あたたたたたたぁーーっ! おぅわったぁ!!
エリザベートは真っ白な空間にいた。
果てしなく広がっているようにも感じるし、逆にとても狭い空間のようにも感じる。
(精神世界ってやつかしら?)
目の前にモヤが集まり、次第に人の形を形成した。
現れたのは――最後に見た時と寸分違わぬ姿のキャサリン。
「オラァ!!」
「ぎゃふっ!?」
反射的にエリザベートは拳を突き出した。
「反応がある!? 感触もある!?」
「そうよ、あたしは本物の――」
目の前にいるのが幻ではないとわかり、エリザベートの拳は脊髄反射から、意志を持った攻撃へと変わった。
腰の捻りも加え、連続で拳を繰り出す。
(打つべし! 打つべし! こんなチャンスもう二度とない! 打てる限り、思いっきり打つべし!)
「ああっ! 逃げた!」
「当たり前でしょ!」
精神体だからか、キャサリンは一瞬で回復して叫んだ。
「凄い! もう治ってる! 殴り放題!」
エリザベートの方も拳を痛めることなく、体力の消耗もないのでこの世界は精神力がものをいうのだろう。
(これなら永遠に殴れるわ!)
悦びに目を輝かせるエリザベート。体の奥底から力が漲ってくるのを感じた。
「アンタ頭おかしいんじゃない!?」
「素晴らしいわ! ずっとこのままでも構わない! もっと殴らせて!」
「この狂人!」
キャサリンが離れたことで、エリザベートは理性を取り戻した。
「まあまあ。貴女が本物のキャサリンだと言うなら、私達一度腹を割って話し合うべきだと思うのよ。そんな離れた場所にいないで、ちょっとこちらへいらっしゃい」
「嘘つき! ファイティングポーズでそんなこと言われても、誰も信じないわよ」
「嘘じゃないわ。肉体言語というものを知らないの?」
「もう嫌ぁ」
射程圏内に入り次第、いつでも攻撃できるようにタンタンとエリザベートはステップを踏んだ。
「冗談はさておき、アクエリアスの父親をゲロったら成仏していいわよ」
「アンタ性格変わりすぎでしょ。どんだけ猫被ってたのよ」
「学生時代のこと? あれはあれで素の状態よ。今の私は貴女達が作りだしたの」
距離ができたことでキャサリンも余裕を取り戻したようだ。
彼女こそ猫をかぶるのをやめ、堂々とエリザベートを嘲笑った。
「もしかして性格変わっちゃうほどショックだったの? 当然よね、アンタはあたしに完全敗北したんだもの」
「ええ、だからこの場で雪辱を果たすことができるのね! 諦めていたから、とっても嬉しいわ! 他人に任せるなんてダメね、自分の手で直接始末してこそ過去の嫌な思い出を昇華できるのよ!」
「どんな解釈よ!」
「こんなサプライズなら大歓迎! あの負け犬共に報奨金出そうかしら!」
「調子に乗るんじゃないわよ! このイベントはβの共通ルートよ。アンタの体を手に入れて、αでは対象外だったキャラが攻略可能になるんだから! シナリオ進行中に、悪役令嬢がヒロインに勝てるわけないでしょ!」
宿敵から意味不明の単語が飛び出し、エリザベートはスン……と真顔になった。
折角ノってきたというのに、訳がわからない話で水を差されて興醒めだ。
「ちょっと何言ってるかわからないわ。貴女正気?」
「アンタにだけは言われたくないわ! あたしに体譲ってさっさと消えなさい!」
「……もしかしてこの状態は永続じゃないの?」
「そうよ。アンタと同居なんて冗談じゃないわ」
「なら未練が残らないよう、消える最後の瞬間までしばき倒さないとっ!」
言うないなや、エリザベートは攻めの姿勢に転じた。
素早く距離を詰め、回し蹴りを食らわす。
体勢を崩したキャサリンの髪を鷲掴み、容赦なく顔面にストレートパンチと膝蹴りをお見舞いした。
「ちょっと! 子供の父親のこと聞きたいんじゃないの!?」
「もうどうでも良いわ。よく考えたら、貴女が本当のことを言うとは限らないもの。ならもう聞きたいことも、言いたいこともない。――心ゆくまで全力でボコるわ!!」
「ヒィ!」
上も下もない空間を追いかけ回し、エリザベートはとうとうマウントポジションを取る事に成功した。
思い残すことのないよう、この奇跡に感謝しながら一撃一撃叩き込む。
殴り続けても飽きるどころか、エリザベートは更に高揚した。
爛々と目を輝かせるエリザベートとは反対に、キャサリンの目は段々と活力を失った。その体は徐々に透き通り、溶けるように消えてしまった。
*
「エリザベート!」
大きな声で呼ばれ、彼女は目覚めた。
「……私、助かったのね。とても良い夢を見ていたの」
「あ、ああ。助かったと言えばそうなんだが……」
ヴァルゴが歯切れ悪く答える。
エリザベートは祭壇から身を起こした。
部屋を見回すと、拘束された三人が片隅に転がされていた。
彼等の側にはレオが立っている。
彼は拘束されていないどころか三人を見張っているようだ。その姿から察するに、彼は仲間になるフリをしてヴァルゴ達にこの場所を密告したのだろう。
「不思議ね。すごく体が軽いの。夢見が良かったからかしら」
気力が充満しているのか、怠さも疲れも全くない。
最近、気になるようになった腰痛も消えていた。
「そ、そうか」
「そうでしょうね」
「女王さんスマン」
エリザベートは無事だと言うのに、ヴァルゴとウィルフレッドの表情は晴れない。
ルークはいつもの飄々とした感じなので、二人は護衛として不甲斐ない己を責めているのだろう。
(なによ。随分辛気臭いわね)
エリザベートが正体不明の居心地の悪さを感じていると、一人の少年が飛び込んできた。
「陛下!」
薄暗い室内でもわかる、ストロベリーブロンドの少し癖のある髪。冬の湖のような薄い青の瞳。
彼女をまっすぐに見つめる、キラキラとした瞳には既視感があった。
「……どなた?」
思い過ごしであれと、エリザベートは祈るような気持ちで問いかけた。
「ぼくです! アクエリアスです!」
「……わ、私一体何年眠っていたの!?」
嫌な予感が当たり、エリザベートは狼狽えた。
目の前の少年は十代半ばの外見をしている。
ルーク達の姿は特に変わりなく見えるが、大人の十数年なんてそんなものかもしれない。
「眠っていたのは一時間程なのですが、不完全な形で術が発動したようです」
「クイン若返ってない!?」
「若返ったのは陛下もです」
差し出された鏡の中には、まだ淑女だった頃のエリザベートが映っていた。
「どうやら三人の年齢を足して、割った状態のようです。記憶の混濁がなければ、執務に影響はないでしょう」
「陛下とぼく、同い年なんですね!」
「私の記憶は問題ないけど。この子どうなってるの?」
アクエリアスに関しては、体だけではなく中身も成長しているとしか思えない。
「そこは良くわかりません」
「おいクソ眼鏡」
「結果として良い方向で話が丸く収まったので、細かいことは置いておきましょう」
「何をもってしてこれをハッピーエンドと呼ぶの。その眼鏡かち割るわよ」
「彼等は知らなかったようですが、この祭壇の起動には王家の血も必要です。つまりアクエリアス様は、アリエス元王子の子で確定です」
「へー」
「更に陛下は若返ったことで、結婚適齢期延長戦に入りました。婚活に余裕ができましたね。今までは対象外だった年齢層もターゲットになりました。ほら、めでたしめでたし」
「喧嘩売ってんの?」
エリザベートはルークの眼鏡を奪おうと手を伸ばしたが、さっと避けられた。
「ぼく、陛下のお婿さんになりたいです!」
「アクエリアス!? 考え直せ、エリザベートはダメだ!」
アクエリアスの爆弾発言に、エリザベートは目を剥いた。同じく驚いた顔をしたヴァルゴが慌てて引き留める。
図らずも初日の会話の再現のようになった。
「ほらもう立候補者が。ヴァルゴ様とアクエリアス様どちらを選んでも旧王家の血が入るので、血統を理由に陛下に反発する者どもを黙らせることができますよ」
「なんで俺を選択肢に入れるんだ!?」
「冗談じゃないわよ!」
「じゃあ、ぼくでいいですよね!」
「どっちも無しよ!」
狼狽えるヴァルゴとは対照的に、アクエリアスはキラキラと目を輝かせ、期待に胸を膨らませた笑顔だ。
周囲の混乱なんて完全無視。
常識など意に介さず、自分の欲しいものは我慢しない。
自分の願いは全て叶うと言わんばかりの、自信に満ち溢れた姿がありし日の男爵令嬢と重なり、エリザベートは眩暈がした。
「ああもう本当に、あの女そっくり!!」
ー完ー
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