9 空の青
王宮の裏庭は人気がありませんが全く無人というわけではありません。
何かあったら大変ですから、警備の騎士はおります。
話し声ならともかく、《叫び声》は《はっきりと》聞こえたことでしょう。
この国一番の騎士で頭脳明晰の誉れ高い近衛隊長が妻に怒鳴りつけられた。
近衛騎士の間でそれはどんな《噂》になるでしょう。笑いが止まりません。
私はひとつ息を吐くと、固く結い上げていた髪を解きました。
貴方がいつか褒めてくれた薄い金糸雀色の巻き毛が広がります。
貴方が一人でリュエンシーナ様を追いかけて行ってくれて良かった。
私はまだ冷静になれませんし、貴方には、考える時間ができるでしょう。
時間をかけ。そして用意ができたなら、その時は話し合いましょう。
難しいことではないはずです。
自分の絶望をわかってもらう為とはいえ、命をかけて国王陛下に罵詈雑言を吐くよりは。
私の実家が没落し、日々の生活にさえ困る状態だと知っていても
貴方は私を、生涯の伴侶に選んでくれた。
私はそんな貴方に相応しくなろうと
誰もが認める淑女であろうと
夢中でした。
貴方は国王陛下を守るお立場。国を支える方。
そんな貴方を妻として女主人として影から支えようと
必死でした。
何年も顔を合わせなくても
声を聞かなくても姿を見なくても
それで良いと思っていました。
貴方はきっと私を、娘を、想ってくれている。
私の気持ちをわかってくれている。
それだけで良いのだと。
けれど―――――
《女主人》としての多忙な日々。愛しい娘の、貴族としての慣れない教育。
私は、いつから貴方を見なくなったのでしょう。
私たちはいつから相手に声を届ける努力を怠っていたのでしょう。
そのせいだったのでしょうか。
……ねえリュエンシーナ様。
謝らなければなりません。
貴女が王宮に上がられた時。貴女を一番妬んでいたのは多分、私です。
この国一番どころか、この世で一番大切な令嬢であるはずの娘を置き去りにして
あの人は、私に貴女の護衛を命じたのです。
貴女を《大切なご令嬢》だと言って。
――――― ならば私の。わたしたちの娘は? ―――――
……淑女の微笑みの下で貴女に仄暗い感情を抱いていた私を、軽蔑しますか?
ですが、貴女はそんな私の心をすぐに変えてしまわれました。
その姿も、立ち居振る舞いも美しく、文句のつけようもないご令嬢。
……なのに、くるくると王宮中を動きまわって。何処か変わっていて………。
貴女といるのは楽しかった。
まるで陽の光をどこまでも追いかけて走る、子どもになったような気がいたしました、と言ったら。
貴女は怒るでしょうか。
笑うでしょうか。
ねえ、リュエンシーナ様。
私は疑問に思うのです。
何故、国王陛下は貴女の近況を私に報告させたのでしょう。
《王太子妃にと望んだ娘》の近況は、知る必要があることでしょうか。
大親友の子どもで、自ら《何か》を教えたくなるほど可愛らしい娘。
その様子を尋ねるのは、昔からの何気ない癖だったのかもしれません。
よく会われていた大親友――貴女のお父様から、貴女の様子を聞くのは国王陛下の楽しみであり《癒し》であったことは、想像に難くないですから。
ですが。
今も。貴女の様子を聞く国王陛下のお気持ちは、昔のままだったのでしょうか?
何年も会っておらず
いつまでも幼い子どもだと思っていた貴女は、突然美しい少女となって現れた。
貴女と私が初めて顔を合わせた日。
貴女に微笑みを向けられた国王陛下の、そのお顔に浮かんだ戸惑いに
貴女は気付いていたでしょうか。
国王陛下は。もしかしたら貴女を―――――
なんという清々しさでしょう。
見上げれば真っ青な空。
陽が眩しく輝いています。
そう遠くない未来。
この国は年若く、光り輝くような王妃様を迎えるかもしれません。
その時は、王宮に託児所ができるのかもしれません。
子ども達は裏庭で木登りを楽しむでしょう。
そして私たち夫婦が変わる未来も、きっと、すぐそこに―――
読んでいただきありがとうございました。