導師・アンラ・クイス
考えろ、考えろ、考えろ……。
自問しながら大きく息を吸い込んで目を閉じ、ゆっくり開いた。
目の前には、姫と名乗った娘の時代錯誤な格好に、そろった形の石を積み上げた緩く湾曲した壁。床に描かれた魔法陣を思わせる模様。
そして、彼女の「魔法で召喚した」との言葉。
「これが夢でなければ、何だと言うんだ! 幻覚か?」
「クイス様、どうしたのですか?」
セフィリア姫が泣き出さんばかりの声を上げた。
いきなりの奇声で驚かせてしまったようだが、どうやらそれだけではなく機嫌を損ねるわけにはいかないと考えているようだった。しかし、何故こんな事になったのか。
何か手掛かりはないかと思ったが手に持っているのは、書きかけの小説だけ。これが関係しているとは思えなかったが、初めのページには、「安楽椅子探偵vs安楽椅子殺人鬼」とタイトルが書かれている。犯行現場にも行かず殺人を繰り返す犯人を、椅子に座ったまま推理だけで捕まえると言う話だが……安楽椅子。
…………アンラ・クイス。
「それで名前がアンラ・クイスになったのか!」
名前の理由は分かった。消し忘れたメモをペンネームにされたり、原稿の汚れを題名に付けたされたりして、在り得ない日本語が出来上がる現象はこうやって起こるのか。
「どうしたのですか?」
「いや、こっちの話で……」
いや、今は名前くらいどうでもいい。とりあえず、無事に家に帰してもらえるかだが……。
考えながら視線を向けた石を積んだ壁だが、壁の湾曲に合わせて正確に削りだした岩を積んでいる。建築様式の違いだけで、近代的な建物よりずっと技術が必要な作業だ。部屋の大きさと天井の高さと、姫と呼ばれる身分を考えれば、エル・スフィア王国が未知の技術を持った国で、歩いて帰れる場所ではない事は確かだった。
頼まれるままに要求をのめば魔法で送り返してくれるかもしれないが、近接武器で数十メートルのドラゴンを倒せとか無茶な条件を出される予感しかしない。
どっちを選ぶべきか、恐る恐る聞いてみる。
「それで、……私は、何をするために呼び出されたんですかね?」
「導師クイス様には、魔王を討伐し――」
「待ってくれ。討伐とか、戦いとかは……、遠慮したいのだが」
ペンより重い物を持ったことがない人間が魔王と戦えるはずがない。いや、魔王どころか、同じ体重の肉食動物にも人間は勝てはしないのだ。
「もちろんです。偉大な魔法使いマカカイア・ジェスト、最強の戦士ゼイガス・ア・ルドス、大神官ラミュエル、そして、勇者ロドニアスが魔王と戦うために城に集められているのです」
「私が戦う必要はないのか?」
「導師様には、忠実な兵士たちが昼も夜も絶えず護衛に付かせていただきます」
奇妙な話だ。戦うどころか守ってもらえるなら、一体何のために呼ばれたのか。
「それでは、私に何を期待しているのですか?」
「魔王は、数多くの魔物に守られた難攻不落の城に住んでいると言われております。ですが、魔王の城に入り戻ってきた者もおらず、誰一人、魔王の姿を見た者はいないのです。勇者の力をもってすれば、必ずや魔王を打ち倒す事が出来るはずですが、それも、万全の状態で魔王と対峙出来ての事。魔王の元へたどり着くまでに消耗する訳にはいかないのです。…………それに、時間を掛け過ぎる訳にも。……勇者が不在の状態でいつまで街を守れるか分からないのです」
話している彼女から隠しきれない不安が伝わってくる。それに付け加えたような最後の言葉は、事態の深刻さを物語っていた。それ以上は聞かなくても役割は理解できる。
「勇者が、魔王を倒すまでの筋書きを考えろ、と言う事ですか?」
「はい! 私たちを御導き下さい」
姫は、全ての問題が解決したかのように安堵した表情で恭しく頭を下げた。
手に握られたミステリー小説の原稿が、彼女には討伐の立案書にでも思えたのだろうか。だが向けられた信頼に応えるべく完璧なシナリオを考えなばなるまい。
まずは!
見当違いの相手を呼び出したとの説明と召喚のやり直しの要求だな。