第一編 (恋人未満、いったい何以上?)
第一編 恋愛華中(恋人未満、いったい何以上?)
作:カズ ナガサワ、
プロデュース:小木真澄
第一 真澄と俊介
小木真澄25歳。彼女はフリーランスとして、新しい職域にチャレンジする開拓者です。後から追いかけてくる誰かのために、新しく道を切り開くように、その生き方はとても素敵です。
でも、彼女に近い人にとって、彼女はハラハラ、ドキドキ。そしてちょっとわがままな女性です。何を考えて行動しているのか、それを全て足しても割ろうとしても、答えは見付かりません。何とも危なっかしい天然で、色気なしの見た目だけの美人です。
彼女の仕事は新進気鋭の「プロ トラベラー」。
トラベラーは、旅行を生業にする何とも羨ましい仕事に見えますが、まだまだその認知度は低く、収入は今一つ。それでも、彼女のような存在が様々な人と文化を結び付け、交流の華を咲かせています。
彼女が、この仕事を始めた切っ掛けは、けっして旅行好きからではなく、偶然が幾重にも織り成した奇跡の物語りと言えます。
幼いころ、彼女は父親の仕事の関係で、引っ越しを繰り返してきました。その過程で、自分の世界観を土地の人の暮らしや伝統、文化と鏡写しにして生きてきました。日本人であって、考え方や行動は遊牧民のよう。いろんな人種が混じった感性を持っています。
彼女は高校を卒業すると、迷うことなく中国への留学を決め、親の心配を押し切って山東省青島にある大学に留学したのです。
そしてその四年後、無事に留学を終えて日本に帰国したのですが、これといって留学の経験を活かすでもなく、また中国や韓国など、旅費のなるべく要らない、それでいて自分にとって遠い存在の国で生活してみたいと、いつも思っていました。加えて彼女の性格は根っからの天然で、実家の群馬に戻ったら外国行きを絶対に反対されると、東京町田の男友達のアパートに、何も考えずに転がり込んだのです。
その友達の名前は伊東俊介。真澄の中学校の同級生で、真澄が埼玉に住んでいたときに、同じクラスにいた秀才です。俊介は勉強もスポーツもできた人気者で、高校を卒業すると、現役で都内の有名私立大学に入り、そこから一流商社に就職しました。
そして、就職を機に、直ぐに親元を離れ、東京町田のアパートで一人暮らしを始めました。いわゆるエリートとして自立し、仕事に集中して早く上の地位に着きたいという野心を持っていたのです。
でも、仕事に向けた思いとは裏腹に、たまたまSNSで真澄の「友達かも」を目にし、気楽に友達申請したのが切っ掛けで、自分のアパートに同居を誘ったのでした。
実は、俊介の初恋の相手は真澄でした。でも、高校受験を控え、このことを告白する前に、真澄が埼玉から新潟に引っ越してしまったので、実ることはありませんでした。
既にあれから7年が経ち、俊介としては忘れかけていた甘酸っぱい感情に火がつき、ドラマのような展開を期待してしまったのです。
SNSで交流しだした当時、真澄は中国から引き揚げの準備をしていましたが、帰国後の落ち着き先も全く決まっておらず、俊介から「日本に帰国したら一緒に暮らしたい。」とハート付きでコメントがあったので、直ぐに快諾。あの優秀で冷静な俊介にしては、魔が差したとしか言い様のない流れとなったのでした。
その不味いと感じる記念すべき始まりが、突然、仕事中に真澄から「タクシー代が足りないから早く帰って来て!」という一方的なメールで、慌ててアパートに帰って、真澄の実態が飲み込めたのでした。
第二 同居人
真澄は、未だ本当に男性を好きになったことがありません。正確に言うとかなり理想が高く、身長や顔立ち、自分を越える国際性など、それに見合う男性を探して一緒に旅をしたいと思っていました。
その考え方は単純で、世界の人口の半分が男性なら、なるべく多くの男性と会って、どんな生き方をしているか、どれだけ人を愛せるか、家族をどう養っているかなど、興味と新たな出会いに夢が膨らんでいたのです。でも、いつも現実とのギャップに妥協を繰り返し、目的も直ぐに忘れていたのです。
真澄は、お化粧や流行りの洋服には全く興味はなく、「着るものは洗って乾いていること。お化粧は顔がいいので要らない。」と、変わっているを通り越し、超きれいで珍しいになっていました。
一方、俊介は努力家で、代々の家系は親族のほとんどが教員か医師でした。しかし俊介は、両親や祖父母が地元の教員で狭い人生観を持ち、さして刺激のない一生を送ったのだと思い込み、教師にだけはなりたくないと感じていました。
そんな二人のアパート生活は、極端に価値観や暮らしぶりが異なる外人同士が、シェアハウスに居るようなもので、俊介は真澄との価値観の違いが分かると、初恋は遠い昔のことのように思ってしまうのでした。
また真澄の収入は、近くのコンビニでアルバイトすることと、留学先で知り合った中国人の友達から、日本に知り合いが旅行に行くときのガイドを頼まれるお礼くらいで、とても自分で生計を立てて海外取材に出掛けるまでの余裕はありませんでした。
そのため、アパートの家賃や光熱水費は全て俊介が負担していました。でも俊介はこれを不満に思うことはなく、アパートに帰ると誰かが居る。そんな気持ちだけで十分満たされていました。
それから約8ヶ月、二人のアパート生活が始まって最初の正月に、真澄は玄関に中国流の飾り付けを行い、感謝の気持ちを表わそうとしました。それは、赤を基調とした派手な飾り付けで、これを見た俊介は驚き、その隙間を埋めるように小さな鏡餅を置いて、その飾り札には「日中友好」と書き添えていました。
それから2ヶ月が経ったある日のこと、いつもは残業で遅くなる俊介が、日が落ちる前にアパートに帰って来たのでした。
その慌て方に真澄は何事かと思いながらも、コンビニのバイトの準備に洗面所の鏡に向かって、唯一化粧品として持っている口紅を差し、立ったまま穴の開きかけた靴下に足を通していました。
すると俊介が、戸惑いながら自分の部屋の扉越しに真澄を呼びました。
俊介「悪りーけど話がある! おまえ、これからバイトだろう。そのあと、近くの中華飯店で一緒に飯でも食べよう。大事な話がある。かなり急いで色々決めないとヤバイから頼む!」
真澄「いいよ! やった、飯にありつけた」と喜び勇んで、予定より早くバイトに出掛けたのでした。
夕方9時までのバイトを終えて、真澄は俊介に電話しました。既に俊介は中華飯店にいると言っていたので、真澄は急いで店に行き、入口を入るや否や、壁のメニューを眺め、厨房に向かって「半チャンラーメンセット!」と、その声に早く食べたい!を込めて注文しました。
俊介は、「俺、未だ頼んでないっし!」と一言挟んで「それ、二つで〰️!」と加えました。二人はそれぞれにセルフの水を汲み、テーブルに置いて、久々の相対での会話に、たどたどしさを滲ませていました。
軽めの挨拶の後、俊介は「君にとっても、僕にとっても、とっても大事な話だ!」と真剣に言うと、真澄は「とってもが多い!」と雰囲気を和らげようとしました。しかし、俊介は「ふざけてる場合じゃあないっし! だからお前は人の気持ちがちゃんと分からないんだ!」と言い放ち喧嘩が始まるかに見えました。
ですがその場は、店主の「半チャンセット、お二つお待ち!」という、とても食欲をそそる一言で、なんとか収まりかけましたが、まだまだバトルは続きました。
第三 旅立ちの決意
俊介の怒った顔を見て真澄は、取り繕うようにテーブルの箸置きから割りばしを二つ取って、一つを俊介のラーメンどんぶりに置くと、さっさと自分だけラーメンをすすり始めました。
俊介は、「お、お前!」と言いかけましたが、空腹につられて、真澄が置いた割りばしを割って食べ始めました。
ある程度空腹が満ちた頃、真澄から話の口火を切って「会社で何かやらかし!?」と。またもや俊介の気分を逆撫でする一言に、箸の動きが止まってしまいました。
俊介は再び箸を進めようとしましたが、怒りが治まらず思わず噎せてしまい、慌てて水を口にしました。
そして、「僕は4月から中国に転勤することになった!だからアパートは引き払う。お前は何処かに引っ越してくれ!」と、全て結論が凝縮された言い方で、一連の話を区切ろうとしました。
ところが、真澄からこんな答えが出るとは俊介は思いもよりませんでした。
真澄「いやだ! 丁度私も行きたかったの、中国に。そういうことなら協力するよ!」
そう言われた俊介は、この話の展開を一方的に中断し、もう一度説明の道すじを考えていました。そして、なんとか気を取り直し、会社の上司から言われたミッションについて語り始めました。
俊介「今、中国との関係は民間レベルでも、前より良くなったとは言えない。でもあの国の魅力は、市場規模の大きさが半端じゃないことだ。仲の良し悪しに関係なく純粋にビジネスパートナーとして、信頼出来る人脈を再構築することが狙いなんだ。だから短くても5、6年は行ったっきりになる。会社の方針として妻帯者ではなく、若手から人選して独身の僕になったのが今回の異動だ! だから君が漏れなくついてくるは、全くあり得ない話だ!」
真澄は少し考えてから、「じゃあ~私がどうなってもいいってこと!それひどくない?」と、俊介の心に刺さる一言をまたも口にしたのでした。
俊介は呆れて、残ったラーメンとチャーハンを一気に平らげ、二人分の支払いを済ませると、一人でアパートに帰って行きました。その後を真澄は焦ることなく、ゆっくりと追いかけましたが、途中で思い立ったように後を追って走り出しました。
真澄「私がもしも、あなたの婚約者でアパートに同棲してたとしたら、会社の人たちは一緒に中国に行っても良いって言ってくれないかな! 要は、中国に馴染んでいるか、馴染んでいないかでしょう。婚約者が中国に留学経験があって、同行を希望しているなら会社も文句ないし、向こうの生活のサポート出来ると思うけど✨ダメ?」
そんなやり取りの間に二人はアパートに着きました。玄関の扉を開けながら俊介は思わず言いました。
俊介「僕の初恋の人は実は君だ! でも正直、今は君に振り回されている気がする。嘘をついてまで自分の人生を掛けた、この中国行きを君にあーだ、こーだって言われたくない! 早く君は、身の振り方を決めてくれないか。来週いっぱいで結論を出してくれ!」
俊介の部屋の引き戸を閉める音が強く響きました。
とはいえ、真澄の持ち物がそれほどあるわけでもなく、2LDKの四畳半にリサイクルショップで買ったエアーベッドと、物干し竿を部屋に渡した洋服掛け兼洗濯物干し。衣装と下着は二つのスーツケースに段ボールで仕切って仕舞ってあるだけです。部屋の扉には、近くのホームセンターで買った鍵と、使用中と書いたプラスチックの表示札が掛けてありました。
また、俊介は俊介で、テレビや洗濯機は持ってはおらず、パソコンと小型の冷蔵庫があるだけで、キッチンには備え付けのガスコンロに、ゴミ箱を兼ねたポリバケツが置かれていました。冷蔵庫は、真澄がほぼ占領しており、俊介が買ってきたビールのうちの何本かは、翌日には空になって、ポリバケツにほうり込まれていました。
それでも俊介は、アパートに帰ると初恋の人が隣にいるという、意識したくないと言えば嘘になる感情を引きずりながら、真澄との同居を続けて来たのです。