Report 8 人狼の医師と飛行箒暴走族(1)
清丸町病院は自治区の西端、日輪山と月輪山の山間部である冠ノ谷を背にする形で建てられている。清丸町の中にある最大の総合魔導病院であり、因幡邸の住人たちは何度となくお世話になっている。
授業が終わったイソマツは、そのまま術師界に戻って病院に立ち寄っていた。
イソマツは先の麻枝との戦いで、もっとも重傷を負った。額には深さ3ミリ幅4センチの裂傷、右手首の完全骨折、左肩の脱臼、右足の捻挫。あれから11日経ったが、額の裂傷以外はまだ完全に治っていない。それでも右足はもう湿布のみ、左肩は今日の受診でサポーターからテーピングと湿布に移行していたため、脅威的な回復力と言えた。
(……はー。遊びに行きたいなー)
今イソマツは受診を終えて、待合室で会計を待っていた。
すると二つ前の長椅子で、病衣を着た三人の男児が騒いでいたのが耳に入った。
小児病棟で入院している子どもたちである。
「だぁかぁらぁ、オレのねーちゃんが聞いたんだって。日輪山の麓にある製薬工場の廃墟に肝試しに行ったとき、おぞましいうめき声を! あれは絶対、人体実験されて『合成呪生物』にされた学生アルバイトの幽霊だって」
「バァカ。あそこは社長が殺されたとき、警察がくまなく捜査したって父ちゃんが言っていたぞ? そんな霊障物あったら、そのときにわかってるって」
(日輪山の麓……? ああ、和谷製薬の工場跡か。あそこなら一回行ったけど、涼二先生に怒られたんだっけ)
和谷製薬は、日本にかつて存在した大企業だ。
この企業は汎人界と術師界の両方に同規模の商業拠点を持っていた企業であり、こうした企業を「境界企業」と呼ぶ。
最盛期は日本を代表する製薬会社であったが、バブル期の前後に、薬事法に違反する商品の販売や、コネクションのある地上げ屋を使っての強引な土地の買収、工場の廃液の不法投棄などいくつもの不祥事を繰り返した。決定的だったのは2001年に、三代目の社長である和谷陣平含む十二名が自宅にて、何者かの手によって殺害されて、屋敷に火が放たれたのである。その後の警察の調査により、麻薬を製造していたことが発覚したのだ。これにより国から解散命令が下って、和谷製薬は日本の経済史から退場したのであった。
ここまでが汎人界で知られている話で、術師界でも同時期に解散させられることになった。この企業には術師界でも、さまざまないわくがかけられており、和谷製薬絡みの都市伝説は枚挙に暇がない。この円島の日輪山にある工場廃墟もそのうちのひとつで、現在は心霊スポットとして子どもや若者の話題に時折のぼることがある。
「誰か姿を見たヤツいねえのかよ! そうじゃなきゃ信じられ――ひっ!?」
そこで少年は発言を止めた。
彼の足許に、空の膿盆が飛んできてカーンというけたたましい音を上げたからだ。
「離さんか、こんボケェ!」
その後すぐに、男の濁声が響き渡った。
子どもたちは「わーっ」と叫んでその場から逃げ出した。
処置室のある方から、中年の男性医師を引きずりながら肥え太った男が出てきた。さっきお盆を投げつけたのは、こいつだろう。
スキンヘッドにひげ面、丸々太った腕には梵字の刺青が掘ってあった。見るからに、ヤクザといった印象である。
「駄目ですよ、風由さん! あなたは肋骨にはまだヒビが入っているんですよ! 安静にしてなきゃ!」
「俺は、病院とジンガイが大嫌いなんだっ! いいか。これから俺は『白銀衆』行動部隊・若獅子隊副隊長の名に懸けて、この傷をつけた相手にオトシマエをつけてやらなきゃいけねえんだよ! どけい!」
(白銀衆?)
イソマツは、風由の言葉を聞き逃さなかった。
どうやらこの男は、白銀衆の幹部らしい。
ブンッ!
風由がボンレスハムのような腕を振り回すと、痩せぎすの医師はたちまち弾き飛ばされてしまった。
「フン。カスが――あでっ!」
風由は振り向きざまに、弁慶の泣き所をイソマツに蹴られてそのまま転んでしまった。
「いででで! な、なんだてめえ!」
「おじさーん、病院では『Tranquilízate(静かにしろ)』ってママに教わらなかったのかい?」
「はあ? ひねり潰すぞコラ! 子どものくせに大人に口出しする気かっ!」
「¿Ey?(あん) 病院でピーピー喚いて暴れる大人子供に、言われたかあないよ」
「こ、このガキャアアアッ! ぶっ殺してやるっ!!」
風由は顔を真っ赤にして、イソマツに殴りかかった。
バシンッ――
拳が掌で受け止められる渇いた音が、悲鳴を押し殺す待合室に鳴り響いた。
端整な顔立ちをした若い赤毛の男性医師が、風由の拳打を防いだのだ。
「――維弦先生!」
イソマツは顔を綻ばせて、赤毛の医師にそう言った。
「な、なんだテメエ!」
「風由青空さん、他の患者さんのご迷惑になります。病室にお戻りを……」
維弦と呼ばれた医師は、風由に向かってそう言った。アシンメトリーの赤毛の間から除く右目には、強い警告の色が宿っていた。
「医者にはもう用はねえんだよ! どきやが――あっ、あああっ! イダイイダイイダイ!」
そこで風由は、言葉を止めた。
維弦が右手で、風由の左脇腹に触れていた。
その図体に似合わない甲高い声で、悲鳴をあげる風由。
「この分じゃ、とても無理ですね。速やかにお戻りください」
「な、なめてんじゃねえぞテメエ! ぶっ殺すぞ!」
ブオンッ。
維弦と風由の間に、一陣の風が吹いた。風由のでっぷりとした顎の下、喉仏の左右の表皮がわずかに波打った。
「う、うご……おご……」
うめく風由。目の焦点が合わなくなり、その場にひざをついた。そして、倒れ込む。
維弦は、呆然とその光景を見ていた中年の医師を向いて声をかける。
「粟谷先生。風由さん、急に暴れたから具合が悪くなったみたいです」
「わ、わかった。あとは僕と看護師さんが運ぶから、ここはいいよ。君、ストレッチャーを」
粟谷医師がそう言って、事態を見守っていた看護師にストレッチャーを持ってくるよう指示を出して、維弦から顔を背けた。
(……頚動脈洞反射による失神。やるねえ、維弦先生)
維弦は、ツカツカと靴音を立てながらイソマツの方へ向かって来る。そして、
「お前なあ。ああいうヤツを挑発するんじゃねーよ」
と、窘めるように言った。
イソマツはいたずらっぽく「えへへ、ついね」と笑って応えた。
「羽山先生!」
女性の看護師が、血相を変えて二人の方へ駆け寄ってきた。
「駐車場に暴走族が……、警備員では対応し切れません!」
言われるなり維弦は、「わかった、すぐ行く」と言った踵を返した。
「ケンカ? 僕も助っ人しようか?」
「バカヤロ。怪我人が何言ってやがる。待合室で大人しくしてろッ」
そう言いつけて、維弦は診察室から大股で出て行った。
★
魔導病院の前は、異様な様相を呈していた。
ゴテゴテと装飾がついた飛行箒の操縦者が十人前後、歳の頃はほぼ全員が十代前後くらいに見える。皆、一様にいかつい顔つきをしていた。その手には鉄パイプやバールのようなものが握られ、鎖つき分銅を振り回しているものもいた。
飛行箒暴走族――飛行箒に乗って暴走行為を働く、術師界の不良少年術師の名称である。
術師界のメディアでは「若者の箒放れ」と呼ばれて久しいが、それは全ての術師界の若者に当てはまるわけではない。例えば中核自治区以外の自治区では、飛行箒がないと生活が成り立たないところもある。そうした自治区に住む若者は、高額であっても未だに飛行箒を所持して、免許を取らざるを得ない状況に置かれているのだ。そして何より、飛行箒の操縦者であることを社会的なステータスとする文化が、地方には根強く残っているのである。
飛行箒暴走族は、そうした文化格差が生み出した存在といえる。
「おぉい! どうしたんだに! 誰か出てこいよお!」
「出せよコラァ! 亜人の女子どもいたぶることしかできねえ、薄汚ねえ半端モンをよォ!」
吠える少年たち。しかし、病舎からは誰も出てくる気配がない。
「チッ……。やっぱやるしかねえスけ?」
虹色グラデーションのモヒカン頭が、隣のサングラス+黒マスクに相談する。
「おう、甘太。一発でけえのをかましてやるだら」
「ウッス!! ――《ファイアボール!!》」
モヒカン頭は杖を病院の入り口に向けて詠唱した。半径二十センチ大の火球が発射される。
だが、その先の正面入り口の自動ドアが不意に開いた。
「Waaaaau!!」
自動ドアの向こうからの咆哮とともに、霊力の弾丸が《ファイアボール》目がけて放たれた。
衝突する二つの力場は炸裂し、爆風が少年たちを襲った。
「うわああああっ!」
氾濫する霊光。
だが、その中で一際迫り来る人影があることにモヒカンの少年は気づいた。
それは、燃えるような赤毛をした男性の医師だった。胸には「羽山維弦 HAYAMA IDURU」と書かれたネームプレートをつけている。
維弦は、人狼の超能力――〔狼爪〕で右手の爪を尖らせた状態で伸長させた。
そして右腕を振るって、モヒカンの少年に飛びかかった。
「――〔冥狼闘技法・木裂鉄爪〕」
「うわっ!」
モヒカンの少年は慌てて操縦桿を上にあげて上昇しようとしたが、間に合わなかった。
少年の飛行箒の柄が真ん中のところで真っ二つに折れた。
「え? うひゃああ――あでっ!」
少年は、一メートルほどの高度から折れた飛行箒を抱えたまま墜落した。
「てめえら……病人がいるところに、何ブチかまそうとしてんだ? ああ?」
腹の底からドスの効いた声をあげて維弦はすごんだ。
するとサングラスに黒マスクの少年が、飛行箒を維弦の目の前まで発進させ、質問を質問で返した。
「俺たちゃ、静岡の遠州自治区からやってきたチーム・遠州罵詈罵詈燦駄集だら。ここに風由青空という男が、入院しているけ?」
維弦は答えない。
黒マスクの少年はしびれを切らして、要求の言葉を重ねる。
「アイツぁ反亜人術師結社『白銀衆』ン構成員だら。ソイツ引き渡してくれりゃあ、俺たちゃこのまま引き下が――ごっぶ!!!」
返答は拳骨で返された。
サングラスが吹っ飛び、飛行箒から殴り落とされる少年。そのまま、後ろへごろごろと転がり、鉄製のポールに胴体が打ち当たって昏倒した。
維弦は白衣の胸ポケットからハイライトを一本取り出して、火をつける。
「馬鹿かお前ら? 治療中の患者を第三者に引き渡せ、だと? そんな要求を呑む医者がどこにいる? ――痛い目見ねえうちにとっとと帰りやがれ」
紫煙を吐き出しながら、少年たちに厳格な態度でこう言い放つ維弦。
「さ、三度栗さぁあああんッ!」
「お、おんしゃあ(てめえ)! よくもウチん遊撃隊長をッ。ぶっ殴うぞ!!」
だが、どうやら引き下がる気はないようだ。
維弦は、赤毛をガリガリと掻きながら諦念じみた声で「どーやら、荒療治じゃねーと効かねーみてーだな……」とつぶやいた。
「――回診の時間だ。診て欲しい奴から前ェ出ろ!」




