Report 5 「あたり前」の先に(1)
翌日の日曜。現世の引っ越しが始まった。
家具などの大きな荷物は後日また送られることになり、必要最低限のものだけを持ってくる形になった。
この日は賢助も家にいて、新しい家族である現世を歓迎して小さなパーティーが開かれた。賢助は現世のことを、大層気に入ってくれた。現世の年齢に不相応な幅広い知識や保守的な考え方は賢助を感心させ、「ウチの管理職に就く世代でも知らないようなことをよく知っている。社内講座を開いて講師になってもらいたいくらいだ」と、冗談を言わせるほどだった。
一夜明けて月曜日になると賢治は、早くも現世がお客様ではなく家族の一員になったことを実感した。
朝、現世に叩き起こされて弁当を渡された。
現世は因幡の家で、徳長や桐野がつくる献立の手伝いをずっとしてきたので、簡単な料理ならできるのである。
「なぬ!? おぬし、高校生のくせに自分で弁当も作らんのか!?」
「別に珍しいことでもないだろ……。中学のときは家政婦さんに作ってもらってたけど」
「じゃあ、昼はどうしてるのだ!」
「朝コンビニで買うか、前の夜にスーパーで買ったパン持っていくんだよ。食堂は混むからほとんど行かない」
「大伯父上がいないときは、夜も弁当や店屋物やレトルトだというではないか! そんな食生活だから、身長が伸びんのだ!」
「身長は関係ないだろ! 身長は!」
「大アリだ! 健康な身体を持てん者に、現世の相棒が務まるか! いいか、帰ったら朝昼晩の食事当番を決めるのだ! 異議は許さん!」
同じく現世に弁当を渡された賢助は、そのやり取りを端から見て苦笑いを浮かべていた。
「新しい妹というより母親ができたみたいだな」
★
玄関を出ると、桐野とイソマツが迎えに来ていた。
「おお、お出迎えご苦労なのだ!」
「げ、げ、げ……」
ガバッ。対面するなり、桐野は現世に抱き着いた。
「おはよう。おはよう、現世――スーハースーハースーハー」
桐野は息を荒くして、現世を抱きしめる。その腕はプルプルと震えており、目は完全にイッちゃっていた。
「き、桐野! 離すのだ、桐野!」
現世がもがくと、桐野は慌てて腕を離した。
「ご、ごめん……。余りに長い時間、現世と離れていたからつい……」
(禁断症状が出てやがる……)
「ふぁ~あ……」
「ちょっと、しゃっきりしなよイソマツ」
「普段よりも早く起きると、眠くて……。あっ、¡|Buenos días!(おはよう!) お二人さん」
爽やかに挨拶をするイソマツ。
「……おはよう」
だが賢治は、それを快く受け取れなかった。
「青梅。分かっていると思うけど……」
その様子を悟ってか、桐野が賢治に耳打ちをする。
「ああ、大丈夫だよ。わかっている。個人的な感情で、足を引っ張るようなことはしない……」
四人は青梅邸を後にした。
現世は汎人界の教会が主催するフリースクールに通っている。ここは妖魔同盟とのつながりが深く、ここの担当牧師は現世の事情も知っている。
そこに預けてから賢治は、イソマツ・桐野とともに五色高へ向かった。桐野とは、校門の前で別れた。
★
あっという間に時間は過ぎ、いつの間にか昼休みになっていた。
「賢治くん、一緒にご飯食べよー」
イソマツが声をかける。
「あ、ああ……」
賢治は応えようとして、振り向く。すると、騒がしく談笑している同級生のグループが目に入った。
その中に、こちらをちらりと見やる桜庭がいた。
「……!」
桜庭は気まずい表情をつくるや否や、目を背けた。
(……小さいな、オレって。新しく友だちができたなら、それでいいじゃないか)
賢治の心中で、何とも形容しがたい感情が交錯する。
「――あ、やっぱごめん。ちょっと用事あるから、先食べてて」
賢治はそう言い教室から出て、あるところへ向かった。
そこは二階の、職員室や進路指導室、文系科目の資料室といった教職員用の部屋が並ぶゾーンだった。そして進路指導室の隣に、賢治の目指している「相談室」はあった。相談室の扉は、他の資料室などと違って窓がなく、中の様子が窺えないようになっていた。
賢治は、相談室をノックしようとした。
だがその時、突然扉が内側へ開かれた。
「ぶっ!」
「きゃっ!」
賢治は扉を開いた人物とぶつかってしまう。
「お、青梅くん!?」
中から扉を開いたのは、橙崎圭子だった。
「ごめんなさい! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫です」
賢治は反射的にそう答えてしまった。
コミュニケーションが苦手な人間は、たとえ大丈夫じゃなくても「大丈夫」と答えがちなのだが、今回の場合は軽くぶつかっただけなので、本当に大丈夫だった。
「誰だい?」
中から野太い声がした。それは、筒井だった。
「何だ青梅くんか。まあ、中に入って」
「失礼します」
橙崎が一礼して、その場を辞去する。
(あの二人、この間も一緒にいたな。仲良いのだろうか)
そんなことを考えながら賢治は、気を取り直して筒井の前を向いた。
「今日はどうしたんだい?」
椅子に座っていた筒井が言った。
「あの……。ちょっとご相談したことがあるんです」
「何だい? まあ、とりあえず座って」
賢治は筒井に従って、学級椅子に腰かける
「術師界のことなんですけど……。いいですか?」
筒井が片方の眉をピクリと動かす。
「いいよ、話してごらん」
賢治は、一昨日に鳥海と戦闘したことを話した。ただし、因幡の力のことは上手く隠して。
「なるほど……。その女性に超能力をかけられ、そしてイソマツくんのやったことを見て、君は術が少し怖くなった……ということだね?」
「はい……。超能力が、あんなに恐ろしい力だとは……。あれを目の当たりにしたら、能力を持っていない人が恐怖を抱くのも無理はありません」
「ふむ……。差別するものの気持ちが少しわかってしまった、ということかい?」
「……一度、亜人が超能力を使って他人を傷つける光景を見た人に、『怖くない亜人だっている。超能力が人を傷つけるのではなく、超能力を使う人間が人を傷つけるんだ』といっても無駄だと思います」
「それはそうだ。超能力によって傷つけられた被害者に対して、加害者の属性の一部を取り出し、その属性を持つ者全てが悪い人間ではないなどとわざわざいうのは、二次加害に等しい」
筒井の言い分はもっともだった。
例えば、不審者の男性に暴行されそうになった若い女性の被害者に対して、「全ての男が悪いわけじゃない」などとわざわざ本人に言うのは、傷口に塩を塗る度し難い言動といえる。
だが賢治の場合は、もう少し事情が複雑だった。
「――だが、箕借りの女性が超能力を用いて君を害したことは間違いないが、小田君は君を傷つけたわけじゃない。君を助けるために、女性を傷つけたのだろう?」
「それはわかっています。理屈では、イソマツのやったことは仕方がなかったのだと思います。……でも、心がついていけてなくて」
賢治はそれだけ言って、沈黙した。
「……それで、君はどうしたいんだい?」
筒井は、問い詰めるような低い声色で賢治に言った。
「知りたいんです。術師の世界における、亜人の歴史を」
ぴくり。
そう賢治に言われた筒井は、眉をわずかに動かした。
「差別の源泉である恐怖は、知ることによって克服できると思うのです。ですから、筒井先生。教えていただけませんか。亜人の、本当の歴史を……!」
「……なるほど」
カーテンから差し込んで来る逆光によって、筒井の表情が見えにくい。
しばらく沈黙した後、筒井は思わぬ行動に出た。
「……ちょっと、君に見て欲しいものがあるんだ」
筒井は、白衣の袖をおもむろにまくり始める。むき出しになった左腕の小手を、賢治に見せつけた。
「賢治くん……、この傷痕に見覚えはないか?」
浅黒い皮膚に、流星のようなまっすぐな線がうっすら走っている。鋭利な刃物で斬られた痕のような感じだった。
それは二週間前、マガツの幹部である己が徳長につけられた傷痕の位置と一致していた。
「な……」
賢治は、目を見開いた。
言葉が出ない賢治を気に留めることなく、筒井は質問を続ける。
「――君は〔鍵〕なんだろう?」
「!」
腕の傷と併せ、この問いから導き出される筒井の正体――それが頭によぎった賢治は、思考を急停止させてしまう。
頭が真っ白になり、息が上手くできない。
「そして、現世ちゃんが〔扉〕なんだね?」
「せ、先生は一体……」
筒井は、冷たい笑いを浮かべて言い放つ。
「――僕は、『己』。この前、君たちを襲ったマガツの幹部さ」
賢治は椅子から立ち上がり、一歩、一歩と後ずさる賢治。
「そ、そんな……」
「おっと、逃げることはない。僕は君の味方だ……。亜人の歴史を知りたいんだろう?
教えてあげるさ……。ヒトの術師たちが、いかに亜人を抑圧し続け、甘い汁を啜り続けたのかをね……」
賢治は驚愕していた。
筒井――己が、こんなにも上手く、「釣り糸」に引っかかってくれたことに。




