42.メドゥーサの嫉妬
「なっちゃん、今度買い物でも行こうよ! 何でも買ってあげるからさ」
彼女から話を聞いて、大体事情は分かった。
何か力になりたい……そう思うけど、今の僕にできることと言ったらなっちゃんを励ますことくらいしかできない。
あぁ、情けないな……
「樹兄ちゃん、ありがとうね。でも大丈夫。私、先生とはっきり話ができるまでは、あまり悪いことは考えないようにしようって決めたから」
気丈に振舞ってはいるが、さっき僕が声をかける前のなっちゃんはそんな雰囲気ではなかったぞ……?
「何にしても気分転換は必要だろ? せっかく同じマンションに住んでるんだから、遠慮しないでなんでも言えよ? ちっちゃい頃、なっちゃんにはたくさん助けてもらった恩もあるしな」
そうだ。彼女がいたから僕はあの辛い子供時代を乗り越えられたんだ。
「分かった。何かあったらよろしくお願いします」
素直に笑顔で頭をペコリとさげる彼女はやっぱり他の女性とは一味違う。
毎日毎日きっと何度も涙を堪えて生活しているんだろうに……
工藤朝陽がなっちゃんを好きになったことだけは唯一、僕にも共感できた。
「よし、美味しいケーキと紅茶が目の前にあるんだから、今はそれを堪能しようよ! 好きなだけおかわりしていいからな!」
『うん』とにっこり笑って頷く彼女の可愛さに、ドキリとしてしまう。
やっぱり、僕はなっちゃんの事が『好き』なんだろうか……?
改めて思うと、変に意識してしまう。
「ちょっと、トイレ行ってくる」
彼女の正面に座っているのが急に恥ずかしくなって席を立った。
恋……
そんなものは僕には必要ないんだ。
それを知ってしまったら……バットエンドしか待っていないことはもうずいぶん前から承知していることなんだから。
俯き歩いていた顔をふと上げた時だった。
目の前に憎っくき女性に似た人物が両腕を組んでニヤリとこっちを見ている。
(まさかな……?)
あんな女、視界にも入れたくもない!
ふいと横を向いて素通りしようとした時だった。
「遠野さんですよね? 私の事、覚えてます??」
軽々しく声をかけてきた女はやっぱり西野美野里だった。
「あ、あぁ! ……偶然ですね。覚えてますよ……なんとなく……」
一時期は苛立って夜も眠れない位だったけどな!!
「やっぱり! こんなところでお逢いできるなんて嬉しいわ!」
……ったく本当にわざとらしい。
微塵もそんなこと思ってないくせに。
「ところで……お連れになってるうちの生徒と……お知り合いか何か?」
彼女は怪訝そうな目で僕を見た。
「あぁ、幼馴染ですよ。彼女は」
間違ってはいない無難な答えだろ?
「……ふうん、そうなんですね?」
離れたところに座っているなっちゃんにチラッと目を遣り、また俺を見る。
ホント嫌な女だな。
余りにもムカついてちょっと意地悪を言ってやろうと思っただけだった。
「西野さんは、あの時仰ってた好きな方ともうご結婚されたんですか?」
するわけない。
工藤朝陽にはなっちゃんが……っていうか他に好きな奴?がいるんだからな。
お前なんか完全に蚊帳の外だ。
そう思ったんだ。
「ええ。おそらく近々結婚することになるとは思うんですけど……。遠野さんならご存知ですよね? 工藤吉平さん。吉平さんのご子息なんです。相手の方」
ふんと得意げに動いた口元を見つめながら耳を疑った。
「は? 工藤……朝陽さんですよね? その方はもう別にお相手がいるのでは……?」
何言ってんだこの女は?
「だから、それが私なんです。一度はダメになりかけたかと思ったけど……お父様同士のお話し合いでまたご縁が出来たんです」
彼女は嬉しそうにくねくねしながら僕の耳元でわざとらしく囁いた。
(このクソ女が!!)
余りの嫌悪感に思わず吐き気をもよおした。
そういう事だったんだな?
結局親同士の話し合いであの二人は引き裂かれたってのか!!
なっちゃんの悲しそうな顔が浮かび上がってきた。
このままこの女を帰すわけにはいかない!
決定的なダメージを与えてやりたい!!
「僕の聞いた話だと、彼には大切な人がいて入籍目前にしてたのに親に引き裂かれたって話を耳にしてたんですが……、それって本当の話だったんですね」
フンと一瞥した。
「実は僕、朝陽君の付き合ってた彼女の事よく知ってまして。よくそんなひどい事するなって思ってましたけど、そうか、親同士の話合いでそうなったんだったら納得がいく。まぁ僕も親のいった形ばかりの結婚しか出来ない立場ではありますからよくわかりますよ。どんなに形は夫婦になったとしても心までは一つになるのは難しいですからね。西野さんの場合なんかホント悲しすぎないですか? 朝陽さんとその彼女、相当愛し合ってたみたいですし」
『ざまあみろ!』と僕は心の中で思いっきり舌を出した。
案の定、西野美野里は青ざめながら僕を睨みつけている。
「遠野さん。その朝陽さんがお付き合いされていたお相手の方って……どなたかご存知なんですよね?」
メドゥーサのようなオーラを出す彼女は僕との距離をじりじりと詰めてきた。
「……え、えぇまあ。でももうあなたに教える筋合いももはやないですから。じゃ、僕急ぐんで」
彼女の放った空気にすら触れたくない、そんな気持ちで逃げるようにトイレに駆け込んだ。
席に戻り、なっちゃんと一緒にケーキを食べ始めても、しつこく同じフロアの隅の方で俺を睨みつけている。
(あの女はマジでヤバいな……)
ほんの少しでも彼女と結婚しなければならなかった可能性があったことに、僕は震えた。
西野美野里が僕を振ってくれたことに感謝の思いすら湧いてくる。
なっちゃんはそんな僕たちの様子に全く気付いていないようだったが……
彼女がなっちゃんの存在に気付くのも時間の問題かもしれないな。
あんなに素敵な雰囲気だった喫茶店の一角から放たれる不穏な空気に呑み込まれないよう、僕は必死になっちゃんが西野美野里の視界に入らないよう守り続けた。




