少女、恋を夢想する
「ヴィクトールさま?」
アレクサンドラは首を傾げた。
今日の午後、見舞いに来る人物だそうである。
アーニャが「アレクサンドラ様の婚約者ですよ」と教えてくれて、ようやく、“アレクサンドラ”の記憶からヴィクトール・ソンツェを拾い出した。漆黒の髪、美しい赤い目の王子。ヴェーチェル聖王国の王太子だ。
婚約者とは、確か、将来結婚する相手のことだ。
アレクサンドラはドキドキする胸を押さえた。
(結婚……!)
前世で、お父さんとお母さんが結婚したときの写真を見せてもらったことがある。
教会の前で、白い衣装を着た二人が大勢の人に囲まれて幸せそうに微笑んでいる写真。
(ステキ!わたし、結婚できるんだ……!)
だけどその前に。
(恋をしてみないと。だって、おかあさんが言ってたもの。結婚は、大スキな人とするものよって。ふつうは恋をしてから結婚するものだけど、この世界は先に結婚する人をきめちゃうのね。わたし、ちゃんと恋、できるかなぁ)
前世では、恋も結婚も知らずに死んでしまったから、今世ではきちんと体験したい。
だけど、恋ってどうすれば出来るのだろう?
とりあえず、手をつないでデートをして……一緒にご飯を食べて「あーん」?
やることを考えていたら、ますますドキドキが高まってきた。早くヴィクトールに会いたい。
ヴィクトールは不機嫌な顔を隠そうともせず、ヴォルコフ家の門をくぐった。
5才の時に、同じ年のアレクサンドラと婚約した。
初めてアレクサンドラを見たとき、その可憐さに目を奪われたが、すぐに中身の残念さを知った。それでも、この婚約の重要性を子供ながらに理解していたから、我慢した。
我慢はしたが……アレクサンドラの傲慢さに、年々、忍耐の限界が近付いてきていた。顔を見るのも、声を聞くのも、この頃は震えが走る。
父王も、この婚約は失敗だったと言い出した。もしかすると、婚約解消も夢ではないかも知れない。
それに高熱で寝込んだあと、記憶があやしいと言う。そんな状態で王太子妃を務めるのは厳しいはずだ。今日、しっかり見極めてやらなくては。
ヴィクトールは印象的な赤い瞳を細めて昏い笑みを浮かべ、アレクサンドラが待つサンルームに足を踏み入れた。
「ヴィクトールさま!」
サンルームに入った瞬間、抱きつかれた。
「え?」
「おまちしていました。昨日から、ヴィクトールさまに会えるのが たのしみで…なかなか ねれなかったです」
自身の胸の辺りから、青紫の美しい瞳がキラキラしながらこちらを見上げている。ほんのりと上気した頬、ふっくらと愛らしい桜色の唇。
いつもはごってりとした化粧の彼女が、何故かスッピンである。スッピンだが、驚いたことに普段の何倍も、何十倍も可愛い。
(……え?アレクサンドラ??)
一目見るだけで嫌悪感を抱く女のはず、なのだが。
ドキリ、と心の臓が大きく脈打った。
「まあ!お花をもってきてくれたのですね。ありがとうございます、うれしい!」
ヴィクトールの持つ花束に気付いて、少女は花が綻ぶように愛くるしい笑みをもらす。
そして空いてる方の腕をぎゅっと握り、奥のテーブルを示した。
「さ、お茶をしましょう!とっておきの茶葉を、アーニャが用意してくれたんです」
―――この胸の動悸は、きっと、婚約者の変化にびっくりしたせいだ。顔が赤くなってしまったのも、婚約者のはしたない行為に戸惑っているからだ。
懸命に、平静を装ってテーブルへ向かう。少し、足がぎくしゃくしているようだが、たぶん気のせいだ。
そんなヴィクトールに気付かず、アレクサンドラはニコニコと話をする。
「今日は、たくさん、たくさん、ヴィクトールさまと お話がしたいです。わたし、ヴィクトールさまの好きな本とか、行ってみたいところとか、そういうの 知りたい」
(ああ、そうだ。婚約が解消されそうだと誰かから聞いたんだ。それで、俺を惑わそうと……)
「あ、今日はヴィクトールさまから もらった、髪どめをつかっているんです。にあいますか?」
(落ち着け。落ち着くんだ。これは、アレクサンドラだぞ?“悪女”と市井の子供からも指差されるアレクサンドラだ……)
「あら?ヴィクトールさま、かみの毛がちょっとハネてますよ。うふふ、かわいい」
(これは……悪女のアレクサンドラ!うろたえるな、これは、アレクサンドラの、策略、だ!!)
「はい、ここにすわってくださいね。……アーニャ、お花は活けて、ここにかざってくれる?」
(アレクサンドラが……こんな、可愛いはずがない。騙されるな。騙されるな、俺!)
「ね、ヴィクトールさま、みてください。このクッキー、わたしが焼いたんです。食べてくれます?……はい、あ~ん」
(………!!!!!)
ヴィクトールは悶絶した。
恐らくアレクサンドラの前でヴィクトールは青くなったり赤くなったり一人百面相ですごいことになっていますが、アレクサンドラは「あ~ん」をすることに必死で気付いていません。
またアーニャも天使なお嬢様しか目に入ってないので、ヴィクトールの様子に気付かす…。




