Extra Report 8 会席
マガツが最後の作戦である「妖誅」を決起した、その前日の夜の出来事である。
十畳ほどの和室に、二人の男が向かい合わせに座っていた。ハシバミ色の長髪を結わいている若い男性と、初老を少し過ぎた長身の男性。
徳長と、賢治の大伯父である賢助である。
互いの目の前には、本膳と呼ばれる足つきの盆が置かれている。会席料理は既に向付であるシマアカエイの鱠まで出ているが、賢助はほとんど手をつけておらず、苦渋に満ちた表情を浮かべている。徳長は笑顔さえ浮かべているものの、心からこの状況を楽しんでいるわけではないことは誰が見ても明らかだった。
「ここは創業より、ずっと師匠がお世話になっているお店でして。獲れたてのイワナを塩焼きにしたのが絶品で――」
「世間話はもういい。早く本題に入ってください」
互いに気まずい空気を醸し出して、早十分が経とうとしていた。
料亭・暮雨囲。清丸町三丁目の日輪山の麓にある料亭で、創業は明治に遡る。徳長が懇意にしている店で、同盟の重要な話し合いなどを行うのによく使っている。今日は賢助に訊きたいことがあって、呼んだのだが――賢助に対する後ろめたさもあり、なかなか伝えるべきことを切り出せずにいた。
「別にあなたも、私と差し呑みをしたいためだけにここへ呼んだわけじゃないでしょう?」
むっつりとした表情を崩さず、賢助は言い放った。
徳長は、肚を決めて訊くべきことを訊くことにした。
「……おっしゃる通りですね。では、お訊きすることに致します。――青梅賢助さん、あなたは賢治くんが〔鍵〕の保有者になるまで、本当に術師界や精霊術の存在を知らなかったんですよね?」
その質問に、賢助は片方の眉を吊り上げて応答する。
「何を今更。そのことは、最初の日に確認したではありませんか」
「そうですか。では、青梅家の分家である松枝家は、現在魔術師の家系であるということもご存じではなかったのですか?」
松枝という名前が出ると、賢助はお猪口を持つ手を止めた。
「なんだと?」
「松枝ホールディングスの経営者一族である松枝家です。松枝ホールディングスは境界企業であり、術師界にも進出しています。そして松枝家は、術師界成立後魔術師を輩出して術師家系となり、術師名を竜胆家というのです。竜胆家は、魔術師の有力な家系の一つとして数えられていて、私たちと対立する政治術師結社・退魔連合の幹部に名を連ねています」
徳長がそう言うと、賢助はぐいっと猪口の中身を空にして応える
「いや、知らない。松枝家とは私の両親の代までで交流が途絶えてしまっている。松枝家が魔術師だろうと、私と賢治には一切関係ない」
「では……青梅家にも、西洋神秘主義とかに関心を持った人間とかは」
「一切いない。我が家は元々天文方の家系であったが、先祖はみな宿曜道だ占星術だとかいったオカルトとは無関係の列記とした科学者たちです。その腕を買われて、明治維新後は光学機器の研究を専門として帝都光学工業株式会社を設立させた。テイ光はあなたもご存じでしょう?」
「はい。よく知っております。五色学園の天体望遠鏡は、テイ光製でしたね」
「その通りです。円島は良質の玄武岩が取れるから、月輪山にはテイ光の下請け鉱山企業があった。そうした地縁もあって、天体望遠鏡を五色学園に売ったため、あそことはつながりがある。だからこそ、賢治をあの学校に入れたのだ。――もちろん、経営しているのが陰陽師だなんて知りませんでしたけどね」
賢助は、銚子を空にする勢いでお猪口に注いで、一気に飲み干した。
「何故そんなに、わが家のことを知りたがるんです? 賢治が不思議な力を手に入れたのは『門』とやらによるものだと分かりきっているのに、どうして我が家と魔術を結びつけたがる?」
やや据わった目で、賢助は徳長をにらみつける。
「実は……。現世さんがゲーティアに変身する理由が、未だにつかめていないのです」
ぴくり。
賢助は、眉を少しばかり動かした。
微細な動きだったので、脈ありなのかどうかは判断つかなかった。
「……それがうちと何の関係が?」
「以前も説明したように、現世さんは捨て子だったため完全に出自がわかりません。亜人も含めたゲノム解析を行ってみたのですが、既存のパターンと合わないものが多く、25パーセントはマグリブ地方のグループなんです。この結果が何を示しているかは、全く分かっていません」
「私は魔術のことは全く分からないが、それなら現世さんの方に原因があると考えるのが普通でしょう。うちは江戸時代初期より日本人家系です。ソロモンの鍵とやらはよくわからないが、ソロモンがヘブライの王であったことくらいは知っています。地中海沿岸のアフリカ諸国なら、地理的にまだ近い。あそこには、セファルディムもいる」
賢助の地理に対する知識の豊富さに関心したのも束の間、予想していた通りの返答が返ってきたため肩を落とした。
(現世さんがゲーティアになるのは、賢治くんの血筋が関係しているかと睨んだのだが……)
現世が因幡家に引き取られてから五年。彼女の正体に関する進展は、この間一切なかった。
因幡は一度、現世の身体の霊的状態や勁路について調べている。それで彼女が〔扉〕を持っていることを知ったのだ。それから数え切れないほどの検査を重ねたが、ゲーティアにつながる証拠は何一つとして見つからなかった。
余りにも因果関係がわからないため、対となる〔鍵〕を持った賢治の方に原因があるのではないかと、徳長はずっと考えていた。
だが、こうも完全に否定されてしまっては、これ以上の詮索はできまい。
「……正直に申し上げますとですね。あの日以来、賢治からこんな胡乱な力などなくなってしまえばいいのにと、思わずにいられない日はありませんでした。同時に、あなた方との縁が切れるように、とも」
ずくん、と胸が重くなるような錯覚を覚える。
〔鍵〕の力を得てからというもの、賢治は何度となくその力を狙って襲撃された。徳長たちが護る、という当初の約束も十分に果たすことができず、結果として賢治を危険な目に何度も遭わせてしまった。
保護者である賢助からしたら、その度に胸が張り裂けそうになる思いだっただろう。関わって欲しくない、と思うのも当然だ。
しかし、であった。
「ですが……何故だろう。今の賢治は、私と一緒にいたときよりもずっと活き活きとしているのです」
伏し目がちに、賢助が言った。
その顔つきには、先ほどのような怪訝と威嚇が取れて、大甥に対する慈しみに満ちていた。
「今まで、賢治には友だちという友だちは一人もいなかった。しかしこの不思議な世界で、不思議な力をともに学ぶ友だちができた。危険な目にもたくさん遭いましたが、それまでの外界に対する怯えはとんと消えてなくなりました」
「青梅さん……」
それから徳長の目を見つめ、賢助は言った。
「この間の賢治の成長は、紛れもなく皆さんのおかげです。ですから何卒、賢治がこの不思議な世界で安心に過ごせるよう、一層目を配っていただきたいのです」
真剣にそう言われ、徳長はやや狼狽した。あれほど危険な目に遭わせておきながらこのような感謝をされるというのは、何とも面映ゆい気持ちにさせられる。
「はい……。我々同盟はいっそう奮励し、賢治くんを守り抜いて見せます」
その返答に、賢助はわずかに口角を吊り上げた。
「ああ、一つだけお願いします」
「何でしょうか?」
「――竜胆家のことは無用な混乱を招くから、賢治には伏せて置いてくださいね」
その願い入れを、徳長は承諾する。
当初はとても舌鼓を打つ雰囲気ではなかったこの会席だったが、鉢魚であるイワナの塩焼きが出る頃には大分ほぐれた空気となり、徳長の思惑とは少し違う形だがつつがなく終わった。
だが、徳長は見逃さなかった。
ゲーティアの名前を出したとき……全て言い終える前に、賢助は反応を示していた。
肩を震わせる前、わずかに口許が動いた。
しかしそうは言っても、賢助が何かを隠しているようにも思えない。
それは、徳長自身が知っていた。
賢治に〔鍵〕が宿ってから少しあと、徳長は秘密裏に日麿と月麿の二人に命じて青梅家について調査させていたのである。そこでわかったことは、この会席で賢助が話したこととほぼ同じで、ゲーティアにつながりそうな情報は全くなかったということだ。
(……勘ぐり過ぎか)
喉に小骨が刺さったような違和感を残したまま、徳長は帰途に着いた。