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Report 5 「あたり前」の先に(3)

「橙崎先輩!?」


 賢治は驚き、その場に立ち止まってしまう。

 五色高の制服を来た桐野と揉み合っている橙崎の右手には、伸縮式の杖が握られている。


「チッ……。圭子め、愚かな小娘が」


 そう声をあげたのが筒井だった。


「筒――麻枝鐵亜季! もう猿芝居は終わりよ! ――くっ、この手をどけなさい! 杖が取れないでしょ!」


 橙崎が、桐野に向かって吠えた。


「¡No pares(ノ・パレス)!(止まらないで!) 僕らごと踏み越えて!!」


 イソマツが叫んだ。

 目の前の状況の疑問を頭から振り払い、賢治は再び走り出そうとした。


「遅い!」


 筒井こと麻枝が右手を賢治の方へ向ける。

 ビュバッ! ――キュルルンッ!!

 袖口から白い糸が飛び出して、賢治の右足首に絡みついた。


「賢治くん!」


 イソマツが〔バクチク〕の火球を指先から放つ。筒井の糸に触れると爆発して、糸を焼き切った。


「《スリーピング・ファイ――Max》!」


 麻枝は、右手をジャケットの懐に入れて杖を取り出して詠唱した。

 桐野が対応しようとしたが間に合わず、イソマツの周囲に緑色に光る円陣が出現する。


「¡Ay(アイ), ......yyyyyy(ィィィィィィ)!(アッ……スヤァ)」


 そして、たちまち彼を眠りに誘った。

 ピシッ――ズズゥン!

 それからほぼ同時に、麻枝の足元の床が平行四辺形に切り取られて、床もろとも落下した。徳長が、下階の被服室から〔カマイタチ〕で切り取ったのだ。

 しかし、であった。


「わあっ!」


 賢治が声をあげた。

 物陰から飛び出した糸に足を絡め取られて、麻枝が落下した穴へと引っ張られてしまった。

 周りを見ると、机の下や本棚の裏などの物陰から無数の糸が飛び出していた。


「! あらかじめ、糸を床中に張り巡らしていたのか!」 

 

 桐野が叫んだ。


「賢治! ――むがっ!」


 現世が飛び出す。

 すると糸はまるで生きているように反応し、現世の口元へ巻きついた。そして、瞬く間に部屋の外にいる桐野、イソマツ、そして橙崎へと伸びていって、次々と糸で絡め取り、包み込んでいった。

 被服室に落下した賢治。


 賢治の目に入ったのは、右手首の穴(・・・・・)から蜘蛛の糸を放出しつつ、その糸によって宙吊りになっている筒井と、無数の〔カマイタチ〕の刃をコントロールする徳長の姿だった。


(徳長先生!)


 賢治は声を出そうとした。

 だが、糸によって口を塞がれて声が出せない。


「くっ……!」


 徳長は〔カマイタチ〕による風の刃で、賢治たちを蜘蛛の巣から切り離しにかかる同時に、風圧を生じさせて自分のところへ引き寄せようとした。

 だが麻枝が、それを妨害した。


「《セルフレストレイント・エアロキネシシーズフィールド》!!」


 すると、部屋中に飛び交う全ての〔カマイタチ〕の刃が光の粒子となって砕けた。その粒子は、徳長の方へ集まっていく。

 射程内に展開される指定した系統の術の力場を掌握する、勁路負担率が50のコントロール呪文である。

 

「《アブラカダブラ》!」


 徳長が唱える。右手に持っていた伸縮式の杖から、青い光が迸る。筒井の《セルフレストレイント・エアロキネシシーズフィールド》が打ち消された。

 だがその一瞬のスキが、麻枝に攻防を制させてしまった。

 麻枝の杖先が詠唱もなしに光り、被服室の床に鈍く光る円陣を生じさせる。

 徳長と麻枝を隔てる壁が円陣から生じて、一気に天井まで立ちのぼった。被服室が分断された。


(こいつ、短縮詠唱でこんな大規模な《ビルディング・プレート》を……!?)


 麻枝は、無言で詠唱を完了させると同時に蜘蛛の糸も操っていた。


(前が見えない……!)


 蜘蛛の糸が、みるみる賢治たちの全身を包み込む。やがては、(まゆ)のようになるであろう。


「〔土還〕!!」


 麻枝は全身を高速回転しながら、床に向かって突き進む。森での戦いのときと同じように、地下へ潜る気だ。蜘蛛の巣は麻枝の回転に併せて、洗濯機のように回る。


(目が……、目が回る!)


 糸に絡められている賢治たちは、麻枝の回転に合わせて回っていた。完全に糸の繭に包み込まれているため、外の様子は分からない。ただ繭から伝わる衝撃からして、麻枝は自分たちを引き連れて地下へと潜っているのだろう。


 作戦は、失敗した。


 やがて暗闇が、賢治を意識の混濁へと誘う――



 

   ★


(……どのくらい、時間がたったのだろう)


 賢治が繭に取り込まれてから五分もしないうちに、揺れは収まった。

 そしてそのまま、長い時間が経過した。


(くそ……、周りの状況が全く分からない。何か方法は……)


 賢治は、身体を動かそうとした。

 だが糸でがっちりと固められているため、全く動かない。


「いけないねえ……。この状況で無駄な抵抗をするのは、実にいけない……」


 そのとき、聞き覚えがある濁声が聞こえた。


(この声……、まさか癸か!?)


 その特徴的な声を、賢治は聞き間違えるはずがなかった。

 それは紛れもなく、先日の森での戦いのとき、己こと筒井と一緒に逃げおおせたマガツの構成員、癸の声だった。

 賢治は、左耳を包み込む糸が切られたのを感じた。


「この前はよくもやってくれたなあ。ええ?」


 癸が、粘着質で陰険な声で賢治に絡む。

 そして、剥き出しになった左耳に冷たい感触を覚えた。


(これ……、まさかナイフか!?)

「己には手を出すなって言われているけれど、これくらいはいいよねえ? ……そのお利口な耳を、削いでやるよ」

(お、おい、冗談だろ!! おい!)

「ひゃはははは! 怖えか? 怖えよなあ? やめて欲しいか? ――やめる訳ねえだろ、このボケナスがぁぁぁ――ッ!! 俺ァ、テメーのせいでこの二週間近く地下から出られなかったんだぞ! 己には散々嫌味を言われるし、組織内での信頼大暴落なんだよ!! テメーどう責任とってくれるんだ、あぁん!?」

(知るかッ! ていうかそもそもお前、元々仲間から信頼なんてされてないタイプだろ! 本当は下がる株なんてないんだろ!?)

「いいか、うらなり野郎! てめーが終わったら、次はクソ生意気な〔扉〕のガキだ! 覚悟しやがれ!」

(てっ、てめえ! 現世に手を出してみろ!! ぶっ――)


「――《バックラッシュ・バイオマターズ》!」


 どこからともなく、凛とした声で唱えられた生成物破壊呪文が賢治の耳に届いた。

 賢治を縛る糸が緑色に光ったかと思うと、もぞもぞと動き出し始めたのだ。


「なっ……!」


 驚いて声をあげる癸。


「《スタン・フラッシュ――Max》!!」


 賢治は、大きな力場が賢治の近くに迫るのを感じた。

 賢治の左耳から冷たい感触が離れたと思ったら、ドスンという大きな音がした。


(その声は……、橙崎先輩!?)


 あれだけ賢治を強固に拘束していた蜘蛛の糸が、スルスルとほどけていった。いや、ほどけていくというより繊維がボロボロに朽ちていって分解してしまったという感じだった。

 目の前には、昏倒した癸が倒れていた。この前よりもどことなく薄汚れた感じで、何日も風呂に入っていない人間特有の体臭が漂っていた。

 周囲を見ると、癸が持ってきたと思しき電気ランタン以外に光源はなく、相当暗かった。岩が全体的に黒っぽくて複雑な模様をしているのは、ここが、火山活動を終えた後に急速に冷えて形成された火山岩洞窟だからであろう。

 自分を解放してくれた橙崎の方を見る。

 彼女の上履きの先端が光っていた。どうやら、あれが彼女の「導体」のようだ。

 賢治は、右手のG-LOCKを見た。[13:32]と表示されていた。


(何てことだ。筒井に連れ去られてから1時間以上経過しているということか。しかし、一体ここはどこなのだろう? 円島地下迷宮の一部か?)


「賢治!」


 白い繊維をあちこちにくっつけた現世が、賢治の方に駆け寄ってきた。


「現世!」

「よかった、よかったのだ無事で!」

「いや、ここはどこなんだ? 」


「さあ、魔装するぞ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ状況が読み込み切れていないんだ。なんで橙崎先輩があそこでお前たちと――」


 賢治が現世に質問しようとした、そのときだった。


「てめえ――何で邪魔しやがった!」


 聞き覚えのあるアルトが響いた。桐野だった。

 激怒した桐野が橙崎の胸ぐらをつかみ、詰問している。


「おかげで作戦が台無しだ! 一体どこの術師結社の差し金だ! あぁ!?」


 激しくいきり立つ桐野に対し、橙崎は淡々とこう言い放った。


「『退魔連合』幹部、山吹家当主・山吹陽圭(ようけい)の長女、山吹圭子よ」


「¡Dios mío(ディオス・ミーオ)!(オーマイゴッド!) 山吹家だって……!? 悪い冗談でしょ」


 その橙崎――山吹の言葉に、イソマツは驚きの声を上げた。


「知っているのか、イソマツ!?」

「もちろんさ。山吹家といえば、術師界の創立に関わった保守派魔術師の名門中の名門だよ」

「何だって……!」


 そのイソマツの答えに対して、賢治の胸中に様々な疑問が去来した。

 何故そんな出自の人間が、汎人界にいるのか。

 それも何故、低レベルの私立高校に通っているのか。

 どう考えても不自然である。

 だが、次のイソマツの一言で全てが氷解した


「そして何より山吹家は、麻枝と本多がいたっていう八重花塾を経営する一族なんだよ。陽圭は二人がいた時の塾長さ」

「! ――そういう、ことか」


 山吹圭子も徳長と同じく、諜報活動のために身分を隠して五色高に潜伏していたのだ。ただし、『連合』の側から。

 だがそこへ、麻枝が赴任されてきた。

 塾長の子どもと塾生、二人には何らかの何らかの接点があったに違いない。

 圭子は身分を隠し、麻枝の真意を確かめるために接触を図り、探りを入れていたのだろう。


「二人とも、のんきに話し合っている場合ではないのだ! あの二人を止めるのだ!」


 現世が話に割り込んだ。

 前を向くと、桐野と圭子が今にも殴り合いになりそうな雰囲気でにらみ合っていた。


「あなたたちこそ、『門』の保有者をどうするつもりなの! よりにもよって、マガツの構成員と接触するのを許すなんて!」

「あれは『釣り』だったんだよ! わたしたちが青梅を保護する算段だったんだ! それをアンタが無理やり通ろうとしやがって、この連合の手先が!!」

「何でそれをあの場で言わないの!」

「機密の作戦を敵対勢力にホイホイ言えるか馬鹿!」


「ゲッ……」

「¡Ay......!」


 賢治とイソマツが、激しく言い争う二人の少女の方へ駆け寄る。


「はいはーい、キリちゃん。Tranquilo(トランキーロ), tranquilo(トランキーロ).」


 イソマツが桐野を羽交い絞めにして、圭子から引き離す。

 賢治はやや引き気味に、圭子に話しかける。


「あのっ! 橙崎先輩!」

「……山吹よ」

「先輩、もしかして筒井先生を止めたかったじゃないですか?」


 圭子が、右の眉をぴくりと動かした。


「何で、そう思うの?」

「いや……。無理に突入しようとしたのは、もしかしたらボクたちのことだけじゃなくて、そういうことなのかな……と」


 賢治がおずおずと言った。

 圭子と麻枝は相談室の扉が開いたとき、目を合わせてわずかな言葉を交わした。短いやり取りであったが、その話しぶり、表情、声色、態度などから賢治は、彼らの間にただの知り合い以上の、浅からぬ因縁があることを感じ取ったのだ。


「……とりあえず、ここから離れましょう。出口を探しながら話してあげるわ」


 圭子がそう言うと、賢治たちは――なかには不承不承のものもいたが――彼女に同意した。そうして、出口を探すことになった。

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