57.大好き
「夏帆、そろそろ出よう」
私はいよいよかと心を決める。
「婚姻届、ちゃんと持ったか?」
(もちろん!)
そう答える前に念のためカバンの中を確認すると……
(あ、あれ……??)
慌ててカバンをひっくり返して中身を出すがやっぱり入ってない!!
「……おい、まさか、忘れたんじゃ……」
近づいてきた朝陽さんの影を感じながら、俯き顔が上げられない。
「……そう、みたい……。ご、ごめんなさいっっ!!」
(あぁ!! 怒られる!!)
『はぁ』と呆れるようなため息が聞こえて恐る恐る顔を上げた。
「いいよ。せっかくだから最後に婚姻届け取りに行きがてら、あの思い出のマンションを拝みに行こう」
優しい眼差しで微笑んでいる朝陽さんを見て安心し、急に全身の力が抜けた。
「あぁ、怒られるかと思ったぁ」
もう半泣きになっている私の頭をポンポンと叩く。
「せっかく今日夫婦になるんだ。スリル満点の思い出ができるのもなかなか面白いしな」
クスリと笑う。
「朝陽さん……」
嬉しくて嬉しくて……
飛びつこうとしたが拒絶されるシーンが蘇り、反射的にトラウマのように身体が固まる。
「どうした??」
急に落ち込んだ私の顔を覗き込み心配そうに見つめている。
「あ、……あの……なんでもない」
誤魔化すように私は目を逸らした。
「そっか? とりあえず、もう出よう。大きな荷物はここに置かせてもらって、無事手続きが済んだらまた一度ここに戻ろう」
そう言ってスッと立ち上がる。
「……うん」
私は静かに頷いた。
私達は朝イチで市役所に飛び込もうと通勤ラッシュ真っ只中の電車に乗り込んだ。
いつもはゆとりのあるバスで通学していたこともあって、ギュウギュウ詰めの車内になんだか恐怖を感じる。
「大丈夫か?」
そう声をかけてくれるけど、正直大丈夫じゃない。
身体の大きなサラリーマンに囲まれて、そのうちの一人の息が肩にかかる位に近づいている。
(あぁ……嫌だな……)
そんな私の気持ちに気づいてくれたんだろうか、朝陽さんが力強く私の手を握り、電車のドアの傍に引き込んだ。
私が押しつぶされないように長身の身体でがっちりと守ってくれている。
「朝陽さん……」
そんな彼の姿にドキドキしながら顔を見上げた。
「大丈夫か?」
ピッタリと密着した朝陽さんとの距離に、心臓が高鳴りどうにかなりそうになる。
見覚えのある駅が見えてきた。
私は朝陽さんの自分に向けられた熱い視線から逃げるように外を眺める。
「つ、着いたね!」
変に高鳴っている自分の鼓動を聞かれまいと、ドアが開くとすぐにプラットホームに飛び降りた。
朝陽さんはすぐに私の手を引き、肩を抱く。
「俺から離れるな、絶対に」
真っすぐに私を見たその目に吸い込まれそうになる。
「うん……」
どうしてだろう。
毎日ああして暮らしてた時よりも、何倍もの速さで朝陽さんに惹かれていく。
もう恋人でいるはずなのに……
今日夫婦になるはずなのに……
まだまだ私は恋する気持ちが止まらない。
朝陽さんの一言一言にいちいちドキドキして……
繋いだ手からは痺れるほどに彼の愛情を感じてる。
「夏帆?」
朝陽さんへの思いが大きくなりすぎて、私の行動すべてがぎこちなくなる。
なんて伝えたらいいのか分からない。
どうやってこの気持ちを表現したらいいのか分からない……
もう、頭の中が朝陽さんで一杯でおかしくなってしまった私は子供のように目から涙が零れ落ちる。
「どうした??」
突然の事でびっくりしたような表情の朝陽さんに今の私が伝えられること……
「大好き……」
情けないけど、これしか言えない。
でも本当の気持ちなんだ。
私達の横をたくさんの通勤客が忙しなく立ち止まることなく行きかっていく。
朝陽さんは急に立ち止まり壁側に回り込んだ。
涙の止まらない私を人目も気にせず思いっきり抱きしめてくれる。
「夏帆。愛してるから……。もっと甘えていいんだ。もう、絶対に突き放したりしないから……」
そう言ってじっと私の瞳を見つめている。
ちゃんと私の気持ち、分かっててくれたんだ……
「……じゃあ、一つだけ我儘言っていい??」
朝陽さんの腕の中で彼を見上げる。
「あぁ、もちろん」
私の次の言葉を待っている彼の唇に、私は両腕で引き寄せそっとキスをした。
きっとうまく行く。
今日も、これからも……
私達の心はこんなにも近づいたんだから。
そう手を繋いで歩き出した時だった。
突然私と朝陽さんは何者かに羽交い絞めにされる。
私はそのまま意識を失い、気がつけばベットの上で視線の先には見慣れない豪華な天井が広がっていた……




