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Report 12 ロンリーガール・クロス・ロンリーガール(9)

【2014年 桐野 13歳】


(汎人界に出たはいいが……、一体どこへ行こう)


 清丸町の北にある日輪山を通る四辺(よつべ)トンネルから汎人界に出たわたしは、国道129号沿いに平塚の方へ向かった。

 そこで私はようやく、ジャージのポケットに白い杖を入れっぱなしだったことに気づいた。


(くそっ……。こんなもの、もう見たくもないのに……)


 大浜公園を通り過ぎて国道134号を横切ろうとした――その時だった。


「あれー? 堺じゃーん」


 甘ったるい、そして小馬鹿にするような声に呼び止められた。

 振り向くと、くそうるさいEDMを鳴らしているサーフボードをルーフに括りつけたミニワゴンから、10代前半くらいのブリーチかけたウェーブの女子が助手席から顔を出して、こっちをにやにや笑いながら見ていた。


「お前……、壱岐(いき)か」


 壱岐。

 わたしが群馬に引っ越す直前に通っていた小学校の同級生で、母親が行方不明になったことをネタにからかってきたクソ女だ。

 車の中は、運転席のコーンロウに奥には二人の男女がいった。誰も彼もガラが悪く、近寄りたくない連中だと一目で思った。


「アンタ今、こんなところに住んでいるんだー。ウケるー」

「何この()、結構可愛いじゃん。ユメの友だち?」


 コーンロウの男が言った。


「やだー。こんな陰キャ、ダチなわけないじゃん」


 せせら笑うように壱岐が言った。


「……うるせえ、どうでもいいだろ。話しかけてくんな」


 そう言って私が立ち去ろうとした。


「あ? ウチに対して何その態度。藍人(あいと)、アイツ追っかけて」


 すると、ミニワゴンが急に方向転換をして追っかけてきた。


(あおり運転かよ……! くそっ!)


 ミニワゴンはあっという間にわたしを追い越したと思ったら、目の前で停車した。

 道を塞がれる、そう思ったわたしは細道へ逃げようとした。

 だがその瞬間、右腕をつかまれた。

 後部座席に乗っていたM字バングの金髪が、ドアを半開きにして身を乗り出し、わたしを捕らえたのだ。


「ぐっ、放しやがれッ!!」

「まーまーいいじゃん。ちょっと和もうよ」


「その手を放すのだッ!!」


 幼い、しかし凛とした声が響いた。

 現世だった。

 M字バングが「あん、何だこのガキ?」とすごんだ。


(くっ、面倒くさいことになったな……)

「いやがっておるだろう! さもなくば、この現世がだまっておらんぞ!!」


 現世がそう一喝した。

 すると、ミニワゴンに乗っている連中が揃って爆笑した。


「ぎゃはははは!! 黙ってねえから何なんだよ」

「チビのくせにイキがってんじゃねーぞ!!」

「いやーん、こわーい」


 壱岐たちは全く相手にしていない様子だったが、現世は本気だった。

 M字バングのすぐそばまで近づき、そして――

 ガツンッ!

わたしの右腕をつかむM字バングの右手めがけて、思い切りハイキックを食らわせてやった。


()ッ!!」


 M字バングは手を放した。

 これにはさすがの壱岐たちも色めきだって、車から降り始める。


「――何しやがるこのガキ!」

「おイタする子どもには、おしおきが必要ですねー」


 壱岐たちは、弱い者をいたぶろうとする嗜虐心を隠そうともせず、現世に詰め寄る。


「かかって来い! 桐野にはゆびいっぽん(・・・・・・)ふれさせぬ!!」


 現世が構えた。

 しかし声と顔つきは強がっても――足は震えていた。

 当然だ。

 まだ7歳なんだ。

 そんな小さな相手にガチで危害を加えようとする、ほぼ大人と同じ体格をした奴を目の当たりにしたら、怖いに決まっている。


(な、なんでだよ……。わたし、お前にひどいこといっぱいしたじゃん……)


 わたしには分からなかった。

 さっきも、現世に相当ひどい仕打ちをした。それにもかかわらず、なぜ現世はこうもわたしをかばうのか。


「おいガキ! こんなヤツ助けたってお前のことなんて感謝なんざしねーからな! 自分の世界に浸って、自分のことしか考えられねークズなんだから!!」


 壱岐がヒステリックに叫んだ。


(そうだ……、壱岐の言うとおりだ。わたしなんて、助ける価値もない。恩人の期待を裏切り、自分のことしか考えていないわたしなんて――)


「だまれいッ!!!!!」


 大喝。

 小さな体から放たれたとは思えない大きな声が、潮風に包まれた夏の空気を震わせた。


「自分のことしか考えていないのは、お前らの方であろう!! 桐野が何に苦しんできて、何を乗り越えようと必死にあがいているか、お前らは知っておるのか!? いいや、知っているはずがない。知れるはずがない! 自分を変えようと努力する者の足を引っぱることしかできない、なんじゃくもの(・・・・・・・)のお前らなんかにはッ!!」


 目じりが熱くなるのを、わたしは感じた。

 こんなにもわたしを、何の先入観も偏見もなく、そのまんまを見てくれて信じてくれる存在に、わたしは未だかつて出逢ったことがなかった。


「……うるせえ、意味わかんねーんだよ」


 M字バングが現世ににじり寄る。

 まずい、とわたしは身体が動いた。

 いや。動かされた(・・・・・)、といった方が適切な表現だった。

 現世の、余りにも高潔なその有り様に。


(現世はこんなところで、わたしなんかのために――こんなやつらに傷つけられていい存在のはずがない!!)


 わたしは、現世の方へ意識が向いていたM字バングのみぞおちに横からとび膝蹴りを食らわした。


「――! ぐほっ」


 不意打ちを食らったM字バングは堪らず、その場へ昏倒した。


「逃げろ! 現世ッ!!」


 M字バングのつれと思しきワンレンの日焼けした女が、「ひ、ひいっ! キミちゃん!!」と悲鳴をあげて駆け寄る。


「このクソガキども……、もう容赦はしねえ。ぶっ殺してやる」


 コーンロウの男が、アロハシャツの胸ポケットから小さいビニール袋を取り出す。

 その中には赤い粉末が入っていた。

 コーンロウはビニールを開けて、粉末を鼻から吸引した。


「ぷふぅ~……」


 すると、コーンロウは顔がみるみる赤くなっていった。

 そして唾液と鼻水を垂らしながら、舌をべろべろさせて――あっという間にろれつが回らなくなった。


「へっ、へへへえぺぺぺへへへへへぺへへぺへへ――」


 ゾクッ。

 明らかにまともじゃない反応を示すコーンロウ男に、わたしは慄然とした。

 いや、慄いているのは男が錯乱しているからじゃない。

 これは明らかに――霊力場だった。

 どういうわけかわからないが、ラリった途端にコーンロウは力場を展開したのだ。

 彼女であろう壱岐ですら、「あ……、藍人……」とおびえていた。


「えひきゃぱうぃッ」

「きゃあっ!」


 コーンロウが奇声をあげながら壱岐を突き飛ばし、わたしたち目がけて飛びかかった。

 わたしは――無意識のうちにジャージのポケットから白い杖を取り出した。

 そして、唱える。


「《PKシュート》!!」


 赤いエネルギー球が杖の先からまっすぐ発射されて、コーンロウの胸に命中する。

 コーンロウは後方へ吹っ飛び、ミニワゴンに激突した。


「……」


 わたしは、自分で自分のやったことに驚いていた。


(力場が……、安定して展開された?)


「桐野!! できたではないか!! 霊力場の安定がッ!!」


 現世が言った。

 わたしは、やってのけたようだ。

 現世を守らなければならない、という適度の緊張。

 現世を守るんだ、という強固な意志。

 その二つの要因によって、わたしの霊力場はぶれず、遊ばず、力とベクトルが均整の取れた状態で展開されたのだ。


「……ぐぇふぅい」


 コーンロウの男が、立ち上がろうとしていた。


「! 気をつけるのだ!! まだ意識が残っているぞ!」

「くっ!」

 

 わたしはもう一度、杖を構える。

 すると、信じがたいものが目に入った。


(……!? 角……ッ!!?)


 コーンロウ男の赤く染まった額には、二本の角が生えていたのだ。

 手の爪もよく見ると、尋常じゃない形に伸びていた。


真祖返り(リバーション)、こやつヒトじゃないのだ!!」

「何だって!?」


 現世の一言に、わたしは驚いて声をあげた。

 通りで霊力場を感じるはずだ。

 さっきの赤い粉末の作用で、自分の先祖である亜人の力が目覚めたということらしい。


「ぐるうがああああああああああああああああああ!!!!!」


 コーンロウの鬼が気合を込めると、身体がビリビリと震えた。

 霊力場が一気に膨れ上がった。

 アスファルトが震え、枝から葉が落ちるなど、物理的に干渉するレベルの強大な霊力をコーンロウの男は放った。


(くっ……、こうなったら現世だけでも……!)


 わたしは覚悟を決めて、コーンロウの鬼の方へ杖を向ける。


「現世……、さっきはゴメン」

「……桐野?」

「わたしが、ここでこいつを食い止める。だからアンタは逃げて」

「何を言っておるのだ! 桐野も一緒に逃げるのだ!」


 ――ぐおおおおおおっ。


 コーンロウの鬼が咆哮をあげて、わたしたち目がけて迫ってくる。


「桐野ーっ!!」


 一つひとつがナイフのようにとがった鉤爪が襲いかかる。

 覚悟を決めた、その時だった。


「〔烈風衝〕!!」


 わたしの顔のすぐ横を、旋風が通り過ぎる。

 それはコーンロウの鬼を吹き飛ばし、道路の反対側まで転がせた。


「ふー、間に合った間に合った。ダメだよ現世ちゃん、勝手に別れて探すのは」

「涼ちゃん!! それにイソマツ!!」


 現世が破顔した。

 徳長とイソマツが駆けつけてくれたのだ。


「どうやらお二人とも、怪我とかないようですね」


 徳長が焦りに満ちた表情から、冷徹なそれへと一変させて術を行使する。


「〔風縛〕!!」


 徳長は二本指を四回まわし、四つの風のリングを生成する。

 それらは壱岐たち全員を拘束した。

 昏倒している男二人はそのまま縛り取られ、腰の抜けてしまった壱岐とワンレンの女子も呆然とした表情で黙って拘束された。

 それからコーンロウの男が捨てたビニール袋を拾い上げ、わずかに残った粉末を観察する。


「なるほど、和谷製薬が闇でさばいた絞首台の赤い(ローテルガルゲン)小人(メンライン)。この副作用で、自分が亜人の子孫とは知らずに真祖返りしてしまったというわけですね。まだ取引されていたとは……」


 そう一人ごちて徳長は、壱岐たちをキッとにらみつけてからこう言い放つ。


「あなたたちは、しばらくそうしていなさい」


 徳長が、わたしの方へ詰め寄る。

 怒られる。

 わたしは反射的にそう思い、両腕で身をかばうような姿勢を取る。

 しかし、徳長が取った行動は予想と違っていた。


「さあ……帰りましょうか、桐野さん」


 徳長は、いつになく柔らかい声と表情でそう言った。


「……はい」


 わたしは、差し出された徳長――涼二先生の手を取った。

 その手は、すごく温かかった。


「先生ー。こいつらどーすんの?」


 イソマツが言った。

 そこでわたしは、自分が汎人界で術を行使したこと――つまりは術師界の法律を破ったことに気付いた。


「そうだ! わたし、汎人界で呪文を唱えてしまいました!」

「先に真祖返りしたのはあちらです。正当防衛ですよ。魔導警察には通報済みですから、あとは彼らに任せましょう」


 これは後で詳しく知ったことだが、汎人が精霊術に深く関わる事件や事故に巻き込まれた場合、魔導警察に連行される。

 そして、ここで起きたことを絶対に口外せず、追及もしないという、箝口令(かんこうれい)が敷かれるのだそうだ。

 前を向くと、円島に延びている国道129号をパトカーがこちらの方へ上っていた。


「そうだ涼ちゃん! 桐野な、桐野な! 力場が安定するようになったのだぞ!」


 現世が、我がことのように喜んで涼二先生に言った。


「本当ですか……! おめでとうございます、桐野さん」

「¡Ole(オーレ), |felicitacionesフェリシタシオネス(やったね、おめでとう)!」


 二人の祝福の言葉に、わたしは気恥ずかしくて顔をうつむけた。

 しかし、わたしはすごく嬉しかった。

 努力して掴み取った結果を、喜び合える人がそばにいるということが、こんなに嬉しいものだったなんて。


(そばに……、いる)



 人は他人(ひと)を救えない。自分を救えるのは自分だけ。他人(たにん)にできるのは……こうして寄り添うことだけだ。



 ……灯。

 そうだ、灯にこのことを伝えたい。

 あの日、消えそうだった自分に、わずかな時間だけ寄り添ってくれた、あの人に。

 喜びを分かち合える人と、寄り添い合う嬉しさを伝えたい――

 

 ……

 …………

 ………………


 気がつくと、わたしは森の中にいた。

 思い出した。ここは、あの赤城の森だ。灯と出会ったあの場所。


(……!)


 折り重なる枝葉の向こうに、浅葱色がちらりと見えた。


(――灯だ! 灯があのとき着ていたパーカーの色だ)


 わたしは木々を掻き分け、彼女の名前を呼ぶ。


「灯!」


 彼女は、振り返る。

 その顔は悲愴な微笑みを浮かべている。

 頬には、赤い雫が伝っていた。


「――」


 私は、言葉を失った。

 あの日、私に触れてくれたその手は……毒々しい赤に染まっていた。

 そして、朝もやを侵すような鉄と生臭さの悪臭が鼻をついた。

 灯は、血の池と肉片の山の上に立っていた。


「……残念だよ、桐野」


 灯は、わたしの方へ指をむける。

 すると、血と(あぶら)で濁った川の水が隆起する。

 それは弾丸のような形をなして、わたしへ飛んでいく。


 ――がばり。

 わたしは、毛布を蹴り上げるようにして起き上がった。


「……」


 左胸を押さえ、ハァハァと息を切らす。

 そして、ゆっくりと視界を回した。

 光景が、赤城の森からわたしの部屋に様変わりしていた。

 森林をイメージした図柄のカーテンからは、弱い朝の日差しが差し込んでいる。


【2017年5月27日 桐野 16歳】




   ★


【2017年5月27日 灯 98歳(外見年齢20歳前後)】


「んっ……」


 スマートフォンのアラームの音で、目を覚ました。

 時刻は「6:37」と表示されている。


(バイトの時間だ。起きなきゃ)


 六畳一間の小さな私のセカイを、カーテンから差し込んでくる青い光が群青に照らしている。

 わたしはスマホのメッセージを確認する。

 宛名は「Kan」……(かん)から、指令が入っていた。



 今日14時00分、手筈通りFを襲撃せよ



 それだけ確認すると、わたしはバイトに行く支度をし始めた。

 トクマの学生でありパートタイマーであるという日常生活を送りながら、マガツとしての任務をこなす。

 それが今の、わたしのルーティンになっていた。

 そのことに関して、何も思うところはない。

 使命感もなければ、疑問を抱くこともない。


 ――ただ松元が遺した意志を受け継ぎ、守ること。


 それは使命というより、ただの執着である。

 空っぽな私が唯一しがみつける、執着の対象なのだ。

 顔を洗い、着替えて、簡単に髪を溶かし、歯を磨いたら――川の水を入れた小瓶(・・・・・・・・・)をいくつかリュックに入れて、家を出た。

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