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45.月明りに願う事

「朝陽坊ちゃま、失礼いたします」


 この声は執事の秋吉か。

 何やら外が騒がしかったようだが何かあったんだろうか?


「どうした? 秋吉」

 手に提げていた大きな紙袋が俺の前に差し出される。


「これを……、旦那様から朝陽坊ちゃんに渡してくれと……」

 中を覗いて見てみると、夏帆にあげた麦わら帽子が入っていた。


「秋吉……これ……」

 どうしてこれがここにあるのか把握できないまま、混乱した頭を整理させようと深呼吸をする。


「あの……旦那様には坊ちゃんには何も言わずに渡せと念を押されているのですが……」

 俯きながら言いづらそうな様子に……もしかしたら……と思った。


「なんだ、頼むはっきり言ってくれ!」

 秋吉の肩を掴み揺らす。


「これをお持ちになったのは……夏帆お嬢様なんです」

 やっぱり……さっきのざわつきは夏帆が来ていたのか!

 急いで窓から外を覗いてみたが、もうかれこれ20分は経つ。

 いるわけが……ない。


「……秋吉……夏帆はなんて……??」

 少しでも情報が欲しかった。

 夏帆と離れて以来、完全に俺の周りには誰かしらがついていて、抜け出して彼女に声をかけることもできなかった。

 夜中、2階の窓から抜け出そうと一度試みたが案の定ベランダにもSPがいる始末だ。


「私は夏帆様とは初めてお会いしたので……ごあいさつ程度の会話しかしておりませんが、帰りに走ってきたお嬢様にぶつかってしまいまして……。ふとお顔を見たら泣いていらっしゃいました。私には詳しいご事情はよく分かりませんが……伝えなければいけない大切な事のような気がして……。勝手な真似をして申し訳ございませんでした」

 深く俺に頭を下げる秋吉は、小さい頃からずっとそばにいてくれて、母さんが亡くなった時もいつも俺の話し相手になってくれた。


「秋吉……。俺は夏帆と結婚したいんだ。どうしても……」

 言っても仕方がない事だが、誰かに想いを聞いて欲しかった。


「坊ちゃま……」

 困った顔で俺を覗き込む彼は哀しい目をしている。


「ごめんな……どうにもならない話をしてしまって……」

 秋吉は怒りもせず俺の話にじっと耳を傾けてくれた。

 母さんの葬式で初めて夏帆を見かけた時も彼女の話をうんうんと頷きながら寄り添って聞いてくれた。


「差し出がましい事を言うようですが……、朝陽坊ちゃんにとって夏帆お嬢様は坊ちゃんが生きる上で必要な方に思えてなりません。もちろん旦那様の仰ることも分かりますが……旦那様にお仕えしているうちに私も七十になりました。こんな老いぼれここでクビになったとしてももう後悔はありません。それにしても今までずっと工藤家の近いところで寄り添ってきたつもりでいます。坊ちゃん。私にできることがあったら何でもおしゃってください。あと何年生きられるか分からない私の残りの人生をかけてでも、朝陽坊ちゃんに幸せになってもらいたい」

 しわしわの手で俺の手をぎゅっと握る。


「秋吉……。どしてそこまで……」

 彼にもこの工藤家に仕えてきたプライドがあるだろう。

 俺の味方をするってことは父さんを裏切るってことだ。

 文句ひとつ言わず、献身的にずっと仕えてくれて、大きな信用を築き上げてきたはずなのに……それを全部捨てて動いてくれるというのだ……


「この工藤家を……担う朝陽坊ちゃまを支えられる人は……西野様ではない、夏帆お嬢様です。彼女なら……きっと工藤家を大切に想い、どんな困難だって一緒に乗り越えていけるでしょう」

 自信たっぷりに言う秋吉の瞳の奥にはいったい何が見えるのだろうか?


「私の目は間違いありません。吉平様も朝陽様も……お母さまである静江様も私はずっと見てきたのですから……。坊ちゃんが一緒に居て幸せでいられる女性がどんな方なのか位、私にも分かります」

 俺は意を決して今まで考えてきたことを秋吉に打明けようと思った。

 自分の周りの人間はすべて敵だと思ってきたこの二週間……初めて心許せる味方を見つけた。


「秋吉……。もしかしたら、秋吉の事も裏切ることになってしまうかもしれない……」

 最悪そうなるかもしれない。

 でも俺はすべてを捨てる覚悟で明日この家を出ようと思っていることを打明けた。


「坊ちゃま……。私は信じています。きっとすべてがうまく行くことを……」

 瞳を潤ませながらにっこりと笑う姿が本当に頼もしかった。


「必要なものがあれば何でもおっしゃって下さい。明日までに揃えますから。後で、もう一度こちらに伺います」

 秋吉は俺の顔を見ながら力強く頷いた。

 重たい扉を開け部屋を出て行く。


「ついに……明日か……」

 俺は麦わら帽子を手に取った。

 よく見ると黒い大きなリボンの隙間に何かが挟まっている。

 そっと取り出すと、よく夏帆と学校でこっそりメッセージをやり取りしていた小さな付箋が何枚か重なっていた。


『朝陽さん、元気にしてますか?』


 一番上にはこう書いてあった。

 夏帆の笑顔が思い浮かぶ。

 離れてからも毎日顔を合わせていたのに……

 こんなに彼女を遠く感じた日々が今まであっただろうか……?

 一枚捲ると、次のメッセージが見えてくる。


『私にとって先生と一緒に居た時間は宝物です』


 急にひとりぼっちになってしまった彼女は……

 離れていた時間一体どう過ごしていたんだろう?

『待ってて欲しい』も『さよなら』も何も言えなかった。

 毎日、毎日……何も分からない不安の中で……


『しつこくしちゃって、ごめんなさい』


 ……俺の頬を涙が伝った。

(謝らなきゃいけないのは自分の方だ……)

 自分の不甲斐なさがこれでもかと心の痛みに姿を変えて襲ってくる。

 夏帆はどんな気持ちでこのメッセージを書いたんだろう……?

 もっとたくさん抱きしめてやればよかった……!

 恋人時間なんて決めずに……

 教師と生徒の立場なんてどうでもよかったんだって、今なら心底分かる。

 俺にとって夏帆以上に大切なものなんてなかったのに……!!


『でも大好きだったの。それだけだったの』


(夏帆……、夏帆ごめん……。ごめんな……)

 俺だって結局夏帆と同じ気持ちだった。

 全てを失っても、夏帆を愛している気持ちは絶対に消えることはない。


『どうか、お幸せに。ありがとう』


 最後の付箋をめくり……手が止まった。

(夏帆……? 待ってくれ……!)


 急がなければ……

 俺は諦めない!!

 絶対に……彼女と一緒になるんだ……


 まだ何も始まってないんだぞ?

 これから二人で未来の幸せを話して、家族をつくるんだ。

 何処に居たって、何をしていたって、俺たちは一緒に居れば幸せでいられる。

 分かったんだ。

 俺の幸せは夏帆の手の中にあるんだ。

 彼女が幸せになれば俺も幸せになれる。

 だから全力で彼女の笑顔を守って、全霊で愛を伝えるんだって決めたんだよ!!


(夏帆……!!)


 彼女が書いた付箋を握りしめ俺は月に祈った。

 どうか……どうか彼女の心が離れていきませんように……

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