少女は悪女に転生する
予定では全8話です。
―――あつい。
くるしい。
息ができない。
だれか、助けて。すごく、すごく、くるしいの。
あつい、あつい、あつい!
まだ―――死にたくない………!!
一対の宝石のような神秘的な青紫の瞳が弱々しく開かれ、医師はホッと息を吐いた。
一週間続く原因不明の高熱は令嬢をいちじるしく衰弱させていたが、もう、完全に峠は越えた。高貴な家柄の娘を無事に救うことが出来、自身もまた命拾いした気分である。
「お嬢様、ご気分はいかがですか。お水は要りますか」
付き添っていた侍女が身をかがめて、ベッド上の主に伺う。
主―――アレクサンドラ・ヴォルコフ(14)は、頼りない視線で周囲を見渡した。
「ここは……どこ?あなたたちは……だぁれ?」
弱々しい問いに、侍女は冷静に答える。
「ここは、ヴェーチェル聖王国聖都にある、ヴォルコフ伯爵邸のお嬢様のお部屋です」
「??? ぼるこふ?おじょうさま?」
「アレクサンドラ様のお部屋ですよ」
「あれく…だぁれ?」
訳が分からないというように、柳眉が寄る。
侍女と医師は、嫌な予感に互いに顔を見合わせた。
それを見て、少女の白い顔がすうっと蒼褪めた。
「わたしは、さくらい なな だよ。おかあさんは、どこ?ねえ、おかあさん、おかあさーん!」
「アレクサンドラお嬢様は、記憶を失われているようです。というより、“サクライナナ”という人間だと思いこまれているようでして」
医師の報告を聞いて、セルゲイ・ヴォルコフは額を押さえた。
「それは……熱の後遺症か?」
「恐らくは」
「治るのか、娘は」
「このような症状は初めてで……正直、なんとも申し上げられません」
「そうか。まあ……仕方がない。あれの面倒は今に始まったことではないからな」
深い溜息をついて、セルゲイは眠る娘の顔を見下ろす。
緩くウェーブを描く白銀の髪。白皙の美貌の娘は、眠っていればとても儚く可愛らしい。
だが、“中”はそうではない。今や聖都では有名な話である。“アレクサンドラは魔女だ”、市井の子供達ですらそう囃すという。
一体、どこで育て方を間違えたのか。
どれほど諌めても、叱っても、娘の傲慢で他人を踏み付ける行いは改まらない。いや、言えば言うほど酷くなるので、近頃はもはや声を掛けることさえ無くなっていた。
これ以上、家の評判を落とさぬために修道院へやるかと考え始めていたくらいである。
正直な話……今回の高熱で、いっそ命を落としても良いのではないか、と思っていた。その方が外聞は悪くない。一人娘ではあるが、それくらいに、セルゲイは娘に絶望していたのだ。
記憶を失い、別人だと思い込んで目覚めた娘。
これ以上の面倒はもう勘弁してくれと、再びセルゲイは重い溜息をついた。
―――娘が前世を思い出して今は混乱状態にあり、もはや以前のアレクサンドラとは変わってしまったと知らずに……。
侍女のアーニャは困惑していた。
お嬢様の様子が、これまでとあまりに違うからである。
朝、起こしに行けば満面の笑顔で「おはようございます」、着替えを手伝えば可愛く恥じらって「ありがとう」、食事を持っていけば全身で喜んで「うわぁ、ごはん、すごく おいしい!」、侍女冥利に尽きる理想的で素晴らしいお嬢様なのだ。
更には「ねえ、アーニャ、一緒にごはん食べませんか?一人で食べるより、だれかと一緒に食べる方が もっとおいしいと思うんです」と来た。
「え?わ、私とですか?」
「ずっと一人で食べていて、さみしかったんです」
両手を組み、美しい青紫の瞳をうるっと潤ませて言われたら……これまでのお嬢様の罵詈雑言でボロボロに傷ついていた心がふわ~っと癒されてゆく心地がした。
(誰、この子。マジ、天使……?あの一週間の高熱で、浄化されたの?!)
記憶喪失になっているそうだが、その副作用(?)がコレなら、もうずっと失ったままでいいと思う。その方がヴォルコフ家のため、使用人のため、世界のためである。
「アーニャって……」
食事の準備をしていたら、お嬢様は尊敬の眼差しでアーニャをうっとり見上げてきた。
「なんでもテキパキできて、すごいね。わたし、アーニャみたいな なんでもできる人になりたい」
「そんな……私なんて、大したことないですよ~」
思わずデレ~っとなりながら、アーニャは満更でもない気分だった。今月末で辞めてやる!と思っていたが……うん、辞表は破り捨ててしまおう。




