50.執事の確信
「先生遅いなぁ……」
なんだかだんだん不安になってくる。
そもそもそんな簡単に抜け出せるくらいなら、この二週間の間に私と何らかの形でちょっとしたコンタクト位取れてたはずだ。
時計は約束より15分過ぎていた。
(でも、信じて待つしかない……。今の私にできることはそれだけだもん)
悪い事を考えないように気持ちを切り替えようと大きく深呼吸をする。
前にあの改札を通った時は、私たちはやっと夫婦になろうって気持ちが固まって誓い合ったばかりだった。
今一人でここに座っていると猛烈に寂しさが襲う。
(先生……早く来てよ……)
今日先生に抱きしめられたあの瞬間を一生懸命思い出し、一人じゃないんだと言い聞かせていた時だった。
暗い電灯に照らされた大きな黒い影が私に覆いかぶさってきた。
驚いて顔を上げるとそこには吉平さんの家で私を案内してくれた執事さんの姿があった。
「夏帆お嬢様……ですよね?」
優しい笑顔をしているが、本当にそれを見たままに信じてもいいのだろうか……?
「あ、あの……」
自分が夏帆だと返事をしてしまったら、もう先生に逢えなくなってしまいそうで言葉が詰まった。
「私は工藤家の執事をしている秋吉と言います。あなたのお話はずいぶん前から朝陽坊ちゃんに何度も聞かせていただきました」
丁寧にゆっくりと話始める秋吉さんの口調に宥められるように、私はだんだんと落ち着きを取り戻してきた。
「私はあなたと坊ちゃんの味方です。ここが分かったのも、昨日坊ちゃんとちゃんと話をしたからです」
そう言いながら大きな黒いトランクを私の前に差し出した。
「これを……坊ちゃんに渡してください。当分生活できるものは入れておいたつもりです。近くに宿もとっておいたので……どうか夏帆お嬢様、坊ちゃんを信じて待ってあげてください。私のところには、学校からいなくなったが心当たりはないかと連絡が吉平様の方から入っています。きっと、必ず来ますから……」
何処までも優しく穏やかな声に、張り詰めていた緊張が一気に解けるようだった。
「どうして……そこまでしてくださるんですか……?」
先生の周りにこんな味方がいたなんて知らなかった。
「私は坊ちゃんと夏帆お嬢様に一緒になっていただきたいんです。まだ、電車もこなさそうですし、少しこちらに来ていただいてよろしいですか?」
そう言って私を駅の目の前を通る道を渡り、海や、この街が一望できる見晴台のような場所へ連れて行ってくれた。
「この街は私もよく知っているんです。朝陽坊ちゃんの亡くなられたお母さまである静江様のご実家がすぐ近くにあります。静江様は海が大好きな方で……お休みの度に、坊ちゃんをお連れになって、よく実家に帰りがてら、この海を眺めにここに立っておられました」
すっかり辺りは暗くなり、大きな月が海に映り込んでいた。
遠くから吹き込んでくる潮風を感じながら、小さい頃の朝陽さんとお母さんの姿を思い浮かべる。
「吉平様は本当に厳しい方で……もちろん朝陽坊ちゃんの将来の為でもあるんでしょうが、とにかく毎日遊ぶ時間などほとんどない位に家庭教師や習い事漬けでした。静江様はそれを見かねて週末よくこちらに朝陽さんを連れておいでになっていました」
朝陽さんの小さい頃のお話……
私はあまり聞いたことがなかった。
「あなたがお持ちになった麦わら帽子、静江様がいつもここに来られるときにかぶっていらっしゃって……。お亡くなりになった後も、それはそれは坊ちゃんが大切になさっていました」
ふふふと私に笑顔を向けた。
「その大切な帽子を夏帆お嬢様が持っていらっしゃった時、坊ちゃんの気持ちが私にはハッキリとわかりました。……きっと、旦那様も……吉平様も分かっているはずです。吉平様は朝陽坊ちゃんにたくさんの事を禁止されていた中で、あの麦わら帽子だけは朝陽様が堂々とお持ちになっていても何もおっしゃらなかったんです。麦わら帽子を大切になさっている朝陽様を見る目が父親の眼差しだったことは……きっと私しか気づいていないかもしれませんがね」
懐かしそうに……そして嬉しそうに微笑む秋吉さん。
「朝陽坊ちゃんは、きっとあなたの事を本当に愛してらっしゃるんですよ」
私の目をしっかりと捉えて語気を強めた。
「私が出来る事だったらなんでもさせていただきます。ですから……坊ちゃんを……朝陽様をよろしくお願いしますね」
涙まじりのその声は、どんな言葉を並べられるよりも重みがあった。
「秋吉さん……。私で……朝陽さんの相手が私なんかで大丈夫だと思いますか……?」
保障された将来よりも私を選んでくれたせいで朝陽さんが不幸になる位なら、最初から私は引き下がらなきゃいけない。ずっと朝陽さんを見守ってきた秋吉さんなら、その答えをはっきりと言ってくれると思った。
「夏帆お嬢様以外に朝陽様を幸せにできる方はいらっしゃいません。自信を持ってください」
不安そうにしている私を優しく覗き込んだ。
「さあ、次の電車が来るようです。お戻りください。私の連絡先をお伝えするので、困ったことがあったら遠慮なくお話しください」
そう言って私に名刺を渡して、そっと背中を押してくれた。
「ありがとう……ございます!」
私は手を振り見送る秋吉さんに深々とお辞儀をして電車が過ぎ去ろうとする駅へ急いで向かう。
遠目に映る景色の先に、ガックリとうなだれてベンチに座り込む男性の姿を捉えた。
(朝陽さん……!!)
私は無我夢中で彼の元へと走り寄った。




