8 近衛隊長
リュエンシーナ様を見送って、戻ったところで私は近衛隊長に捕まりました。
内々にリュエンシーナ様を探されていたのでしょう。
国王陛下の命令でしょうか。
他の者には知られることなく、詳しく話を聞こうということなのか。
近衛隊長が私を連れて向かったのは人気のない、先程までリュエンシーナ様といた裏庭でした。
「エスファニア。リュエンシーナ様のお姿が見えないが、何処へ行かれた」
ぼんやりと。
同じ裏庭なのに先程リュエンシーナ様といた時とは色が違うな、と思いました。
何故か目に入るもの全てが色褪せたように見えるのです。
しかしすぐに気がつきました。
これが
今まで私が見ていた色なのだと。
どうやらリュエンシーナ様がいる場所は色鮮やかに見えていたようです。
何故でしょうか………。
再び名前を呼ばれ、私は意識を近衛隊長に戻しました。
「エスファニア。リュエンシーナ様は何処へ行かれた」
「――存じませんわ」
「お前が知らないはずがないだろう。何処へ行かれたのだ」
「言えませんわ。いくら元・上司の近衛隊長様のご命令でも」
「………何……?」
近衛隊長が訝しげな顔を向けてきます。
私は―――その顔を睨みつけました。
「―――貴方の進言ですか」
自分でも驚くほど低い声でした。
「貴方の仕業ですか。国王陛下は私の進言を聞き入れて下さっていたのに。
1年も早く今、リュエンシーナ様に告げられたのは貴方が進言したからですか」
「違う。私ではない。あれは………国王陛下が――」
「――だとしても。貴方はお止めしなかった」
「―――」
「何故、お止めしなかったのですか。
私の進言など、どうでも良かったのですか」
「違う。そうではない。ただ、状況が変わったのだ。それで――」
「状況?……第2王子殿下がリュエンシーナ様を妃に望まれましたか」
近衛隊長は目を見開きました。
「お前。知って―――」
ええ、知っていました。
いいえ、察していました。
当然でしょう。
私は、リュエンシーナ様と共にいたのです。
第2王子殿下の、リュエンシーナ様を見る目。
それがいつしか《姉》に向けるそれではなく《愛しい人》を見るものへと変わったことに
気付かないわけはありません。
なるほど。
では近衛隊長は――多分、国王陛下も。
第2王子殿下の想いを知り、恐れたのでしょう。
リュエンシーナ様を第2王子殿下に取られるかもしれない、と。
王太子殿下の妃――将来の王妃に、と望んで招き、教育してきたご令嬢です。
そんな事態は避けたいと、焦ってリュエンシーナ様に告げたのでしょう。
王太子妃になるように、と。
わからないではありません。
ですが、それでも告げるなら。
あなた方はまず気付くべきだったのです。リュエンシーナ様の想いに。
王太子妃に、と言われたリュエンシーナ様がどんな気持ちになるのか。
察するべきだったのです。
国王陛下を想う気持ちを知っていて、それでも王太子妃にと告げたのなら。
彼女の反応もまた、違うものになっていたでしょうに。
「……私は成人されるまで待つようにと進言しましたのに」
「……それは……悪かった。思いもしなかったのだ。まさか……」
「まさか、リュエンシーナ様が国王陛下を想われていたとは?」
近衛隊長は渋い顔になりました。
―――そうでしょうね。
国王陛下も、そして貴方も。思いもしなかったのでしょう。
特に国王陛下は。
リュエンシーナ様は自分と同年代の、大の親友の娘。
生まれた時から知っている、可愛らしい《子ども》だったのですから。
私は。近衛隊長を見つめました。
「……子どもは、すぐに大人になるんですよ」
じっと。見つめました。
「子どもは《成長する》のです。
国王陛下も。そして、貴方も。ご存知なかったようですけれど」
近衛隊長は……私から目を逸らしました。
「確かに悪かった。
だが、お前もお前だろう。聞いていたのなら何故、言わなかった」
「――聞いてなどおりません」
「何?」
「私は察しただけ。リュエンシーナ様は何もおっしゃいませんでした。
言うはずがないでしょう。
誰にも知られることなく、終わらせようとしていた恋なのですから」
「……終わらせようと?」
「リュエンシーナ様は、恋を成就したいなどとは思っておられませんでした。
18歳になるまでお側にいて、ひと時の幸せを噛みしめていたかっただけ。
18歳になって成人したなら貴族に嫁ぐ覚悟をされていたのです。
国王陛下のことは、子どもだった頃の優しい《思い出》として。
どこかの貴族の妻。良き《女主人》になるおつもりだったのです。
それを。
まさか《愛しい》国王陛下にけろりと《他の男》――しかも《息子》に嫁げと《命令》されるとは。
どれほど傷付かれた事でしょう。
《王太子妃になれるのだ。嬉しいだろう》とでも笑って言いましたか。
成人前のご令嬢を、極刑覚悟で国王陛下に暴言を吐かせるまで追いつめるとは」
「―――」
「せめて何故、リュエンシーナ様の意思を尋ねることをしなかったのですか。
王太子妃はこの国一番の女性。女なら誰もが憧れ望む地位。
リュエンシーナ様も、大喜びで受けて当然だとでも?
彼女は国王陛下が幼い自分にくれた優しさまでも否定してしまいました。
全ては《このため》の布石だったのかと。
国王陛下にとって、自分はただの《駒》でしかなかったのだと絶望しておられたのですよ?」
自分でも気付いておりませんでしたが、心に重く積もっていたのでしょう。
一度吐き出してしまえば言葉はもう、止まりませんでした。
「どんなお気持ちですか。《大切なご令嬢》をお二人でそこまで追い詰めて。
ですが……。国王陛下にも貴方にも、どうでも良いことなのでしょうね。
お二人はこの国の先を考えるお立場。
リュエンシーナ様のお気持ちだけでなく、王太子殿下のご意思も。
第2王子殿下の想いも。……女、子どもの心など、どうでもいい。
――国の前には、取るに足らない些細なことですものね」
近衛隊長は呻くように言いました。
「言い過ぎだ、エスファニア。国王陛下も私も……ただ、知らなかったのだ」
怒りで。そして、哀しみで。目の前が真っ赤に染まった気がしました。
「知らなかった?知ろうとしなかった、のでしょう?」
知ろうとしなかったのでしょう?
国一番の尊き方。偉大なる国王陛下も
国一番の騎士で頭脳明晰と誉れ高い、近衛隊長の貴方も
彼女はやり手の他国の大使ではありません。
手練れの騎士でもありません。
親子ほど歳の離れた少女です。
どれだけ隠しているつもりでも
溢れてしまう笑顔で
弾んでしまう声で
ほのかに赤く染まる頬で
気付けたのではないのですか?
察せたのではないのですか?
私や侍女長が気付いたのは《奇跡》ではないはずです。
「貴方は……何もわかっていらっしゃらない……」
唇をきつく噛み締めました。
強く握った手に、風に運ばれてきた木の葉があたります。
「リュエンシーナ様は………私の屋敷です」
「………私の……?」
「ええ。娘のガヴァネスにお相手を任せました」
「……ガヴァネス……?何を言って――」
「私に今年で7歳になる娘がいることを忘れていましたか?それとも。
――もしや、私に娘がいたことすらお忘れでしたか?」
「―――――」
「お伝えすべきでしたか?
2年前。リュエンシーナ様の見守り役兼、護衛を命じられ王宮に上がった時に。
私には5歳になる娘がいるのだと。それは気付かず失礼いたしました」
「………エスファニア……」
「安心してください。良いガヴァネスですわ。探すのに苦労しましたの。
……貴族は他人のことをよく見ている。
そうでなければ上手く立ち回れませんものね。
我が家は、夫が仕事ばかりで帰宅せず。女主人である妻の私は没落貴族の娘。
誰が言い出したのか《悪妻のせいで当主が帰れずにいる家》だと噂されまして。
良いガヴァネスを雇おうにも《噂》の通り、雇い主である夫は不在。
妻の私は没落貴族の娘です。ガヴァネス探しは、それはそれは難航しましたわ。
頼る人も伝手もなく、どうしたものかと頭を悩ませておりましたの。
―――その上《2年前》からは妻の私も屋敷をあけることになりました。
夫の《命令》でしたので。仕方がありません。
ですが両親揃って不在。
娘の将来を左右するガヴァネスを見定める面接にも顔を出さない。
《あの家の娘は放置されているのだ》と噂に加わっても仕方ありませんわね。
多くのガヴァネスから《ろくな働き先ではない》と敬遠されるのも当然ですわ」
「―――――」
「それでもようやくこの方なら、というガヴァネスに出会えたのは奇跡でした。
なんとか娘が7歳のうちに来てもらうことが出来ましたし。良かったです。
――そのガヴァネスに今、リュエンシーナ様のお相手を任せております。
とても良い女性です。心配には及びませんわ」
「エスファニア……私は……」
貴方の狼狽えた声。久しぶりに聞いた気がします。
私は淑女の笑みを浮かべようとしましたが――
かわいた笑いしか出ませんでした。
「……よろしいのですか?リュエンシーナ様は私の家に一旦身を寄せただけ。
父母に詫びたい。故郷へ帰りたいとおっしゃっておりましたが」
「――何?!では、まさか馬車を手配したのか?!」
「手配などしてはおりません。ですが我が屋敷に馬はおりますわね。
ご存知?リュエンシーナ様は乗馬がお得意だとか。剣も扱えるそうですわ。
なんなら木にも登れると。国王陛下から直接教えていただいたそうですよ」
「……後で話そう。待っていてくれ」
「はっ!」
私は息を大きく吸い込んで。
腹に力を込めて叫んだ。
――――― 「おとといきやがれっ!!」 ―――――
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