Report 4 清丸町(6)
『因幡……、清一郎!!?』
鳥海と池田が驚愕の声を上げた。
一体、いつからそこに立っていたのか。誰も気づかなかった。
「あの女、マガツのテロリストです!」
桐野が叫んだ。
「へえ……、そりゃ剣呑なことで」
因幡は表情一つ変えず、鳥海と池田の方へ寄ってくる。
「お、おい! 何の用だ!」
池田の静止の声を聞かず、彼らの前に立つ。
だが因幡は意に介することなく、とんでもないことを言った。
「なあ、ここは俺に任せちゃもらえねえだろうか」
「……はあ!?」
「そんで、お前さんは何も見なかったことにしてくれねエだろうか」
「そんなことできるわけがないだろう! 一般市民が何ほざいてやがる!!」
それから因幡は、一呼吸溜めてからこういった。
「――ところで、駄菓子屋のおばあちゃんは元気?」
池田の眉間の皺が、ますます深くなった。
「脅しのつもりか……、このヤクザが」
(駄菓子屋のおばあちゃん……ハッ!)
賢治はその言葉を聞いて、全てを悟った。
この刑事は、「いけだや」の店主の孫だ。「いけだや」で賢治たちを見張っていたとき池田が気まずそうにその場から距離を置いたのは、身内に悟られて捜査に支障が出るのを恐れたからだ。
「いいか! この世界で、絶対的に公正中立なものなんてありやしねえ。だが、そうであろうとする努力はしなくちゃならねえ。魔導公務員ってモンはみんな、現場でそう全うしようと頑張っているんだ! それをてめえのようなヤツは――」
「お前さん……、もう帰っていいよ」
池田の言葉を遮るように、これまでになく厳かな声で因幡が言った。
すると、異変が起こった。
「――」
あれだけいきり立っていた池田が、突然糸が切れたように大人しくなった。
というよりは、生気がなくなったといった方が適切な表現だった。
「ここで見たこと聞いたことは、一切忘れろ。職場には、『何もなかった』と報告するンだ。いいな?」
池田は虚ろな様子で「……はい」とだけ答えて、鳥海の手錠を外す。
そして立ち上がり、ロボットのようにぎこちない動きでその場から立ち去った。
「……!?」
賢治は、わが目を疑った。
因幡は、明らかに何らかの術を使っている。
だが、どのような術であるのか、全く見当がつかなかった。
「短縮詠唱なのだ……」
現世がつぶやいた。
賢治が、「短縮……?」と首をひねる。
「この数日で学んだように、呪文の発動には基本的に詠唱が必要なのだ。けれども卓越した魔術師は、この詠唱を省略して呪文を発動させることができるのだ。それを『短縮詠唱』と呼ぶのだ」
賢治はその言葉を聞いて、驚いた。
「何だそれ! 最強じゃないか!」
「ところが、そうはいかぬ。詠唱を省略するということは、何の助走もなくジャンプするようなものなのだ。故に安定性は低く、熟練の魔術師ですら、得意な系統以外の呪文でこれを行うのは難しいとされておる。だからほとんどの術師は《バーステッド・ホイールウィンド》のような単純な物理呪文か、あるいは《アブラカダブラ》など効果が単純な呪文しか短縮できないのだ」
それから現世は「ちなみに、勁路負担がかかる呪文はその負担も二倍になる。使いどころも考えねばならぬのだよ」とつけ加えた。
「ああ、さっきの……。あれも、『短縮詠唱』だったのか」
「なのだ。だが、いっちゃんのは璃亜どのとは比べ物にならん。――いっちゃんは記憶操作に精神捜査という、極めてコントロールの難しい呪文を『短縮』でやってのけたのだ」
賢治と現世が話している傍らで、鳥海が焼き爛れた右手の痛みに堪えかねてうめいている。
「ぐ……、うう……」
「あれま。これはひでえ」
因幡がそう言って、鳥海に視線を向けてまばたきをするや否や――
スゥッ……。
一瞬にして、鳥海の火傷が消えてしまった。
そして杖も、煙が消えたようになくなってしまった。
「桐野。おめえも派手にやられたな」
因幡がそう言うなり、またその現象は起こった。
さっき、鳥海からつけられた傷や破れたパーカーが、最初から何もなかったかのように、元通りになってしまったのだ。
(な……、何なんだこれは)
余りのことに、賢治は頭の理解が追いつかなかった。
現世の説明によれば、因幡は短縮詠唱を使っているらしい。
だが――記憶操作、感情操作、完全治癒、物質の完全な補修と消失……。これだけ多岐にわたる超常現象を何のモーションもなく、次々とやってのけてみせるような業は、そうした形式ばった単語では表現し切れないもののように思えた。
魔法。
それが一番、いま賢治の目の前の現象を表現するのにしっくりくる言葉であった。
「さて、マガツのお嬢さん」
鳥海は、さっきとは打って変わっておびえ切った目で因幡を見る。
「知っていることを、洗いざらい吐いてもらおうか」
「ア、アタシは何も知らない! 幹部の顔も! ネットを通じて言われたことをやっているだけだ! 幹部の連中が本多を襲ったときもただ見張りを任されただけで、その理由も教えてくれなかった!」
「そン時、他にどんな奴がいた?」
「大男二人だよ。一人は茶髪で元軍人らしい。もう一人は、全身黒づくめのフルフェイスで声も変えていた。でも、体格からして間違いなく男だ」
賢治は二人の特徴から、癸と己のことであろうと思った。
「だから、幹部の連中がその二人のガキを何で狙っているのかは知らないんだ! アタシが知っていることはこれで全部だよ!」
「そんな状況で、よく人質を取るなんて行動に出られたモンだな」
「アイツらは、協力者に対して妙に金払いがいい。……金がいるんだよ。このままじゃ、この神社は潰れてしまう! 跡継ぎもいなければ寄付もほとんどない貧乏な『外祠』は、もうやっていけないんだ!」
賢治は桐野に「『がいし』って?』、と訊く。
「汎人界の神社から、神道として認められずに追放された神社たちのことだよ。亜人の祖先信仰はその全てが『外祠』で、妖魔同盟に属しているんだけど……、涼二先生が言うには、その経緯から汎人界側に強い敵意を持っていて、同盟内でも強硬派とされているらしいよ」
「強硬派……」
因幡は「フゥ」とため息をついて、何かを諦めた様子でこう言った。
「まあ、もういいや。今、お前さんの頭の中を見たが、何も目ぼしいものは出てこねえや」
そう言われた鳥海は、目を丸くした。
「い……いつの間に……」
「だから、お前さんはここで――」
「待つのだ!」
声を上げたのは、現世だった。
「璃亜どのには、自首してもらうのだ」
「……は?」
鳥海が、「何を言っているのか」というような声をあげた。
彼女だけでなく、その場にいるもののほとんどが同じような表情をしていた。
「この者の処遇をここで現世たちが決めるのは、道理が通らぬ。ちゃんとした方法で、今までの罪をちゃんとつぐなうのだ」
「何を、そんな甘いこと……。これがどういう状況かわかってないのかい。アタシの目の前にいるのは、術師界の裏のトップだぞ? アタシはお前たち二人の素性はよく知らないが、どうやら触れちゃいけないものに触れてしまったみたいだ。問題は既に『法律』じゃなくて、『政治』の段階に入っているんだよ」
「そんなの、間違っているのだ!」
現世が一喝する。
「現世にはまだ、『政治』はわからぬ。だが罪を犯したら、法によって裁かれて更生を目指し、社会に復帰するのが普通であることくらいはわかる。それをねじ曲げる『政治』など、全く道理が通らぬ!」
「――オレも、現世に賛成です」
賢治が、現世への同意を口にした。
「鳥海さんを裁くのは、オレたちじゃありません。術師界の法律です」
すると、因幡が言い返した。
「……その法律に則った治安維持を名目とした実行機関である警察が、退魔連合という政治組織に一つの加担しているとしても、か……?」
「全員、じゃありません。さっきの刑事さんも態度こそ硬かったですが、公正中立に職務を全うしようとしていました」
賢治は、因幡をまっすぐ見てそう言った。サングラスの奥に隠れた目からは、因幡の真意は悟れない。
因幡は数秒黙り込んだ後、「やれやれ」といった風に肩をすくめてこう言った。
「お前さんの祖父さんと、ガキどもに免じて解放してやらア」
鳥海はその場に崩れ落ち、頭を地面に伏してこう言った。
「も……、申し訳ありませんでした……。先代からの恩に背くような不徳を、心よりお詫び致します……」
その一つ目からは、大きな涙がこぼれた。それは彼女の、偽らざる本心の現れであった。賢治と現世の純真な言葉が、彼女の本音を引き出したのだ。
「ただその代わり――俺たちのことは忘れて貰おう」
因幡が、鳥海の目の前に手をかざす。
(……!)
賢治は、目を見開いた。
すると鳥海は、さっきの池田と同じような反応が起こった。
「お前さんはこれから警察に行って、今まで自分がしてきたことを話すんだ。ただし、俺たちのことは一切話すな。いいな?」
因幡がそう言うと、鳥海はやはり虚ろな様子で「はい」とだけ返事をした。
それから、ゆっくりと神社から出て行った。
(……)
その始終を見ていた賢治は、腹の中で何かが煮え立つのを感じた。
「因幡さん……。何で、鳥海さん自身の意志で自首させなかったのですか」
そしてそれは、抗議の言葉となって表出した。
「こればっかりは、しょうがねエだろ……。あのお嬢さんは『門』のこと自体は知らなかったとはいえ、俺たちの顔を覚えてしまった。それを警察に証言したら、情報が連合に流れちまうだろ」
「そうであったとしても、本人の自由意志を干渉――いえ、改竄していいという理由にはなりません」
「それはソイツが先に、他の誰かの自由意志を侵していた、としてもか?」
賢治は、その返答に一瞬悩んだ。だが、
「……そうであるとしても、です。反省は、自由意志に依るものでなければ意味がありません」
とはっきり答えた。
沈黙が、彼らを包み込む。
現世は賢治の次の言葉を見守っている。
桐野とイソマツは、この場をどう収めようか手をこまねいていた。
そして、沈黙を破ったのは因幡だった。
「理想論だな……。だが――」
ポン。
因幡の手が、賢治の頭に置かれる。
「理想なくして、人は前に進めねエ」
そう言う因幡からは、先ほどまでのつかみどころのない不気味な人物といった雰囲気は消え失せていた。
代わりに、子どもに目をかける慈父の優しさに満ちていた。
「見守ってやるぜ、小さな賢者。その理想を貫いた先に、何があるのかを……」
「因幡さん……」
ピリリリリリ!
因幡の服の袂から、電子音が鳴り響いた。因幡は慌ててガラケーを取り出して着信に出る。
『何をされているんですか、師匠!!』
徳長だった。
スピーカーの声は賢治たちにも聞き取れるほどの大音声であった。
「あ、あははは。悪い悪い、俺も探そうと思って……」
『隠水の森の手前辺りで賢治くんたちを見失ってしまったと連絡が入り、イソマツくんの返信がなかなか来なくて探していたら、あなたまで勝手にいなくなって……、私の仕事を増やさないでくれませんか?』
イソマツが「ん? ……あー。神社に着いてから送ったメッセ、いま送信されている。通信障害かな?」と、スマホを見ながらぼやいた。
「賢治たちは無事だよ。詳しくは帰ってからな」
因幡はそう言って、徳長からの電話を強引に切った。
遠くでカラスが鳴いた。もう夕暮れも近い。
「さて……。そろそろ帰るか。イソマツ、桐野。お前ら、賢治を家まで送ってやれ」
「はい、因幡さん」
「¡Vale!(了解!)」
イソマツが賢治に手を差し出す。
「行こ、賢治くん!」
「……」
賢治の脳裏に、さっきの光景がよぎった。
イソマツの、氷のように冷たい目。そして、絶叫が響き渡る惨状――
「賢治……くん?」
きょとんとした表情をするイソマツ。
賢治は思わず、後ずさっていた。
「……ごめん、何でもない。行こう」
そうして賢治は、イソマツと桐野と一緒に帰路へと着くことになった。どうとも形容しがたい、もやもやを頭に抱えながら。




