婚約者に片思いしている私を、冷静な彼は裏切りたくない
話としては弱かった
でも書いたので上げてみたかった
私は婚約者を愛している。
いつも目で追ってしまうので、仕草や食べ物の好みなんかも長い年月をかけて把握してしまうくらいだった。
私と彼は政略結婚で、とても模範的な関係を築いているので、なんの問題もないと感じていた。
同じ学園に入学して、同じクラス。昼は共に過ごし、下校時に時折デートめいた逢瀬を楽しむ。
今もその関係はなんら変わる事なく続いているのだが、私はもう気付いてしまっている。
彼に好きな女性ができた
その女性は田舎の男爵家の令嬢で、頭脳明晰なのに気取らず天真爛漫。
上の者にも物怖じせず議論できる程に恐れ知らずだが、博識から導き出される発想は興味深く、授業以外の時間では上下を弁えているので不快感はない。
将来は、女だてらに文官を目指しているらしく、成績も優秀だ。
当たり前だが、彼と彼女に個人的な付き合いはない。座席の位置の関係で、グループを組む時に一緒になる程度の間柄だ。
なのに、最初は好きですらなかった彼のその視線が、意見を交わすたび、供に当番活動をするたびに仄かな熱を帯びていく。
私は、ずっとその思いの経過を見つめてきた。
彼の視線に含まれたその微熱は治まることなく、ふと気付けば熱病に変わっていた。
彼女も彼が気になるようで、ふとした瞬間に目を合わせてはお互いに逸らし、頬を染める。
グループワーク中に、私と彼、私と彼女の視線が合う事はただの一度も無かった。
話しかければ当然合うが、自然と視線がかち合うなんて事は無かったのだ。
彼は彼女に必要以上に近づかないし、彼女も彼には近づかないので他の誰も気がついていない。
でも私には解ってしまった。
二人は間違いなく惹かれあっている。
そんな毎日が続いていたある日。
「……婚約を、解消しましょうか……?」
状況に耐えられなくなった私は、ふと彼にそう告げた。
それは休日に彼の家の庭先でお茶を飲んでいた時で、家令と私たち二人しか居ないこの場では、彼の視線はほぼ私に注がれる。
教室では全く目が合わないのに、と急に込み上げてきた感情が私に言わせた言葉だった。
突然の発言に目を見開いた彼が呆然と呟いた。
「……私たちは理想的な関係を築いていると思っていた。もしかして、勘違いしていたのだろうか?」
それは確かにその通りで、私たちは理想的な政略結婚を目指す婚約関係を結べている。
頻繁に逢瀬を重ね、何かある折にはプレゼントも贈ってくれるし、夜会も必ずエスコートをしてくれた。
そもそもこの関係には愛がある。女性としての恋愛感情がないだけで、親愛の情はあるのだ。
彼はその目で彼女を追ってしまうだけ……、私を裏切る気は微塵も無かった。
ただ私が彼を愛してしまい、彼が彼女を視線で追う姿を見ることさえ辛くなってしまっただけ。
政略結婚とは貴族の義務………いわば人生を賭けた仕事と言っても過言ではない。
いうなれば政略関係を裏切っているのは、彼ではなく私であるとも言える状況だ。
「いいえ……私たちの関係性が悪い訳ではないのです」
私は彼から目線を外し遠くの空を見つめる。
清かな雲が流れ、鮮やかな青を湛えた清廉な空。
荒んだ気持ちが凪いでいく。
「実は、私は貴方を愛しています。だから解ったのです。貴方には想う方がおありになりましょう?」
私は貴方から奪う。秘かに想う事すら奪う。秘めていたいだけだったその想いを暴いて晒す。
恐らく一番知られたくなかったであろう私自身が知っていると告げて。
もうこれで、終わっても構わない。
ハッと息を吞み、青ざめる彼。
「私たちの婚約が解消されても、彼女との結婚は難しいかもしれません。でも貴方にその気があるのならば、不可能では無いはずです」
即席で婚約には繋がらないが、面倒でも方法はあるのだ。
「いいや……私は、君以外との結婚など望んでいない」
彼は静かに被りを振った。
彼を想い続けられる安堵と、彼女への嫉妬から逃れられない失望、その両方が私の頭を支配した。
「……正直に言えば惹かれているかもしれない。いや……恐らく彼女に焦がれている」
私にばれていると観念した彼は、控えめに言おうとしたのを言い直して、己の気持ちを素直に認めた。
「しかし彼女には安心感がない。上の者にも物怖じしない姿は、心大らかな相手ならば許されるだろう。しかし旧態依然とした思想の者はいまだ多いのだ。いつか破滅を招くやも知れん。我が家の伴侶には相応しくない。」
そう言うと、こちらをまっすぐに見つめながら、大きな両手で私の両手を包み込む。
「彼女を見ると胸がざわめく事は認めよう。だが君といる時の心穏やかな安心感とて私の気持ちだ」
私の手は震えていたが、包み込んだ彼の手もまた震えている。
「一時の熱病のような感情で、君と築き上げてきた信頼と愛情を失いたくない。それは今まで生きてきた全てを失うことに等しい筈だ」
彼は冷静だった。恋という熱に炙られ、火の着いた想いを自覚しても、燃え上がろうとは考えない。
私の方こそ一時の嫉妬と言う激情に流されようとしていたようだ。
私から諦めれば彼が誰と結ばれたって平気だと思ってしまっていたのだ。
でも………彼女とじゃなくても、彼を愛してもいない、見た目と身分と財産でしか見ないような女が伴侶になったら?
それこそ、耐えられないだろう。
「私のせいで苦しい思いをさせて済まない。君には何の非もないのに……それでも、共に乗り越えてくれないか?」
身勝手な言い分だと彼は呟いた。ならば私も身勝手だ。
好きになる相手が自由意志で選べるなら苦労はしなかった。彼は彼女を私は彼を愛してしまった。
「私を妻にと望むなら、彼女を愛人にする事も叶いませんよ?………私との間に子が生まれなくとも、別の女性を探していただきます」
「最初からその選択肢は無い。そもそも私の片恋だ。相愛だったとしても、彼女とてそんな日陰の身など御免だろう」
彼はそもそも、とっくの昔に想いを諦めるつもりでいて、絶対に雰囲気に流されない自信はあったと言う。
「子供が出来ずとも、愛人など作る心算もない。その時は親戚から養子を迎える。私は複数に生活を裂けるほど器用ではない」
私の事は同じ年月を過ごしてきて掛け替えがないと思えるほどには大事だし、私が自分を大事に感じてくれている実感もあった。
ただ、彼女を想うことを止めるのは中々に難しく、無意識に目で追う自分に呆れ果てていたそうだ。
「こういう想いは熱しやすく冷めやすいものだと書物で読んだ。実際こんな状態は長くは続かない筈だ」
彼の考えは一貫していた。
卒業して顔を見なくなればやがてほとぼりも冷めると、人間そこまで自分以外を中心になんて生きられないと踏んでいた。
婚約者である私に気付かれなければ、最終的には理想的な夫婦になれると確信していた。
毎日顔を見て、自分を伴侶として愛してくれる人間が一番愛しくなっていくものだと、そう考えていたのだ。
「確かに君を愛しているんだ……君なしでは到底生きられない」
貴方は絶対に今の気持ちに嘘をついている。あんなに熱に浮かされた視線で見ているのに、それでも彼女なしでも生きていけるって言うの?
むしろ私なんていなくたって構わないんじゃないの?学校ではあんなに彼女ばかり見て、私とはちっとも目が合わないのよ?!
こんな醜い心を私は卒業まで耐えなきゃいけないの?貴方も苦しいんでしょうけど、そんなの自業自得なんだから!!
私の本音は理性的ではない。言葉に乗せれば致命傷で、到底彼には告げられない。
彼は浮気どころか恐らく本気で、しかしそれを踏み止まろうと理性を総動員して生きている。
その努力を踏みにじる訳にはいかない。
「私、辛くて苦しくて吐きそうです…………でも、……共に乗り越えましょう」
なんとか繰り出した言葉と共に頬が濡れる。
空しさとか悲しみとかそんな殊勝な感情ではない、怒りと嫉妬で、知らず頬を伝う私の涙を彼の唇が拭っていく。
私たちはそのまま、瞳を閉じることなく口付けあった。
「胸が苦しい……とても痛い」
「……私も……焼け付くように苦しいです」
たったこれだけの告白で、心に攫われた体は病にかかったかのように重たるかった。
この日、愛されていないのに愛されている私は、覚悟を決めて前に進むことを決める。
卒業して、共に彼の家を守り、子を成して、やがては家族となるだろう。
政略結婚で他好きしたからって、婚約者を疎まなくたって良いじゃないと思っただけなんです
でもやっぱ物語は、山があって谷があって這い上がるから面白いんですね