殴りに行こうか
平地にポツンと建つ屋敷に足を踏み入れたエリザベート。
馬車には別の護衛が待機しているが、屋内への同行者はウィルフレッドのみ。
彼は女王の身を守ると同時に、その心を守る役目もある人物から仰せつかっていた。
謎の儀式で若返ったエリザベートは、何を思ったのか格闘技を始めた。
ストレス解消にもなり、ダイエットにもなるので彼女の性に合っているらしい。
「殴るのってこんなに楽しいのね!」と些か問題のある発言をしながら、毎日ミット打ちをするのが彼女の新しい日課だ。
「返答次第では。いえ、私の気分次第であの連中に何発かくらわせてやるわ」
煌びやかな衣装を纏うエリザベートだが、手にはアクセサリーではなく使い込まれたバンテージを巻いていた。
本人は意気揚々と発言したが、ウィルフレッドは心配だった。
一方的な暴力を推奨するわけではないが、過去と決別するために、前向きな気持ちで殴るのなら良いと思う。
しかし激情に駆られて衝動的に暴力を振うのはダメだ。
それをしてしまうと、結局傷付くのは彼女の心だ。
危ないと思ったら強引に止めるつもりだ。
護衛でしかないウィルフレッドが女王の行動を制限するなど、叱責どころか処罰されるかもしれない。だがエリザベートの心に消えない傷がつくくらいなら、それくらい全然構わない。
ウィルフレッドはエリザベートの家庭環境について、引き継ぎ書に書かれている限りの情報しか知らない。
彼女がこのような報復に至るのであれば、相当な事をしたのだろう。
何を話したいのか目的がわからないが、エリザベートを苦しめるような流れになれば、ウィルフレッドは強制的に中断させるつもりだ。
(『陛下が傷付くような事態にならないようストッパーになれ』って、毎度無茶言うよなアイツ)
そこまで心配なら自分も同行すれば良いのに、ルークは「その辺の見極めは得意じゃないのでお任せします。貴方の言葉であれば、陛下も聞き入れるはずです」と断固拒否をした。
(いつも簡単そうに言うけど、俺だってそんなに器用なタイプじゃないんだぞ)
*
エリザベートが女王に就任した際、彼女の護衛として数名が選抜された。
文官はどうか知らないが、近衛兵は旧王家の為人を知っているが故に、エリザベートに対して悪い印象は抱いていなかった。
王族の警護は責任者として専属が一名、その補助として数名がチームを組む。
明文されていないが、女性王族の場合はベテランの既婚者が担当するのが暗黙の了解になっている。
その為、専属として抜擢されたウィルフレッドは納得がいかなかった。
「自分は独身です。経験値の面でも、陛下の護衛として相応しい人材は他にもいるかと」
「貴方は陛下の護衛として、必要な条件を満たしています」
「重大な御役目です。納得のいく理由がなければ、辞令を受けることはできかねます」
上官からの命令は絶対服従だが、女王補佐官と宰相は軍の指揮系統外の人物だ。
ウィルフレッドが頑なに受命拒否すれば回避可能だ。
「……護衛としての能力が、こちらの求める水準以上なのは本当です。貴方でなければいけない理由は、マリア嬢が婚約解消している点と、陛下に対して貴方が負の感情を抱いていない点です」
「妹と陛下が親しいという話は聞いたことがありませんが」
いきなり妹の名前が出てきてウィルフレッドは困惑した。
「知り合い程度でしょうね。僕が求めているのはそこじゃありません」
重要なのは妹ではなく、妹が婚約解消している事らしい。
(二人はどちらも男爵令嬢が原因で婚約を解消しているから、シンパシーを感じているのか?)
ならばウィルフレッドを護衛にするのではなく、マリアと個人的に親交を深めれば良い。
ウィルフレッドは身内ではあるが、当事者ではない。エリザベートの気持ちに寄り添えるのは、彼ではなくマリアだ。
「自分は何を期待されているのでしょうか?」
「……その話し方も変えた方が良さそうですね。陛下にはもっと砕けた、素の状態に近い話し方をしてください」
「え!? そんな失礼な真似できません。陛下も気を害するでしょうし」
これにはウィルフレッドのみならず、同席したチームメンバーも驚いた。
「実をとる方ですから、公の場で弁えればプライベートの時は気にしませんよ。これは命令です」
任務中は公の場な気がするのだが、外交や改まった場所以外はプライベート扱いらしい。
「理由をお聞かせください」
「陛下に必要な事だからです。まあ、貴方なら上手くやってくれるでしょう」
(おいおいおい)
馴れ馴れしいと、フランクは紙一重だ。相手の心象一つで明暗が分かれる。
「安心してください。もし失敗したら速やかに配置換えをします。悪いようにはしません」
「はあ……」
ウィルフレッドに拒否権はないらしい。
結局理由は曖昧なまま、よくわからない指示付きでウィルフレッドは女王の専属護衛となった。
普通に考えれば、ウィルフレッドの口調は護衛どころか貴族としてアウトだ。
彼がエリザベートに対してざっくばらんな口の聞き方をしても、周囲が咎めないのは根回しされているからだ。
(今なら何がしたかったのか分かるけど、素直じゃないというか、まどろっこしいというか)
結局ルークがやりたかった事は、アクエリアスとヴァルゴが簡単に成し遂げてしまった。
彼は女王に職務を越えた身内と呼べる存在を作り、また彼女に対する畏怖の念を緩和させたかったのだ。
エリザベートは周囲を駒として動かすことで、殆ど一人で成し遂げてしまうタイプで、しかも容赦がない性格をしている。
大きすぎる畏怖は、彼女を孤立させる。
敬意を上回る恐れは、いずれ彼女に牙をむく。
(まあ、王弟に関しては想定外も良いところだけどな)
断種していると勘違いしていたエリザベートと違い、ビ・シフローとルークはヴァルゴが男性機能を保持していると考えていた。
もしヴァルゴがアクエリアスを送り届けた後、素直に城を出ていたらその瞬間抹殺する予定だったのだ。
(亡命の時といい、ヤバい時ほど選択肢を間違えないというか。運が強いんだな)
結果としてヴァルゴは生き延びたし、エリザベートとの仲も悪くないので暗殺命令は現在に至るまで凍結状態だ。
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