Intermission 1
これは、マガツによる同時多発テロが起きる四時間ほど前のことである。
五色高に務める女性教諭・高崎法子は、車の鍵をかけに駐車場へ向かった。
一限目から出勤しているというのに、四限目も終わりそうになったときになり、ようやく思い出したのだ。
(はぁー、アカンアカン。あたしって、何でこんなにぼんやりしとるんやろ)
高崎はそそっかしい性格の持ち主で、化学教諭でありながら実験は率直に言って苦手である。
自宅も勤務地も交通の便が悪いため自動車通勤しているのだが、運転の腕は本人でも免許が取れたのが不思議なくらい下手だ。愛車であるスズキ・アルトには、擦った傷が無数にある。
階段を下りて出る一階の踊り場には、出口がある。そこを潜ると、駐車場はすぐそこだった。
だが駐車場には、意外な先客がいた。
(あれ? 徳長先生?)
一年で古典を教えている徳長涼二教諭だった。
徳長は、勤務態度が真面目で授業も面白く、教師からも生徒からも評判が良い先輩だった。非常勤時代から数えて三年目になるというのに、未だに教頭や教育主任から叱られる高崎とはえらい違いだった。
その徳長がいま、彼の愛車であるフィールダーのバックドアを閉めていたのだ。
「徳長先生ー」
高崎は声をかける。
すると徳長は、いつもと変わらない柔和な笑顔で「ああ、どうも。高崎先生」と返した。
「どうなさったんですか?」
「いえ、忘れ物をしましてね」
「ええっ。徳長先生でも、忘れ物をすることがあるんですね」
そう口にした後すぐに、高崎は今の言葉が失言であると知り、恥ずかしくなった。
彼女は頭に思ったことを、そのまま口に出してしまう悪癖もある。
「あ、いや! その! ……今のは、そういうわけでは――」
「あはは。私だって人間ですから、忘れ物くらいしますよ」
徳長は「では、ちょっと急ぎますので」といって、その場を辞去した。
(はぁー……。私も徳長先生みたいになりたいなァ)
颯爽と校舎に戻っていく徳長を見て、高崎は我が身を振り返る。
「あ、アカンアカン。そんなことしとるヒマやない」
高崎はやるべきことを思い出し、自分の車であるアルトの方へ向かって行った。
だが、高崎は知らなかった。
出勤してから放課後まで、徳長は駐車場になぞ一度として行かなかったことを。




