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北の砦に花は咲かない  作者: 渡守うた
四章 北の砦に花は咲かない
27/38

27、【厄災】の日


 視界の端々に誰かの身体の一部が見える。セスは歯を食い縛った。

 吹雪の白い壁を抜けると、一気に視界が開ける。

 すすり泣くような、呻くような泣き声。

 巨大な魔物だった。蛇のような胴体に逆さになった女の顔が載っている。【厄災】と呼ばれる、魔物の中でも特異な存在があることを知識としては知っていた。

 雪原の中で燃えるような赤髪を見つけてセスは目を見張った。


「スカーレット!!」


 雪の塊の陰にスカーレットが座り込んでいる。セスは彼女の元へ駆け寄った。


「セス……!」


 血の気が失せた白い顔がセスを見上げる。

 呆然とする彼女を抱きしめた。

 彼女の青い制服に血が滲んでいることに気付く。雪に<法式>を刻み、治癒魔法を彼女に掛ける。


「セス、セス! アーノルドが……! マイクも、ディルもドギーも、エルダも、皆、」


 スカーレットが震えながら口にした。セスは頷いた。スカーレットの、涙が凍って張り付いた頬に手を添える。スカーレットは大きな呼吸を繰り返し、噛み合わない歯を無理矢理動かす。


「急に吹雪が強くなって、雪の向こうから、あの魔物が現れたんだ。要塞を攻撃してきた。総出で応戦したが、みんな……」


 彼女はここに至るまでを説明した。


「あの魔物は攻撃も通じるし、ダメージも受けている。ただ、攻撃したそばから回復しているんだ」

「巨体のうえに、回復まで……」


 唇を噛む。特に近距離で戦うスカーレットとは相性が悪いだろう。


「ここに居て」

「待って!」


 スカーレットはセスの腕を掴んで引き込んだ。彼女は途方に暮れた顔でセスを見つめた。

 それから彼の頬を両手で挟むと、彼の薄い唇に自身のものを重ねた。


「行かないで……」

(スカーレット!)


 セスは歯を噛み締めた。スカーレットは自分と違い【厄災】の威力を間近に見ていたのだ。それが彼女の心を砕いたことを思い知らされる。視界が滲む。


「それでも行かなくては」


 セスは必死に自分の身体を彼女から引き剝がした。

 戦わなくてはどこにも行けない。




 【厄災】の、逆さになった女の口からすすり泣くような呻き声が響く。この惨状の原因だというのに、苦しむように身悶えている。蛇に似た巨体が身動ぎするたび大地が大きく揺れた。

 手足のない蛇のような胴体だ。近付くことはできる。

 身を隠しながら近付くと、胴体に幾本もの剣が刺さっていることに気付いた。


(斬りつけた瞬間に回復されて、持って行かれたんだ)


 武器を奪われて、この巨体が襲ってくるだけで人間には恐ろしい攻撃だろう。セスは歯食い縛る。

<法式>を使う余裕はない。セスは自身の『模倣』の<ギフト>を思い浮かべた。

 今日までの戦いの中で砦の皆のギフトに助けられてきた。目の前で見て来た仲間たちの能力を思い出す。

 マイクのギフトも、アーノルドのギフトも、みんなの力を全て使い【厄災】へと叩きつける。回復する時間を与えない。風の刃が蛇の胴体を縦に切り裂いた。切り口から蒸気が噴き出し、よろめく。

 どろり。

 腸から人の頭が覗く。白く濁った瞳と目が合った。


「──セス」

「スカーレット!?」


 眼前に赤髪が揺れる。

 強い力で後ろへと押される。


(どうして──)


 目の前に重量のある蛇の尾が振り下ろされ、衝撃でセスの身体は吹き飛ばされた。




 遠くで呻く声が聞こえる。

 セスは痛みで目が覚めた。【厄災】は既に遠く、街へと向かっている。吹き飛ばされた衝撃で雪に埋もれ、【厄災】の注意から逸れたのだろうか。

 重い身体を起こしてふり返る。砦は瓦礫と化し、あちこちに血だまりができていた。


「みんな……」


 【厄災】の腸から見えたのは、喰われた仲間たちの一部だった。


「スカーレット……」


 声が震える。荒れ果てた雪の上に、スカーレットの身体が打ち捨てられていた。這いずって彼女の元へ行く。正面から【厄災】の攻撃を受けた彼女の姿に、喉から息が漏れる。

 彼はもう、自分が泣いているのかどうかさえ分からなかった。

 彼自身も顔面の半分を失っていたから。でも、生きている。自分だけが生き残ってしまった。


「だれか……! 生きてる人はいないの……!?」


 声を張り上げる。

 がら、と音がした。弾かれるように顔を向ける。


「うっ……」


 確かに声がする。声の方へ這う。瓦礫の下からだ。セスは一つ一つ瓦礫を動かしていった。

 重なった瓦礫の下に、金髪のエルフが血を流して埋まっていた。あまり交流はなかったが知っている。彼女は騎士団に後方支援部隊として所属していた。崩壊した城塞の下敷きになったのだろう。

 セスは彼女の名前を呼んだ。


「エルダ!」

「っ……、セス……?」


 彼女はセスを見上げた。一瞬、眩しそうに眉根を寄せる。


「手を掴んで!」


 セスは手を差し伸ばす。エルダは彼の掌を見て、力なく微笑んだ。


「可哀想な子……」

「エルダ、手を」

「今度は、自分の願いの為に生きなさいね」

「お願いだよ、手を掴んで……」

「あなたがあなたを愛せるように」


 セスの指先がエルダの指先と触れた。そのまま力なくすり抜ける。セスは彼女の名前を呼び続ける。

 もうエルダから返事はなかった。

 ──僕の願い

 ──大切な人たちに幸せでいてほしい


「でももう、みんな居ないんだもの……」


 セスは自身の掌を見つめる。スカーレットの『豪腕』を思い浮かべる。

 全てに風穴を開けることができる力だ。セスは自身の胸に掌を食い込ませた。

 大気がうねる。全身の血管が張り詰めて痛い。視界が真っ白になってセスは意識を手放した。





 ◆

 あの日、自分の幸せを求めて街へ行ったから、戦いに間に合わなかった。皆から返せないほどの優しさを貰ってしまった。

 この生では絶対に皆を生き残らせる。【厄災】に奪われた彼らの人生の続きは、華やかで希望に満ちている筈なのだ。彼らに幸せになってもらいたい。それができたら少しでも彼らに返したことになるだろうか。




 目を覚ましたセスは弟の部屋に声を掛けた。ルカはゆっくりと扉を開けた。きまりが悪いのか、視線を落としている。それでも兄を部屋へ向かへ入れた。

 ルカの部屋は自分と違い整頓されている。明るく奔放な性格だが、綺麗好きな面もあるのだと意外に思う。飾られた刺繍や花が目に入り、セスは口を開いた。


「好きなものが<ギフト>になったんだね」

「……まあ、そうかも」


 ルカは話を蒸し返されたのが恥ずかしかったのか、好きなものを指摘されたのが照れたのか、顔を赤くした。セスはそれを不思議な気持ちで眺める。

(特別の魔法に対して、良いとか悪いとか考えたことがなかった)

 セスにもワイアット家にとっても重要だったのは魔法使いとして能力があるかどうかだ。そして魔力の強さが分かりやすい指標だった。後継者として、ワイアット家として。

 ルカは強大な魔力を持っているし、勉強していけば知識も増えていくだろう。魔法使いの大家の後継者として資質は十分だ。

 だからルカがどんな<ギフト>に目覚めようが問題ではないし、ましてや自分が喜ぶかどうかなど、弟にとって取るに足らないことだと思っていた。

 それなのに何故……。

 セスはふと浮かんだ疑問を口にした。


「ルカ、もしかして、後継者になりたくないの?」


 弟はくしゃりと顔を歪めた。泣き出しそうなのに口元に笑みを湛えている。ちょっとびっくりするほど大人びた表情だった。


「……初めて聞いてくれたね、兄ちゃん」


 ルカは自身のベッドへ飛び込んだ。


「分からないんだ。ちょっと前は本当に嫌だった。勉強は面倒くさいしさ、家は息苦しいし。でも最近はちょっとやる気になって来たしさぁ~~」


 ルカはごろごろと寝返りを打った。


「でも、後継者になりたくないって聞いてもらえてちょっとスッキリしたかも。ありがとね、兄ちゃん」


 セスはずっと何も言えないでいる。ルカは勢いをつけて上体を起こした。


「まあ、これからじっくり考えるよ! 春にはオレも寄宿学校に入学するでしょ。先は長いんだしさぁ、勉強して色々知ってから自分のやりたいこと決めるよ」


(ああ……)


 セスは初めて弟を羨んだ。自分はワイアット家の後継者として一生を捧げてきたのに。母親を喪って、キャシーを傷つけて、それでも厳しい教育にも耐えてきたのに。家を継ぐことも、全てを捨てて好きな人と生きることもどちらも叶わなかった。

 弟はどちらの選択肢も、自分で決めるという。


(僕の人生って何だったんだろう──いや、どうだって良いことだ)


 脳裏に浮かんでしまった言葉をセスは否定した。

 セスはもう自分の人生に何も期待していない。魔力のない魔法使いとして生きていくことも、先の知れない脆弱な身体で好きな人と生きていくことも、望んでいない。全てが終わったら、──彼はこの身体に始末をつけてしまうつもりでいる。

 叶うなら、思い出の埋まる雪原で眠りたい。それが彼の、この人生で持つ自分の為の願いである。


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