Report 14 妖誅(4)
〈交戦状況〉
イソマツ VS 丙 → 賢治が丙に連れ去らわれて、イソマツが追跡中
壬 VS 陰陽保安局東部支局 → 壬が陰陽保安士を振り切って逃走中
〈残存敵対勢力〉
甲 丙 戊 庚 辛 壬 干
【Side - 辛】
「いや、だからねシスターさん。俺たちゃ同盟の人間で、因幡さんから頼まれたんですよ」
「ですから、いくら委任状を見せられても、保護者である因幡清一郎さんから直接連絡が来ていない以上、現世さんをお引き渡しすることはできません」
辛は眼鏡をかけたシスターに、毅然とした態度でそう言われた。
(くっ……。どういうことだよ干、想像以上にガードが固えじゃねえか)
ここは円島マルティン教会のエントランスだ。
辛は前もって、干から渡されていた円島マルティン教会のフリースクール「めぐみのまなびや」の委任状に、嘘の情報を記入して書類を作成していた。それで職員を騙し、現世が出てきたところを、丙から受け取った魔道具「吸魂車輪」を発動させ、現世の意識を吸い取る算段だった。
ところが実際行ってみると、保護者からあらかじめ連絡が必要であることをシスターに指摘されたのだ。
この状態では現世と引き合わせることすらできないと言われ、辛は窮地に陥っていた。
(ええい、視界にさえ入ればいいんだ。だったら兄貴を呼んで強引に押し入るか?)
説得は諦め、強行突破をする方向に切り替えようとしたとき、
「お前、マガツの構成員だろ」
と、後ろから不意に言われた。
辛は、心臓が口から飛び出るんじゃないかと思った。
振り向くと背後には、頭巾からピンクブラウンに染め上げた髪をはみ出させた、別のシスターが立っていた。
「な、ななな、何をおっしゃっているのですか?」
「とぼけるなよ。徳長さんから、マガツの構成員の名前と特徴を教えてもらってね。該当人物がウチの門をくぐったとき手の甲に印ができるよう、術を施しておいたんだよ」
辛は慌てて、右手の甲を見る。
「ば、ばかな。そんなものあるわけが――痛ででででで!!!」
だがそのまま、右手を取られて背中の方へとピンクブラウンのシスターに捻られた。
「んなわけねーだろ、ばーか!!」
(こ、このアマ!! こうなったらウン十年ぶりにコイツを使ってやる!!)
辛は左手で、ジャケットの裏地に括り付けた何かが書かれた札を取ろうとした。
だが、
「아이쿠!!」
奇妙な掛け声と共に、辛の左上腕骨に衝撃が走った。
眼鏡のシスターが中腰の姿勢から腰をうねらせながら姿勢を伸ばし、辛の左腕目がけて回し蹴りを繰り出したのだ。
「うぎゃあっ!!」
辛は札を取り落として地面に落とした。
左腕がしびれて動かない。骨にひびが入ったかもしれなかった。
「レヰ而!! ぬっしゃあ、弟になんばしよっと!!」
庚が、辛の悲鳴を聞いてすっ飛んで来た。
「영、차(よい、しょっ)!」
だが、ピンクブラウンの髪のシスターに庚は足を払われた。体勢を崩し、襟首を捕まえれて、そのまま辛めがけて投げられた。
辛は「うげっ!」と叫んで、そのまま庚の肉体に押し倒される形で倒れ込んだ。
眼鏡のシスターが「リチェ!!」と、ピンクブラウンの髪のシスター――リチェの名前を呼んだ。
リチェがそれに応えるように「あいよ、ソクハ!」と返した。
リチェは十字架のまきびしのようなものを、懐から取り出した。
それを四方向に投擲して、正方形ができるように床に突き刺した。
ブウンッ……。
すると、十字架を囲むように光線が浮かび上がる。四人を囲むように、四角形の結界ができた。
(これは……、霊的結界か!?)
『告白の十字間 Crulox Confessio』――地面に刺さると力場が展開され、十字架同士を結ぶ形で霊的結界を張る。この結界のなかではどれだけ術を使おうと、汎人には知覚できないようになるのだ。
ソクハが、袂から聖書を取り出して開いた。
「《わたしは今や、倒れそうになっています。
苦痛を与えるものが常にわたしの前にあり
わたしは自分の罪悪を言い表そうとして
犯した過ちのゆえに苦悩しています。(*1)》」
聖句を唱える。
辛と庚の足許に、ラテン語の文章が入り混じった複雑な文様の「陣」が出現する。
そして――
「ぎっ――がああああッ!!」
「ぬおおおおっ!!」
激しい頭痛が辛を襲った。
(な、何だこれは!? みみっちくてこすっからくて臆病な自分自身に対し強烈な罪悪感が湧き出てきて……猛烈に頭が痛む!!)
「[悔悟の円陣 Circulus Resipiscentiae]――これは、あなたが自覚する己の罪深さに比例して苦痛を与える結界です……。あなたの卑小さをあなた自身が苛むのならば、悔い改めなさい。そうすることでしか、この苦痛から逃れる道はありません」
「聖句呪文 Scriptual spell」――聖書の文章を魔術的に解釈することによって、霊力場を展開する呪文として詠唱する、キリスト教系の伝統魔術 traditional magical arts である。聖句呪文は詠唱する《聖句》と、聖句を呪文として解釈したその方法論[解釈法]に分かれるが、詠唱するのは《聖句》だけでよい。
キリスト教はその歴史において分裂を繰り返し、無数の教派と教会に分かれた。だが20世紀になると、科学文明の急進と術師界の台頭によって、その地位は急激に危ぶまれた。そのため、マルティン教会含むキリスト教は術師界において、バラバラになってしまった各教派・教会が連帯して布教するために、魔導超教派運動を展開した。その際、各々の教派が既に持つ術体系を整理する必要があった。そのうちの一つが、聖句にまつわる超常的なエピソードや、聖句を用いた祓魔などの技術を、精霊術の体系に沿って再体系化したのである。そうしてできたのが、聖句呪文なのだ。
ソクハの唱える聖句呪文[悔悟の円陣]によって、辛と庚は完全に拘束されてしまった――かのように思えた。
「ぬ……ぬっしゃあ!! 《オン・マリシエイ・ソワカ》!!」
庚が、右手と左手の人差し指と中指を立て、右手を空中で切った後、左手の薬指・小指・親指の三つの鉤の中に入れて、詠唱した。
日章旗のような赤い霊光が迸り、二人を包んだと思ったら光のちりとなって消えた。
「……!」
すると、辛は頭痛が嘘のように消えていくのを感じた。
「行くど、レヰ而!」
「おう、兄貴!!」
[悔悟の円陣]の苦痛から解放された二人は、奥へと走り出した。
真言――それは仏教、特に密教系仏教教派を代表する伝統魔術である。
そしてこれは、摩利支天の真言である。喚起することにより加護を得て、霊的結界からすり抜ける結界を対象の術師に展開することができる呪文だ。この前の乙こと瑞樹率いる信州スリーパーズが清丸高の天井の結界をすり抜けることができたのは、辛が事前に摩利支天の真言を彼らに施していたからだ。
「――!? そんな! この結界から脱出するなんて!!」
ソクハの悲鳴じみた声を背に、二人は構わず中へ押し入った。
「兄貴に坊主の経験があって助かったぜ!!」
「何とかのひとつ覚えってヤツで、あれしかできんとばい!」
聖堂の扉に向かって左に曲がる。
廊下の左手に並ぶ部屋は二つ。椅子と机が均等に配置された教室のような部屋と、必要な時だけ椅子と机を出す多目的室のような部屋だ。突き当たりは台所ののようだ。
右手には階段と、その踊り場にトイレが設えられていた。
「ガキどもの声だ! まだあそこにいるに違いねえ!!」
その時、突如辛の目の前が昏くなって流れ星が流れた。
(――)
倒れ込んだところで、後頭部に強い衝撃を受けたのだとわかった。
ガシャーン、バラバラという、ガラス片が砕け散る音がして、酒瓶のようなものをぶつけられたのだと、辛は機械的に類推した。
(ん……な……)
後ろを振り向くと、リチェが割れて先がとがった焼酎の瓶を手に取っていた。
「ぬっしゃあ!! もう、おなごとて許さんばっ――」
庚がリチェに激昂して、リチェに食ってかかる。
だが瓶の切っ先を目の前に突き付けられ、辛と同じように制止した。
「そっから一歩でも動いてみろ……。죽여버린다、임마들(ぶっ殺すぞ、てめえら)」
リチェは、ドブ川のように濁った目でにらみつけながらそう言った。
★
【Side - 徳長】
(大失態だ……!! 頭上が無防備になる屋上へ出ないよう、言っておくべきだった!!)
徳長は自分を責める言葉でいっぱいの頭を無理やり働かせ、旧階段の手すりを〔鎌鼬術〕の風術を使って一気に滑り降りた。手すりが終わる一階の踊り場で飛び降り、そのまま五色高校校舎裏の駐車場へ向かっていた。
賢治くんが飛行箒に乗るマガツに連れ去らわれました。月輪山の方へ逃走中。状況が分かり次第、逐次連絡致します。
向かいながら徳長は、霊波操作によってスマホにメッセージを打ち込んで送信する。相手は維弦と平祐だ。
徳長のフィールダーの荷室には飛行箒・ミノルヴァH226を乗せてある。それで追いかける以外に方法はなかった。
加えて徳長には、連合が賢治が誘拐されたことを知り、マガツから奪い返す前に動かなくてはならないという、厳しい条件もあった。連合内には、「賢治と現世を隔離するべきだ」と声を上げるものも多い。今回連合に大きな貸しを作ってしまうと、今後そうした強硬派に逆らえなくなる危険があるのだ。
自分のフィールダーの許に辿り着く。キーを入れてバックドアを開いた。
(……?)
そこで徳長は、言い知れぬ違和感を覚えた。
だが、そんなことに気を取られている場合ではない。急いで飛行箒を取り出した。
ところが、であった。
「な……!! 何だこれはッ!!」
徳長は余りのことに、思わず叫んでしまった。
飛行箒のエンジンとマフラーの接続部分が、鋭利な刃物のようなもので切り刻まれていた。明らかに何者かによって、壊された形跡であった。これでは霊気を排出することができず、飛行できない。
(日麿も月麿もマガツの調査で遠方へ行かせているから、追跡は頼めない。直しているヒマなんてないから、フィールダーで追いかけるしかない……くそっ!!)
諦めてバックドアを閉め直し、サイドドアを開く。
そのとき、肩を叩かれた。
「一緒に行かせてもらえませんか?」
聞き覚えのある野太い声。
徳長は振り向いた。
「何故、あなたが……ッ!」
★
【Side - 辛】
三者は硬直していた。
割れた瓶を突きつけるリチェの殺意に気圧されて、庚と辛は身動きできずにいた。
(な、なんだよこの女……)
辛と庚は察した。
この女の目は、明らかにカタギのそれではなかった。
裏社会に属する者の貌である。
長年ヤクザな世界で生きてきた二人は、このあとどうなるのかを熟知していた。
逃げられる望みがない場合――どちらかが死体になるか、降伏するしかない。
「リチェ……! アンタ何やっているの!!」
廊下の曲がり角から出てきたソクハが、驚愕した声をあげる。
「ソクハ、子どもたちを部屋から出させないで」
「でも……!」
「早く」
リチェは庚から全く目を離さずにそう指示を出した。
一瞬、躊躇した素振りを見せたソクハだったが、リチェの言うとおり奥の部屋へ向かって行った。
たった10秒の膠着が、10分にも10時間にも感ぜられた――その時だった。
「先生ー、現世ちゃんがトイレから出てっちゃったー」
階段下のトイレから、ツインテールの女の子が出て来た。
「!」
リチェは、割れた瓶を女の子から見えない位置に隠した。
「岩居さん! 出てきちゃダメ!!」
部屋から飛び出てきたソクハが甲高い声で警告した。
この隙を、辛は見逃さなかった。
辛は一気に駆け出してトイレの中を見る。
すると、便器の上にある窓が開いていた。
「兄貴、ガキが消えた!!」
辛が大声で叫んだ。
「ばっ! そんなら長居は無用ばい!!」
二人は台所の方へと一気に駆け出した。
(昨日双眼鏡で教会を覗いたとき、この棟の奥には非常口があった! そこから脱出だ!!)
「씨발、기다려라!!(くそっ、待ちやがれ!!)」
制止を呼びかけるリチェだったが、それに二人が応えるはずもなかった。
辛の狙い通り、台所には簡易なクレセント錠の非常口があった。
取っ手をひねり、中庭へと二人は飛び出す。
辛はキョロキョロと向いたが、現世の姿はなかった
「クソ、いねえ!!」
「まだそぎゃん遠くへは行っちょらんはずばい!! こっからさっさと出るとね!!」
辛と庚の二人は突如立ち止まる。
目の前は、4メートルはある鉄柵で行き止まりだった。
辛は、自分たちが立つ地面に向かって意識を集中させる。すると不思議なことに、足許が黄金に光り始めたのだ。
ジャラ――ジャララララララ。
地面が割れて、温泉のように黄金の板切れが吹きだしたのだ。
それは江戸時代に使われていた、大判と小判であった。
辛と庚の二人の身体は、大量に生成される大判小判に乗って一気に駆け上がった。黄金の波は鉄柵を呑み込み、二人の身体を教会の敷地の向こうへと運んだ。
「がっはははは!! これが金霊の血を引く俺の超能力、〔応判虚判〕よ!!」
辛は黄金の波を滑り降りながら、高笑いをする。
〔応判虚判〕――地術系の超能力で、地面や空気中のちりなど金でないものを黄金に変成することができる。
しかし、である。
大量の大判小判がその光を失う。そしてボロボロの灰になって、風に飛ばされていった。
あれだけあった黄金が嘘のように、跡形もなく消えさってしまったのだ。
「これが本物の金だったならなあ……」
「そぎゃんこつ言っとる場合と? 恐らく因幡現世ば、すぐそこん五色高ん徳長と合流しとるはずとね。だけん、青梅賢治をかっさらった丙を追うつもりたい」
「ああ。だが、俺たちじゃ徳長にはどう逆立ちしても勝ち目がねえ」
「その通りたい。だからとりあえず、この先のマンホールから廃駅につながってる地下迷宮にもぐって、月輪山山中で壬と丙たちと合流するばい! ――干が徳長の飛行箒を破壊したって言うていたから、ぬっしゃフィールダーを使うしかなか。ひとまずは、図画トンネルで待ち伏せている甲に任せるとね!」
庚と辛の二人は、地下迷宮へ潜る入口を探すために逃走を開始した。
★
【Side - 徳長】
「――さあ、こんな無駄話をしているヒマはないはずだ。早く決めてくれませんか」
徳長の目の前には、五星院真が立っていた。
彼は徳長の顔を見るなり、「一緒に乗せてくれ。僕なら、青梅賢治くんを誘拐した犯人を追跡できる」と言った。
唐突な申し出に、当然徳長は訝った。
真の弁によると、「屋上に残った霊紋から式神――召喚精霊を追尾させた」という。
徳長はそれ自体、疑わしいと思っていた。
旧階段で彼とはすれ違わなかった。それにそんな力場は感じない。
だが真は、次のように言い張って押し通そうとした。
――力場を感じられたら、追尾する意味がありませんよ。あと、僕が旧階段に入ったのは五階だから、ちょうど降りたすぐ後で行き違ったんでしょう。
(どうする……。だが、こうしている間にも賢治くんが……ッ!!)
徳長は口の端を歪め、不快感と苛立ちを顕わにしつつ、
「わかりました。乗ってください」
真の提案を呑み込んだ。
(この男のペースに乗せられてはいけない。だが、今の私に有効な追跡手段がないことは事実。ここは乗せられたフリをして――)
「現世も連れて行くのだ!!」
甲高く凛とした声が響く。
徳長が横を向くと、そこには人間の姿に戻った現世がいた。
「……現世さん!」
現世の姿を確認するなり徳長は、眉間に皺をグッと寄せて詰め寄った。
「何故、逃げ出したんですか!!」
現世に対してこれだけ声を荒げることは、極めて珍しいことだった。
「これ以上あそこにいては、教会のみんなが危険なのだ! むしろ涼ちゃんと一緒にいた方が安全なのだ!」
「勝手な判断をしないでいただきたい。それであなたの身に何かあれば、リチェさんやソクハさんの責任になるのですよ?」
そう言われて、現世はたじろいだ。
だがチェックのカーディガンにつけた「B」のバッジを引っ張り、弁明を続けた。
「だ、だが賢治の居場所を知りたいのであろう? 現世ならば、この――」
「シッ!」
だが、徳長が人差し指を唇に当てて鋭く息を吐いて制止させた。
現世はそこで、背後にいた真の姿に気づいた。
「あなたならば……何だね? 因幡現世さん」
現世が何か言いかけたことに気づいた真が詰め寄る。
徳長は、固い唾を飲み込む。
「失礼。僕は退魔連合の五星院真という者だ。五年前にお会いしたことがあるが、憶えているかな?」
「……はい。お久しぶりです」
現世はいつもの尊大でフランクな口調から恭しい雰囲気のものへと変え――警戒しつつ挨拶をした。
「現世なら、『門』を通じて霊力場を共鳴している賢治の居場所がわかるのです。なんとなく、ですけれど」
とっさの嘘にしては上出来だ、と徳長は思った。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう現世さん。これ以上、ここで油を売っている暇はない。徳長さん、失礼するよ」
真は後部座席のサイドドアに手をかける。
「ちょっと、何で後ろに二人して乗るんですか」
「こうした方が何かあったとき、僕が現世さんを守れるでしょう。さあ、早く発進させて。逃げられてしまいますよ」
徳長は真に主導権を握られたままなのを苦々しく思いながら、運転席に乗り込んだ。
それから、真と現世がちゃんと座ったことを確認すると、フィールダーを急発進させた。
―――
*1 この箇所は、以下の文献より引用致しました。
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 第38編 18、19節 2008年)




