって一利なしと明確になったのなら、遠慮は不要。
彼女の無機質だった瞳に、マグマの様に煮えたぎる光が宿った。
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