エル・スフィア王国
王国歴214年。
度重なる苦難にも打ち勝ち、繁栄を極めたエル・スフィア王国も最大の窮地に追い込まれていた。
北の人間の住まぬ荒れ地より、強大な力を持った魔王が魔物を率いて侵攻して来る。
数百万にも及ぶ魔王の軍勢は次々に街や砦を攻め滅ぼし、ついに王都アルバストを包囲したのだった。
「愚かな人間どもよ! 怯え、恐怖するが良い! 我が名は翔魔将軍エルド・ガ・グシジール。魔王様にたてつく人間どもにこの世で最も惨たらしい死を与えるもの成り! 引き裂いた内臓に汚物を詰め、えぐり出した目玉を両手に握って、自分の最後を眺めるがいい!」
叫んだのは異形の魔物の中でも一際目立つ魔物。甲高い風切り音で空を飛ぶ羽を持ち、身長の数倍はある昆虫のような長い腕が四本、足にいたっては六本もある怪物だった。
不快な叫び声は、人々を恐怖させるに十分だった。
人間の軍隊相手ならば、分厚い城壁に守られた王都の市民は、その程度の恫喝に屈したりはしなかっただろう。だが人間では太刀打ちできない魔物が街道を塞ぎ、半透明な羽を高速で動かし耳障りな音を発しながら飛ぶ魔物は、街の城壁を越え人々の頭上を飛んで恐怖を煽る。蓄積された恐怖はいつ爆発してもおかしくないほど耐え難いものになっていた。
「汚らわしい言葉を……。人々を苦しめる魔物よ、必ずや正義の裁きの前に、跪かせてやりましょう……」
城壁からはかなりの距離があるが、城のバルコニーからでも十分に空を飛ぶ魔物たちの声は聞こえる。手すりを乗り越えてしまいそうなほどに握りしめて、魔物の言葉に静かな怒りを燃やしている少女が、今年十八になるスフィア・リエ・セフィリア姫だった。
「セフィリア姫、これ以上は危険です。どうか中へ。……本当は、姫様だけでも、城から逃げていただいたいのですが……」
「いいえ、キーリア。私は逃げる訳にはいかないのです。それに、勇者ロドニアスの居るこの城が落とされるのなら、この国のどこへも逃げ場などありません」
「ですが、戦闘になれば……」
キーリアは、侍女にしては随分がっしりとした筋肉質の体つきの娘だった。護衛の役目も果たしているのだろうが、幼さも残る姫の毅然とした態度に言葉を飲み込んだ。戦闘になれば、王城も戦場になる事は避けられない。むしろ空からの魔物が殺到し、もっとも危険な場所になるであろう。その時になって姫のために戦うのが彼女の役目だった。
「今夜は最後の星の巡りし日」
そして、姫にも代えられない役目がある。
「召喚の儀式を執り行います。魔王を倒すために、最後の一人を呼び出さなければなりません」
「はい、姫様……」