59.私たちの運命
「朝陽さん!!」
私と西野先生は奇しくも口を揃えた。
吉平さんがゆっくりと部屋の中に入って来る。
「西野さん。申し訳ないが……婚約のお話はなかったことにさせて欲しいんだ」
(……えっ……? 今なんて……?)
どん底に突き落とされるかと固くつぶっていた目をゆっくりと開ける。
「……吉平さん……? この期に及んでご冗談はやめてくださる??」
微かに西野先生の声が震えている。
「冗談ではありません。こちらの我儘で二度も……申し訳ないとは思っています」
吉平さんが深々と頭を下げた。
「全く理解できない!! そんなのお父様が許して下さるとでもお思いですか??」
じりじり西野先生はと吉平さんと朝陽さんに詰め寄った。
私は今起こっていることがとんでもない事なんだという事は理解はしているけど、何をどう行動に起こしたらいいのか分からず、じっと静観していた。
「西野さんのお父さんにはもう話してあります。こちらの都合で申し訳なかったと」
ふうとため息をついて吉平さんは朝陽さんを見た。
「まぁ、こいつも一応私の可愛い息子でね。色々厳しい事を言ってここまで育て上げてきたが……何より亡くなった妻がそんな私の暴走も天国へ行ってまでもフォローしてくれていたんだと、恥ずかしながらこの年になってようやく気が付いてね」
隣にいた秋吉さんがあの麦わら帽子をそっと吉平さんに手渡した。
「朝陽がこれを夏帆ちゃんにあげたって知った時……正直自分の判断が間違っていたんじゃないかって戸惑ったよ。これは妻が亡くなってからずっと朝陽が大切にしていたもので……一生手放すことはないものだって思っていたからね」
こんなに朝陽さんの事を話す吉平さんの姿を初めて見るんじゃないだろうか……?
温かい吉平さんの眼差しを受けて、朝陽さんは相当驚いている様だった。
「朝陽。私は気づいていたよ。この帽子を母親代わりにお前が持っていたことを。一時期、いつまでも母親の影にすがっていても前に進めないだろうと取り上げることも考えたが、秋吉に止められてな。秋吉は誰よりもお前の事をずっと傍で見てきた人間だ。私も秋吉の強い説得に心動かされてなぁ」
ふにゃりと笑った吉平さんの笑顔に……私はなんだか嬉しくて目頭が熱くなる。
「夏帆ちゃん。朝陽はきっと、夏帆ちゃんに絶対的な信頼を寄せているはずだ。私もここまで成長できたのは……静江が……ずっと支えてくれていたからだ。失って初めて……私は彼女の偉大さに気づいたんだよ。本当に情けないよな」
目を真っ赤にした吉平さんは恥ずかしそうに涙を拭う。
「朝陽に……私と同じ過ちをさせてしまうところだった。本当に自分が大切にしたい人……大切に想ってくれる人と一緒に時を過ごせることがどれだけ貴重な事か……。分かっていたはずなのに……すまなかった」
朝陽さんに向かって頭を大きく下げる。
「やめてくれ! 父さん! 俺だって……父さんを裏切って夏帆と駆け落ちしようとしてたんだから……」
吉平さんの頭を上げさせようと必死になっている朝陽さんを見ながら涙が零れた。
よかった……
本当によかった……
「ちょっと待ってくださる……?? 私はそんな話納得いかないわ!! お父様だって納得いってないはずよ!!」
わなわなと震える西野先生はギロリと私を睨みつけた。
「こんな子供みたいな子と一緒になるだなんて、しかも教師と生徒だった関係よ?! 誰がそんなこと許すのよ?? こうなったら今すぐ学校でバラしてやるわ!!」
ザザッと駆け出そうとする西野先生の前に大きな影が立ちはだかる。
「お父様……!? どうしてここに……??」
ピタッと立ち止まり西野先生のお父さんのジャケットを掴んで揺らす。
「まぁ、まぁ……。美野里。この結婚だけがすべてじゃないだろう?? 実は前回駄目になった遠野さん側から、もう一度会ってみないかとお誘いがあってね。もちろん工藤さんのところと手を組むのもうちにとってはとてもいいお話だったが、これからのうちの会社の発展を考えると遠野グループの力っていうもの絶大なんだ。前回は美野里が遠野さんに大変失礼なことを言ってそっぽを向かれてしまったが、そこを水に流してもう一度会ってくれるというんだから、こんなチャンスはないだろう?」
吉平さんの前だからか、言いづらそうな空気を放ちながらも西野先生のお父さんの口元から零れる笑みは隠しきれていなかった。
「工藤さんのところも、こういった事情がおありのようだし、丁度良かったじゃないか。なぁ、美野里」
ポンと肩に手を置いた。
「……勝手な事言わないでよ……。バラしてやる……!! 全部バラしてやるわ!!」
西野先生の綺麗な顔は呪いの込められた表情に変貌していた。
「まぁまぁ、とりあえず美野里は私が連れて帰ります。藤吉さん、また機会があったらよろしくお願いしますね」
そう言って西野先生を強引に引っ張りながら部屋を出て行った。
静まり返った部屋の中で、朝陽さんが私に近づいてくる。
「……夏帆……。今すぐ夫婦になろう!!」
そっと目の前に手を差し出した。
私は温かいその手を取り、ゆっくりと頷く。
「坊ちゃん、市役所までお送りします」
嬉しそうに秋吉さんが声をかけてくれた。
振り返れば吉平さんがニコニコと何度も頷いている。
どうして……
どうしてこんな急展開……
まだ実感が湧かない。
余りにも不幸慣れしすぎてしまったんだろうか?
「……もう、夢じゃないよね……?」
朝陽さんは答えの代わりに私をきつく思い切り抱きしめた……




