Report 10 製薬工場廃墟での激闘(5)
轟音。
瓦礫の山から突き出るようにそれは現れ、賢治たちは慄然とした。
(……なんだ、これ)
ボロをまとった猿のようなアリクイのような容姿。
それはまさしく、ヤマチチであった。
けれども、これはあまりにも異形であった。
ただ大きいというだけではない。
まず、顔が三つあった。首の付け根から、三つの顔が互いにくっつきあって生えている。
また右腕は、自分の体と同じくらいに肥大化している。
――畸形も畸形。自分の理解する生物の範疇を大きく超えたその姿に、賢治は恐怖した。
「合成呪生物……!」
諒子がうなるように言った。
「キメラ!? 二つ以上の違う種の妖獣を魔術によって合成させるあの!?」
桐野が驚いて訊く。
賢治は、地下の光景を思い出す。
妙に大きな手術台。
上階にあるたくさんの檻。
全てが、一つにつながった。
(こいつは、あそこで作られたんだ……!!)
「ここは、設備や薬品のほとんどがそのままで残っている。倒産したとき、それらと一緒に放置されたんでしょうね」
星野が言うと、現世が反論する。
「だけど十年以上も前に、魔導警察の手によってくまなく捜査されたのであろう!? それに檻に入れっぱなしじゃ、いくらキメラとはいえ飢え死にしておしまいなのだ!」
「あの腕を見て。ボロボロだ……」
桐野はキメラの右腕を指差す。
鱗は残らず剥げ落ちて、無数の傷に覆われていた。
傷口の周りには、蝿がぶんぶんとたかっている。白い膿をだらだらと垂らしている傷がいくつもあることから、さっきの衝撃によるものでないことは明らかだった。コンクリの破片がいくつもめり込んでいて、中には同化してしまっているものもあった。
賢治が眉をひそめて「この悪臭は、これか……」とつぶやく。
「不法投棄していたんなら、どこかに地下へつながる入口があるはずだ。コイツは何らかの方法で檻から抜け出して、そこから地下迷宮に逃げ込んだんだよ。迷い込んだネズミなんかを食って生き延びていたんだろうね」
桐野が、自分の解釈を述べると星野が「そして、さっきの衝撃でここへ戻ってきた、というわけね……」と付け加えた。
ずるず……、ずるずるずるずずず……。
巨大なヤマチチが動きだした。ずるずるとへばりつくような水っぽいような、不快な音を立てながら賢治たちの方へ近づいてくる。
「結界を解いて逃げるよ!! 《ブロークン・テリト――」
桐野がそう唱えようとしたとき、奇妙なことが起こった。
ヤマチチが消えたのだ。
そして――
「――がッは」
詠唱途中の桐野が、ひとりでに吹っ飛ばされた。
その様子はまるで、見えない鞭に横っ腹を叩かれたような感じだった。
杖が手から離れ、ひびだらけのリノリウムのうえを転がる。
「桐野!」と、現世は悲鳴をあげる。
ブゥ……………………ン。
そしてヤマチチ・キメラは、また姿を現した。
その二つに分かれた蛇の尾の足を、桐野の飛んだ方向にスイングするように曲げていた。これが、桐野の右脇腹に打撃を加えたのだ。
★
――ゾオッ。
徳長の全身を貫く、おぞましい霊力場を感じ取った。
それはヤマチチのものであった。
だが徳長は、これほど強大なヤマチチの霊力場を感じたことは初めてだった。
さらに恐ろしいことに、それは賢治たちが今いる工場の廃墟のなかから感じ取れたのだ。
「結界の内側に、とんでもない霊力のヤマチチの霊力場……!? 何なんだこれは!!」
徳長は思わず、声に出してしまった。
右を見ると、丁がブルブルと震えていた。どうやら丁もこれを感じ取ったようだ。
「このとんでもないヤマチチは何ですか!? あなた、どうやってこれを私の〔刺風獄〕の結界の中に入れたんですか!?」
「し、しししし知らない! こんなの、私、呼んでない!!」
どうやら丁にとっても想定外の事態であったようだ。
だが、何かを思い出したようにこう言った。
「はっ……。もっ、もしかして、あのウワサは本当のことなの……?」
「心当たりがあるなら、勿体ぶってないで言ってください!」
「ひっ! あああの、術師界ウェブのネットロアの一種なんだけど、あそこでいかがわしい実験を行っていうウワサがあるの。そのなかに、何体ものヤマチチを掛け合わせてキメラを作っていたっていうのが、あって……」
丁の荒唐無稽なその話を聞いた徳長は、直感的に「それだ」と思った。
そうでなければ、この荒唐無稽な感覚は説明がつかないからだ。
賢治たちはいまそんな怪物と、逃げられない檻のなかで電流デスマッチをさせられているも同然の状態だ。しかも、賢治・現世・星野の三人は見たところ勁路負担が
重く、もう呪文は使えないだろう。戦えるのは桐野一人。最悪の状況だ。
「ご、ごごごごごごめんなさい!! まさか本当だとは思わなかったの! どうしようどうしよう、私の〔釣瓶火〕はたくさんの個体はコントロールできても、強過ぎる個体はコントロールできない……!」
「結構です。あなたはここにいてください。あれは私がなんとかしましょう」
徳長は飛行箒をサッと駈って、その場を去った。
★
「ぐっ……、《スタン・フラッシュ》!!」
桐野は脇腹を抑えながら立ち上がり、ヤマチチ・キメラ目がけて唱えた。
一瞬目が眩んだような素振りをしたが、ヤマチチ・キメラははすぐに消えてしまった。
「消えた……!? こいつは姿を消す超能力を持っているということなのか!?」
目の前で消えて現われたヤマチチ・キメラの姿を見た賢治は動揺して、思わず口走ったいた。
徳長から聞いたヤマチチの超能力は、「瘴気をまとった腕で獲物の目を隠して意識を奪い悪夢を見させる」「口づけして霊力を根こそぎ吸い取ってしまう」の二つである。さらに、もう一つあるというのか。
「いいえ。これは超能力を制御する『制御能力 Control-PSI』の一種、〔隠形〕よ」
賢治が「コントロール……? おんぎょう……?」と首を捻る。
「魔術における『指示呪文』みたいなものよ。自分の霊波動に、それを観測・被験した被術者の心理状態に作用して見えなくさせる力が〔隠形〕なの」
「なんですかそれ……。オレたちの認識が狂っているから、見えなくなったってことですか?」
「そうだって言っているじゃない。〔隠形〕のように、被術者の心理状態に作用する『制御能力』を付与できる超能力のことを、『妖術 enchantment』って呼ぶの。この妖術に用いる霊力は、『妖力 enchantments power」って呼ぶわ。これ魔導中学一年レベルよ。まだ習ってないの?」
賢治はうなずく。
徳長からはまだ、習っていない概念だった。
「はあ……。汎人界でいう『妖怪は霊感がある人にしか見えない』というのは、この〔隠形〕に対して抵抗することのできる霊力場をつくれる人間のことなのよ」
「おぬしたち! 喋っていないで、桐野を援護するのだ!!」
現世が言った。
そうしたいのは賢治もやまやまなのだが、どうやって助ければいいのか全く思いつかなかった。
敵は、消えたり現われたりする未知の力を持つ相手。
対して自分はもう呪文を唱えられない。
(一体どうすれば――)
そこで賢治の思考は中断された。
何もないところから、不意の衝撃波が走った。
「かっふ!!」
賢治は胃の腑から引き絞られるような声をあげながら、4メートルほど後方に転がった。舞い飛ぶセメントの破片。ガラス。賢治の全身を切り刻む。
「賢治ぃ!!」
現世が悲鳴をあげる。
賢治が顔をあげる。
自分が今いたところに、ヤマチチが寝転がっている。傷だらけの右腕を屈伸させて、ここまでひとっ跳びしたのだ。
(……全然、知覚できねえ……ッ!)
ヤマチチ・キメラの圧倒的な妖力による〔隠形〕に、賢治たちは成す術がなかった。
ず、ずる、……ずずず。
寝転がったまま、ヤマチチ・キメラは右手を賢治の方へ向ける。
肥大化した右手の手の平には、ヤマチチの顔があった。
――う、う、うううううううううううう。
目からは血と膿の混じった涙を流し、アリクイの口をうねらせている。
「……」
その顔をまともに見た賢治は、金縛りにあったかのように身体が硬直してしまった。
突如賢治の脳内に、さっきみた手術室の光景が浮かんだ。
拘束された身体。
自分を見下げる白衣の人間たち。
薬と垢と膿の匂いに満ちた不快な空間。
行き場のない憎悪――
……ユルセナイ。コロシテヤル。
……クルシイ。ツライ。モウイヤダ。
……コロシテヤ……コロ……シ……テ……
「《ベレロフォン・スタッブ!!》」
――どずんっ。
ヤマチチの鼻先に、湯気が立った銀色の槍が刺さった。
……ごぼ、ごぼっ。
アリクイの口から、熱された鉛が吐き出される。溶け出す鉛に喉を塞がれ、窒息しているのだ。
「――!」
正気を取り戻した賢治が左を向く。
そこには、杖をこちらに向けて構えている諒子の姿があった。
「……諒子どの!」
「《Replay!》」
再唱。銀色の槍が杖の先から撃ち出され、三つある顔を支える一つの首の根元に命中した。
槍の先からは、同じように熱された鉛が噴き出し、ヤマチチのキメラを窒息させた。
ぐらっ――ズズウウゥゥゥン!!
キメラの巨体が倒れる。土くれやガラス片が舞い飛んだ。
「くうっ!」
賢治は、マントで顔をかばった。数秒後、風が収まったところでゆっくりと目を開ける。
……ビクッ、ビクリッ。
ヤマチチ・キメラは二、三回ほど痙攣して――息絶えた。
「キメラ特効呪文……。熱されたどろどろの鉛が中に仕込まれている、……合成金属の槍を射出する呪文よ。共通科目の合成呪生物学基礎の講義で習ったのが……、こんな形で……役に立つなんて……ね……」
そう話し終えて諒子は、そのまま横倒しにバタリと倒れた。
「星野先生!!」
賢治は、諒子に駆け寄って彼女を抱きあげた。
力を失った成人の身体は想像以上に重く、自分のひざの上に置くのだけで精一杯だた。
「……こんなもので、……借りは……返せないけど……」
彼女の手はガクガクと震えていて冷え切り、顔は真っ青である。
明らかな過剰勁路負担の症状であった。
「……ごめん、なさい。私は……もう……」
賢治は諒子の手首を握る。
脈が弱く、呼吸が浅く早い。体温がどんどん下がっていく。
「先生! しっかりしてください! 先生!!」
「諒子どのぉ!! 頑張るのだ!! 死んじゃダメなのだ!!」
懸命に呼びかける賢治と現世。
――スゥゥゥン。
そのとき、賢治は違和感を覚えた。
周囲を見渡すと、彼らを守りかつ閉じ込めていた〔刺風獄〕の結界がなくなっていた。
窓の外には、徳長の姿が見えた。
「涼二先生!」
桐野が叫んだ。
「皆さん、申し訳ありません!! 大丈夫ですか!!」
徳長はそう返しつつ、廃墟の中に入っていく。
そして状況を一瞬で察したようで、星野の方へ寄って着陸した。
徳長は星野の首筋に手を当てる。
ポゥ、と当てているその手が光った。
すると星野の顔に、ほんのわずかだけ赤みが差した。
「……応急処置はしましたが、このまま放置すれば危ない。今すぐ、清丸町魔導病院につれていきます。もちろん皆さんも一緒に」
賢治と現世は徳長の飛行箒に、星野は桐野の飛行箒に乗せられ、賢治たちはこの呪わしい廃墟から脱出した。




