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Report 5 「あたり前」の先に(10)

 ……

 …………

 ………………


「――なっちゃんは、学校の先生になりたいの?」


 圭子が奈津美に訊いた。


「うん! だから、勉強頑張っているんだ」


 ここは、八重花塾の敷地内にある食堂だ。僕、圭子、奈津美の三人はそれぞれ持ってきた弁当を、白いテーブルに広げている。窓辺の席では、ブラインドの隙間から煌々(こうこう)と夏の日差しが差し込んでくる。


「僕らが目指しているのは、日本魔導大学っていってな。圭子も知ってるだろ?」


 僕が言った。


「知ってるよ! お父さんやおじいちゃんもそこの卒業生だって!」


 日本魔導大学は、新東京自治区にある日本術師界最高峰の魔導大学である。

 元々は術師界成立と同時に、旧T帝国大学の分校として相州自治区に創立した。しかし1989年、神奈川県川崎市から千葉県木更津市へ至る東京湾の横断道路・東京ベイロードの中継地点にあった島を埋め立てて作られた巨大なパーキングエリアの上に新東京自治区が造られると、そちらに本部キャンパスを移転した。

 元々は相州自治区が日本術師界の首都だったのだが、新東京自治区の完成と同時に首都の機能がこちらへ移行されたため、それに倣ったという形である。日本術師界の首都である新東京自治区には様々な教育施設があり、高度な教育を学ぶ意志のある者が全国から集う場所になっている。

 そして、僕と奈津美もそうした意欲のある若者の一人だった。


「私、大学行ったらね。いろんな国に行きたいなって思っているんだ。この世界の魔導教育って、いっぱい問題抱えているでしょ? 貧しい国では教育を受けたくても受けられない子や精霊術に対する知識も与えられない子がいれば、先進国では本当はもっと勉強したかった子が受験戦争に敗れてあきらめちゃったり……。そういう現場の、ほんの一部でもこの目で見て、将来の役に立てればと思って」


 奈津美は明朗な笑みを浮かべてそう言った。その頬には、うっすらと火傷の痕があった。実の父親に小さい頃、タバコの火を押し付けられた痕だった。

 圭子もはしゃいで自分の夢を語った。


「わたしはアメリカ行きたい! リチャードソンが生まれたところだから!」

「僕は今のところ希望はないが……。そうだな、やっぱりアメリカかな。魔導民主主義の本場で、学んでみたいな」

「テツ兄は、魔導警察官になりたいんだよね?」

「ああ。亜人を差別するような連中を取り締まって、今の社会を少しでもいい方向に正したいんだ」


 そのとき、後ろのテーブルで男子と女子二人がこちらを見ながらひそひそと、差別用語を交えながら話しているのが聞こえた。


「――サヴァイヴァーでジンガイのくせに、日魔だとよ……」

「……塾長に気に入られているからって、調子こくなよな。底辺のジンガイが」

「ホント、マジウザいわー……」


 本多将斗と、その取り巻きの女子の塾生である下根(しもね)丸戸(まると)である。 


「ちょっと、アンタたち!」


 圭子がそう言って立ち上がるや否や、僕がその間に入って止めた。


「『何か言いたいことがあるなら、本人に直接言え』」


 そして、本多たちを睨み付けて言ってやった。


「――それが師範の教えだったと、僕は記憶しているが」


 すると、下根と丸戸は舌打ちをして、本多は鼻で笑った。


「おーおー、さすが優等生の言うことは違うなあ。ああ?」


 挑発する本多。

 だが僕は、反応しない。

 すると本多はつまらなさそうな顔をして振り向き、下根と丸戸に「行こうぜ」と言って、その場を去った。


「……なっちゃん」


 圭子は気まずそうに奈津美を見る。

 さっきと変わらぬ笑顔で、奈津美は言った。


「――ありがと、二人とも! でも、大丈夫だから。……二人がいれば、私は平気だよ」


 ……

 …………

 ………………


「はい! これ!」


 圭子は、僕と奈津美にフェルトのお守りを渡す。

 可愛らしいダルマに桜の花を散りばめたデザインである。

 夏がとうに過ぎ、秋も暮れて木枯らし一号が吹いた日。いつものように、八重花塾での訓練が終わった後のことであった。


「何だこれ? 圭子が作ったのか?」


 僕が言った。


「テッちゃん知らないの? 今、こういうフェルトで簡単に作れるの売ってるんだよ」


 奈津美がそう言うと、圭子は頬を膨らませた。


「簡単だけど、気持ちがこもってるからいいんだもん!」

「あはは、ゴメンゴメン。――圭ちゃん本当にありがとうね! 最後まで頑張るよ私」


 そう奈津美が笑顔で応える。

 僕も「ありがとな。これを励みにして、最後の頑張りといくよ」と返事する。

 そんな二人に対して、圭子も満面の笑顔で応えた。


 ……

 …………

 ………………


「おかしいよ……。自殺なんて、するわけないじゃん……」


 泣き腫らした目で、圭子が言った。

 十畳以上ある客間には、有坂家の親戚や八重花塾関係者、そして圭子と僕が参列していた。

 たった今、有坂家の檀那寺(だんなでら)の住職による読経が終わり、参列者が移動し始めているところであった。

 ただし、二人を除いて。

 黒いワンピースに身を包んだ圭子。

 制服である学ラン姿の僕。

 この二人は、他の参列者が移動のため全員立ち上がってもなお、その場でじっと正座していた。


「ねえ……テツ兄も、そう思うでしょ……」


 圭子が問いかける。

 しかし、僕は反応しなかった。

 僕は耳を塞ぎ――奈津美を死に追いやった奴に、呪詛を吐き続けた。


「……アイツらだ」

「え……?」

「奈津美はお守りを握りしめたまま落ちた。これはつまり……。クソッ、何でもっと早く僕は……。正さなきゃ……。こんなことは間違っている……」


 ……

 …………

 ………………


「そんな……。奈津美は、僕のことを庇って……」


 鼻血でべっとりと汚れた本多の顔をにらみつけ、僕はいった。

 かたわらには、下根と丸戸が恐怖で震えていた。

 ここは八重花塾の稽古場である。

 他の塾生は僕が怖くて誰も近寄ることができず、遠巻きに見ていた。 


「ヒ……ヒヒ……。そうだよ。それで俺たちは、アイツの根性をたしかめようと、屋上の(へり)にあれを置いたんだ。それを取りに行くことができたら、『お前らからは手を引く』ってウソの約束をしてな」


 本多は、あざ笑うかのように僕に言った。


「そしたら運悪く、風が吹いてな。バランスを崩したアイツは、そのまま真っ逆さまに落ちやがった」

「……本多ァァァアアア!!」


 僕は、本多をさらに何発か殴りつけた。


「……だが、そんなことを魔導警察が気づかないハズがない!!」

「さあ……。知らねえよ、そんなこと」

「いいか本多!! 俺はこのことを魔導警察に言う!! お前の罪を、白日の下に明かしてやる!!」


 ……

 …………

 ………………


「ウソだ!! 僕は、亜人至上主義なんかに傾倒していない!!」


 僕は机を叩き、偏屈そうな口のひん曲がった中年の刑事にそう叫んだ。

 ここは、相州自治区の魔導警察署の取調室である。


「嘘つくなよ。だったら、この書類は何だ」


 そういって刑事が出したのは、全く身に覚えがない書類だった。

 そこに書かれているのは、山吹家の人間を殺害しようとする計画である。


「こんなもの、パソコンがあれば誰でもつくれます!! 証拠にはなりません」

「ああ、そうかい。じゃあ百万歩譲って、これがお前のつくったものじゃないにしろな、本多局長のご子息とお前が常日頃から言い争っているところを見た塾生は、たくさんいるんだ」

「だからって、変な思想にかぶれたわけじゃない! 純粋に、奈津美のためにやったことだ!! ……そうか! 本多だ! アイツの仕業だ! アイツが僕を陥れようと……。ロッカーに入っていたものと、本多とその取り巻きの、指紋と霊紋を調べてくれ! そうすれば――」

「いい加減にしろ!! 往生際が悪い!」


 今度は、刑事が机に拳骨を落とした。


「――ったく、お前みたいなちょっと頭のいい奴は、『自分が社会を変える』とか、すぐ思い上がるからいけねえ。肩身の狭い思いをしてきたお前の親御さんは、お前だけでも対等にヒトの術師と渡り合えるような立派な術師になってもらおうとして、塾に入れたんじゃねえのか? そんな親御さんの気持ちを無視してこれは、余りにもお粗末じゃあねえのか?」


 話をすり替えて、ねちねちと責め続ける刑事。

 僕は、「これは自分の潔白を明らかにすること無理だ」と諦めた。

 せめて奈津美の件だけでも、再調査できないかと頼み込んだ。


「……ならば、僕のことはもういいです。有坂奈津美が転落した事故について、もう一度調べてくれませんか。あれは本多とその取り巻きが、僕と圭子があげたお守りを屋上の縁にわざと置き、それを取りに活かせて起きた事故です!! そのことが分かれば、本多も何のおとがめもなしではすむはずがない!! アイツが言ったんだ! これは、他の塾生も聞いている!!」


 すると、刑事は鼻で笑った。


「……その件については、何度も調べがついている。現時点でそれを裏付けているのは、本局長のご子息の証言だけだ。それも、お前が脅して吐かせたことじゃないか。そんなものは、何も根拠にはならん。大体、お前なんかの言うことを誰が信用する?」


 ああ、こいつらはわかっている(・・・・・・)んだ。 


 本多がやったとわかっているけれども、本多の父親が怖くて、まともに調べるつもりはないんだ。

 結局、ヒトの術師の権力者が支配するのがこの術師界の常で、彼らの機嫌を損ねる亜人の術師の命など、どうでもよいのだ。


 僕は、全ての言葉が無駄だと絶望した。

 悔しさで、唇から血がしたたるほどに噛みしめた。


(……僕の今まで信じてきたことは、全て間違っていた……。 なら、僕は……どうすればいい? 奈津美のいない世界で、正義もない世界で、僕はどうすればいい?)


 ……

 …………

 ………………


 出所した僕は、22歳になっていた。麻枝家からも絶縁されてどこにも行くアテがなく、術師界のネットカフェを転々としながら、魔法の駄菓子を扱う物流倉庫なんかで派遣として働きながら糊口をしのいでいた。

 そんな生活が何か月も続いた、ある日のことだった。

 僕はカップラーメンとコンビニのおにぎりを手に、PCを立ち上げた。おにぎりを、覇気のない表情で食べる。味わう気持ちの余裕もなく、ただ作業的に咀嚼(そしゃく)する。


(今日の夕飯は、これだけだ……)


 しばらくしてエクスプローラーが起動すると、ブラウザを開く。汎人界最大の検索エンジン「グーゴル googol」のトップページが表示された。


 そこに、モールス符号で「-・-- ・・-・・・・ ・・-(ま ど う)」と入力して検索する。するとグーゴルの術師界版である「グーゴルウィズ」のトップページに飛んだ。


 グーゴルのアカウントを取得していた僕は、メールをチェックする。


(ん……。Kanからメールが来ているな)


 Kanは、術師界ウェブのSNSであるWizperで知り合ったアカウントだった。

 僕はWisperでKanと、食べ物の話やブラックな派遣先の情報など、頻繁に会話を交わしていた。素性はまったく分からないが、話の内容からして自分と同じ低所得術師だろう。穿鑿(せんさく)をしてこない相手というのは、前科持ちである僕にとって都合が良かった。

 僕はメールを開く。


 「この動画を見て欲しく思います。色好い返事をお待ちしています」


 本文はこの一行だけだった。それと、添付がついている。


「動画ファイル……?」


 添付は動画ファイルだった。

 僕は保存せずに、それを開く。


 するとパソコンのメディア再生アプリが開かれ、彫りの深く器量の良い男が映った。

 男の顔立ちは日本人とも西洋人ともつかず、何ともいえない妖艶な雰囲気があった。赤い中折れ帽子に、赤いインバネスコート、全身赤づくめのその出で立ちは、どことなく時代がかっていた。背景はぐにょぐにょと動く加工がなされていて、場所を特定することはできない。

 あまりに現実離れした映像に僕は一瞬、「何かの映画の一部か」と思った。


 男が口を開く。


「君もまた――境界に立つ者か」


 ………………

 …………

 ……




   ★


 強烈な閃光が賢治の眼を眩ませる。

 爆煙(ばくえん)にむせる桐野とイソマツ。

 激しいエネルギーの奔流が、地鳴りを引き起こす。炸裂した青い光は洞窟の隅々まで行き渡って照らし出した。

 オオオオオオ――ォォォォン。

 吹き荒れる風が、ようやく止む。

 だが賢治は、呆然とその場にたたずんでいた。


(今のは……、麻枝の記憶?)


 先ほど脳内に流れた映像。内容からして麻枝の過去の出来事であるが、何故それが賢治に見えたのか。


(これも〔鍵〕と〔扉〕の、共鳴の力の副作用なのか? ということは……あの最後の一瞬、オレたちは麻枝とも共鳴したということなのか?)

「賢治! 今のイメージは……!」


 現世が言った。

 どうやら今のイメージは現世の頭の中にも流れたようだ。


「現世、お前も見たのか」

「む? 賢治。おぬし、泣いておるぞ」

「え……」


 賢治は右目を指でこする。

 すると、目じりからたしかに涙が流れていた。

 賢治が幻視した麻枝の過去。

 それは賢治の感情を超えたものだった。

 感情の器を超えた経験が、涙となって表出した。


「麻枝は……、どうなった?」


 桐野が言った。


「! そうだ! 麻枝……!」


 賢治は、我に返ったかのように目の前を向き直した。

 そこには、人間の姿に戻った麻枝が地面に横たわっていた。


「奈津美……、圭子……」


 裸のまま、胎児のようにうずくまっている。うわごとのように有坂と山吹の名前を呼んだと思ったら、頭がかくんと下がって眠ってしまった。

 彼の目じりには、一粒の涙が光っていた。


「……《収束(コンバージュ)》」


 賢治は魔装を解いた。

 ブレザーを脱いで、裸身の麻枝に被せる。それから、横たわる山吹を一瞥(いちべつ)する。

 賢治は麻枝の姿を見ていると、なんともいえない感傷に襲われた。


 仲間と手をとって、勝利を掴んだ少年。

 仲間を切り捨てて、敗北を喫した男。


 ――この二人は、分かりやすぎるほど対照的だった。


「……賢治くん! 現世さん!」


 聞き覚えのある、若々しい声が反響した。

 振り向くと、反対側の入り口からこっちへ走ってくる青年の姿があった。


「徳長先生……!」


 それは徳長だった。

 賢治たちはようやく胸をなでおろして、全てが終わったことを実感した。

 歓喜の声が、暗い洞窟の中でずっと響いていた。

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